
前回、芭蕉さんは石巻から登米市あたりまで行きました。それから一日歩いて、やっと一関市、ここまで来れば、平泉はわりと近いんです。新幹線だって一関で下りなきゃいけないくらいに、すぐそこに平泉があります。
バスまたは東北本線で行けばいいんですけど、すぐそこにあるから、少し気持ちがゆるんでしまいます。どこがポイントかというと、中尊寺と毛越寺でしょうけど、それだけではなくて、なんにもない田んぼのあたりをフラフラ歩くだけでも、当時をしのぶことができます。人も住んでますが、なんにもない田んぼとか、山とかを見てると、タイムスリップできそうな感じなんですよ。
ちゃんと歩ける時期・季節に、しっかりと、一日かそれ以上かけて平泉を歩きたいです。私はお盆前とか、真冬とか厳しい時しか行ってない気がします。穏やかな季節に、千年前の都のあとを訪ねる、そうすると、建物はそこになくても、ちゃんと都の跡が残っているから、昔をしのぶことはできると思うんです。
残念ながら、私は汗だくでヒーヒー言いながら歩くしかありませんでした。いつか、穏やかな季節に訪ねてみたいです。

三代の栄耀(えいよう)一睡(いっすい)のうちにして、大門(だいもん)の跡(あと)は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野(でんや)になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。
藤原三代の栄華はひと時の眠りのように消えて、平泉の入り口となる大門は一里ほど手前にありました。秀衡の御所があったところは一面の田や野原になってしまっていて、金鶏山だけが当時の姿をとどめています。
金鶏山は、中尊寺と毛越寺の途中にある小さな山で、秀衡さんが作ったお山だそうです。その山頂に金の鶏を奉納しただなんて、秀衡さんは少し金を使い過ぎましたね。そりゃ、金を自分のものにしたい権力者に狙われますね。
平泉は、京都と同じように、東山があります。これは束稲山(たばしねやま)というお山で、てっぺんには風車とかあったような気がします。たぶん、そこまで行ったことがあります。
風車は憶えているのに、そこからの展望を憶えていないなんて、よほど風車が珍しかったのかなあ。
南北に北上川が流れています。鴨川よりも大きな川です。平野はあるのだけれど、京都盆地ほどの広さはないでしょうか。もう少し南に行くと、一関の広大な田園地帯があるんですが、そこから少し北の平泉は、少しだけ山が迫ってきているんでしょうか。
北西のところに山があって、この山を登ると中尊寺があります。平野に突然の山なので、下を見たら何度も何度も東北線を貨物列車が走って行くのが見えます。昔は、ここをたくさんの特急が走っていたというのに、そこを特別な車両が走らなくなって、もう40年くらい経つんでしょうか。
いや、もう少し最近まで北斗星とかカシオペアなどの寝台列車が走ってたのかなあ。残念ながら、乗ったことはありません。
私の個人的な思い出よりも、芭蕉さんの平泉でしたね。どこに行くんですか? 中尊寺はあとですね。駅から歩いて1時間足らずの高館という、義経さんゆかりの場所に行くんですね。そりゃ、芭蕉さんは判官びいきですから。

まず、高館(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るる大河なり。衣川(ころもがわ)は、和泉が城(いずみがじょう)をめぐりて、高館の下(もと)にて大河に落ち入る。泰衡(やすひら)らが旧跡(きゅうせき)は、衣が関(ころもがせき)を隔(へだ)てて、南部口(なんぶぐち)をさし堅(かた)め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。
最初に、義経のゆかりの高館に上りました。北上川は南部地方から南へと流れていく大河なのです。その支流の衣川は和泉が城を回ってこの高館から見えるところで北上川に合流しています。泰衡たちの館跡は、衣が関を隔てて、南部口を守っていて、蝦夷の人々を防ぐものだったようです。
高館って、わりとフラットな平泉の町中にひょっこりと盛り上がってる丘みたいなところだから、そういうお城にも使えそうなところに義経さんは住んでいたのかなあ。まあ、わりといい場所だったのだと思われます。好待遇されています。何しろ、平家を滅ぼした大将軍ですから、扱いは別格です。それがお兄ちゃんの頼朝さんは気に入らなかったんですね。嫉妬? 冷徹な判断? どうして源氏って仲間割れをするのかなあ。平家の結束を見習えばよかったのに。
この位置関係を説明する文章では、平泉の北側に衣が関があって、エゾの人々がその向こうに住んでいる。南部口とは、平泉の北側にあります。どうしてそれが南部というのかというと、それは分からないけど、盛岡は南部藩の城下町でした。南部さんという大名さんがいたんでしたっけ。エゾの人々やヤマトに所属していない地域が平安の終わりにもあったのかもしれないですね。

さても義臣(ぎしん)すぐつてこの城にこもり、功名(こうみょう)一時の叢(くさむら)となる。国破れて山河あり、城(しろ)春にして草青みたりと、笠うち敷きて、時のうつるまで泪(なみだ)を落としはべりぬ。
この高館の城にこもり、彼らが立てようとした功名はすべて草原になりました。武士たちの戦いはいつかは終わるものですが、お城の跡には草が生えるでしょうし、そこへ笠を敷いて座り、しばらくは茫然として涙を流すのみでした。
この高館の城にこもり、彼らが立てようとした功名はすべて草原になりました。武士たちの戦いはいつかは終わるものですが、お城の跡には草が生えるでしょうし、そこへ笠を敷いて座り、しばらくは茫然として涙を流すのみでした。

夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと
卯の花(うのはな)に兼房みゆる白毛(しらが)かな 曽良
見渡す限りの夏草ここで戦いがあったのか、はたしてその実感はない。けれども、たしかにここで戦いが行われ、名高きつわものたちが栄光を追いかけたのだ。
卯の花が咲いている。その花の中に髪振り乱して戦う兼房という年老いた武将の姿が見えるようだ。
★ 平泉の記事はまだ続きます。また次回に!