久しぶりに紀伊国屋で三冊の本を買いました。
当分は手元の本を読むはずでしたのに・・・
先ず山折氏を読みました。著名な宗教学者です。
光栄にも私と同じ1931年のお生れです。
一人暮らしは「味わう」ものと仰せですが,
味わう心境がよくわかりません。
楽しむではいけないのでしょうか?
日本には老いと孤独を楽しむ伝統があるともおっしゃっています。
老いも孤独も私には楽しむことは難しい。
氏は去る年、病に罹られ、色々思うところおありだったとか。
その時3人の日本人が浮かんだそうです。
その1 西行 その2 芭蕉 その3 良寛
3人とも私でさえも多少はどのような生涯だったかを知っています。
共通点として先ず浮かぶのは 旅に流離っています。
西行は北面武士の高い地位を棄てました。
芭蕉は多くの弟子に慕われ俳諧師として尊敬されていましたが
曽良をお供に「奥の細道」を辿る旅に出ました。
良寛は越後の富裕な家に生まれましたが、出奔しました。
旅に出てからは3人とも多くの苦難がありました。
一夜の宿を乞わなければならない、野宿もしなければならない、
食も乞わなければならない・・・
それで旅の先に己の満足を得ることができたのでしょうか?
山折先生のおっしゃることが難しくてよく分かりません。
例えば 求める境地は「存在の軽み」だと先生は
言っておられます。
自然の中に身を委ねると、己の存在の小さいことを知るのでしょうか?
初読でわからない、気付かないことも再読で
わかることもあるのですが、今回ばかりはそうはいかないようです
宗教学者の言葉は私には難し過ぎます。