なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

バービー人形禁止令?

2008年05月06日 01時42分32秒 | 批判的意見
目ざめよ!2008年6月号に、「ただのおもちゃではない」という記事があります。

人形の類は魔術か宗教に関係していることや、日本のひな人形、五月人形などについて取り上げられています。

そして近年のバービー人形などの売り上げについて取り上げた後、こんな結論で締めくくっています。

子どもと人形の間には感情的なきずなが生まれるので,賢明な親は人形が子どもの成長に及ぼし得る影響を真剣に考えます。
例えば,人形の外見や着せ替える服の多さなどが女の子に良くない影響を与えるのではないか,と言う人もいます。
ある評論家に言わせれば,そのような人形は「中身よりも外見を重視する,という浅はかな考えによって幼い少女」の心をむしばむことがあります。

「と言う人もいます」や「ある評論家」のように、誰が言ったのか分からないのはいつものことですが、いかにも宗教的な人形ならまだしも、着せ替え人形が有害であるかのような内容はいかがなものでしょう。

極端な親だと子どもの「バービー人形」や「リカちゃん人形」を処分してしまうかもしれませんね。

男の子が夢中になってたら変ですけど、女の子だったらかわいい趣味だと思いますがね。

時間を無駄にする奉仕者たち

2008年05月04日 01時28分14秒 | 批判的意見
2008年1月14日に始まる週の奉仕会で、「宣教のための時間を有効に活用する」という王国宣教の記事が扱われました。

残された時が少なくなっており、宣教奉仕のために予定した時間を有効に活用するための助言が載せられていました。

要約すると、こんな内容です。

・必要な出版物を用意し、証言の仕方を考えておく。
・野外奉仕のための集まりは長くならないようにする。
・集まりが終わったらすぐに区域に出かける。
・グループと一緒に働く場合、一方が証言し終えるのを他方が待つことがないようにする。
・議論好きな人の話は巧みに切り上げ、改めて訪問する。

「大規模な霊的収穫」という業がまもなく終わるため、自分の時間を有効に用いるようにしましょう、と励まされました。


この記事の内容に異論はありません。
仕事や家事を調整して、せっかく奉仕に時間を割り当てたのですから、時間を最大限有効に活用したいものですよね。


でも、この記事の内容は、うちの会衆にまったく当てはまらないんですよ。

奉仕区域の広さに対して、奉仕者の数が非常に多いんですね。
網羅率が一ヶ月を切らないように区域を調整しているせいで、「群れの奉仕」に出ても実際に「家から家への奉仕」に出るのは30分程度、ひどいときには1~2軒しか入らないこともあります。
残りの時間は「再訪問」や「留守宅」などに回しています。

再訪問・留守宅は2組で車に乗って移動するのですが、片方が証言しているとき、片方が車でずっと待っていることもあります。

再訪問や留守宅と言ってもそんなに数があるわけではないですから、なるべくのんびり移動して時間を稼いだり、今行っても絶対にいないと分かっている留守宅にわざわざ訪問したりしています。

大して疲れてもいないのに、マックやミスドで休憩することも日常茶飯事。
会衆の用事(振込や買い物)もすべて奉仕中にやってます。
もちろん、その時間を奉仕時間から引いたりなどしません。

多くの開拓者にとって「時間を入れる」ことが最優先ですから、どんな手段を講じてでも時間をつぶそうとしているようです。

こうした現状で区域が飽和状態にも関わらず、相変わらず集会では開拓者・補助開拓者を目指すよう励まされています。

家の人を考えた奉仕ではなく、奉仕者の自己満足のための取り決めにしか見えないのは、「消極的な見方」でしょうか。


ちなみに、全国どの区域でもこんな状況ではなく、区域の広さに大して奉仕者が少ないところはもっとしっかりとした奉仕が行われているはずです。

僕は以前、田舎で奉仕していたのですが、真夏でも真冬でも「家から家の奉仕」で2~3時間歩き続け、休憩はほとんどありませんでした。
でも、その方が充実感はありましたけどね。

なぜバプテスマを遅らせるのですか。

2008年04月17日 17時53分27秒 | 批判的意見
と題する話が先週の「奉仕会」で行われました。
「ものみの塔」2006年7月1日号 29~30ページに基づくものですが、若いうちにバプテスマを受けるのは良いことだ、という内容でした。

多くの二世は中学生・高校生で受けているし、小学生で受けている人もいる、という長老の注解がありました。
若いうちに献身すれば、これから生じるさまざまな誘惑に対して身の守りとなるのだそうです。


「バブテスマを受ける」ということ自体はそれほど難しいことではありません。
集会や奉仕活動に定期的に参加していて、聖書や出版物の内容をある程度理解できていれば受けることができます。

消極的な長老だと、もう少し待った方がいいのでは?と言われることがありますが、二世離れが多い現在では積極的に勧めるようです。


でも、自分の人生を左右する重要な決定をそんな若いときに、簡単に決めていいものなのでしょうか。
自分でこの生き方こそ真理だと心から確信したのでしょうか。

会衆にもよるかもしれませんが、高校生でバプテスマを受けていないと、変わり者扱いされたり、バプテスマを受けるよう「励まされたり」します。

エホバの証人がよく使う「励ます」という言葉は、組織の提案を相手に押しつけるようにも思えるんですよね。
「励ましている」本人はなんとも思っていなくても相手にとっては重荷だったりするわけです。

「フィレモンへの手紙」14節には「あなたの良い行ないが,強いられたものではなく,あなた自身の自発的な意志によるものとなるためです。」と書いてあります。


イエス・キリストは29歳になってからバプテスマを受けたのに、なんでこの組織はこんなに早まらせるんでしょうね。これじゃ幼児洗礼と一緒ですよ。

集会中、子供たちはなにをしているべきか。

2008年04月15日 02時19分10秒 | 批判的意見
という質問に、普通のエホバの証人だったら「大人と一緒に話を聞いて、益を受けている」と答えると思います。

ふりがなを振られていない聖書や雑誌を持ち、大人ですら理解できないような話を聞いていなければならない。
居眠りしたり、ノートに落書きすることもゆるされない。
結局、ぼーっとしているしかないんですよね。

そういう環境で身につく特技とは、妄想にふけながらも話し手が言った聖句をきちんと開けることでしょうか。


2008年の「エホバの証人の年鑑」44ページに、ちょっとおもしろい写真があったので紹介します。
マダガスカルのものみの塔研究のようですが、左の子は頭に手を当てて大あくび。
真ん中の子は恍惚状態。その後ろの子は白目を向けて寝ています。

これが自然の状態でしょうか…

「啓示の書」の本がはげしくつまらん。

2008年04月15日 01時34分31秒 | 批判的意見
現在エホバの証人が書籍研究で研究している本が「啓示の書 その壮大な最高潮は近い!」という本なんですね。

この本が出版されたのは1988年で、かれこれ20年近く前です。

この本が出版されてから、多くの箇所が改訂されています。
訂正箇所の一覧は「王国宣教」に載せられたのですが、それを見ながら研究するというのも結構面倒です。

「大文字版」や「ペーパーバック版」では「王国宣教」に掲載された訂正箇所が反映されているのですが、それを大々的にアナウンスしないのは、多くの証人がすでにこの本を所有し、2回研究していることや会衆によっては古いハードカバー版が大量に在庫しているためかと思います。

ちなみに、「ウォッチタワーライブラリー2007年版」では「ペーパーバック版」と同等の記事を閲覧できるようです。(ただし挿絵はありません)


この本が出版したときは、20世紀が終わる前にハルマゲドンが来ると思っていたようですが、残念ながら21世紀になってしまいました。

「王国宣教」に掲載されている訂正箇所以外にも、2006年以降に印刷された版では「20世紀の今日」が「近年」となったり、「今日の20世紀では」が単に「20世紀では」と変更されたりしています。


この本は翻訳がだめなのか、元の英語からだめなのか知りませんが、ものすごく読みにくい上に理解しにくいんですね。
挿絵もなんだか気味悪いですし。

理解しにくい本をエホバの証人は「固い食物(しょくもつ)」と呼びます。
「乳」のような基礎的な事柄だけでなく、深い理解を得なきゃならん、というわけです。

ですが、この本が理解しにくいのは固い食物だから、というわけではなく単につまらないからだと思うんですね。
辞書を読んでいるような感じです。

出席者も本に書いてあることを読むことが「注解」だと思っているようで、理解している人はあまりいないようです。
先日の集会で、司会者が最後に「今日の内容からどんな益が得られましたか?」と質問したところ、だれも答えられる人がいませんでした。

多くのエホバの証人が望んでいるのは、早く2008年8月になって次の研究が始まることでしょうか。