甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

月山のつづき……曽良随行日記より

2023年04月01日 17時18分28秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか

 いつもはホッタラカシの曽良さんの「随行日記」を見てみることにします。すごく丁寧に読みたい気持ちなんです。何だか不思議です。そんなに月山が気になるんですね。象潟がメインではなかったのかなあ。

○(六月)四日 天気吉。
 昼時、本坊へ蕎麦切(そばきり)ニテ被レ招(まねかれる)、会覚(というお坊さん)ニ謁(えつ)ス。并(ならびに)南部殿御代参ノ僧(盛岡南部藩のお殿様の代理でお参りしているお坊さん)浄教院(というところのお坊さん)・江州円入(飯道寺のお坊さん)ニ会ス。

 芭蕉さんたちだけではなくて、いろんなところから出羽三山にお参りに来ている人たちがいるようです。芭蕉さんも曽良さんも、お坊さんスタイルでやってきたわけですから、他のみなさんたちと同じでした。

 おそばをお昼に食べて、こちらでお参りの人たちそれぞれが、江戸で有名な俳諧の先生が来られた、夜にはみなさんで五七五、七七で連歌をしましょうねという話になったでしよう。俳諧の楽しみ・お互いにその場でどんな言葉をひねり出すか、そういうお座敷芸みたいなの、やってみますかというお誘いですね。山は深いし、時間はあるし、どれ、やってみようじゃないの、というところかな。

 俳、表(俳句は紙の表に八句できたところで休憩)計(ばかり)ニテ帰ル。三日ノ夜、稀有(けう)に観修坊(京都のお坊さん)釣雪逢、互ニ泣第(涕泣 きゅうてい)ス。 

 三日の夜、「ありがたや雪をかをらす南谷」という芭蕉さんの、土地への挨拶の句をスタートにして、集まった面々がその後をつなげるのですが、時間はかかるので、八句ほど作ったらお開きになったそうです。

 そして、京都の山科の観修寺の釣雪(きんせつ?)というお坊さんに会ったということなのでしょうか。はるばるこんなところで会えたから、
「お互いによくもまあ、こんなところで出会ったねえ。」
「人生って、不思議だね。いやいや、これも出羽三山のおかげかな。」
などと涙をこぼし合ったんですね。

 何だか、かわいらしいオジサンたちです。いや、芭蕉翁といったって、五十になってないかもしれないし、みんな若くして大人になっていたんでしょう。今の世の中みたいにみんなでモラトリアムするのは禁物でした。あの曽良さんも、柄にもなく泣き合ったりしたなんてね。

○五日 朝ノ間、小雨ス。昼ヨリ晴ル。昼迄(ひるまで)断食(だんじき)シテ註連(しめ)カク。夕飯過テ、先、羽黒ノ神前(羽黒権現)ニ詣(もうず)。帰、俳、一折ニミチヌ。 

 四日は、月山に登る準備と、そこに集った人たちとの交流でした。五日は、いよいよ精進潔斎して心身ともに清めています。羽黒山にもお参り、四日の俳句の続き、一通り俳句を作り終えました。

○六日 天気吉。登山。三リ、強清水(こわしみず)。二リ、平清水(ひらしみず)。二リ、高清(たかきよ)。是迄(ここまで)馬足叶(かなう)。道人家、小ヤガケ也。

 六日は天気は良し。強清水、平清水、高清までと少しずつ道を登ります。歩いたのかなと思ったら、ここまで馬のおかけでたどり着くことができました。案内人のおうち・休憩所のような小屋に寝ることになります。

 弥陀原(中食ス。是よりフダラ、ニゴリ沢・御浜ナドヽ云ヘカケル也。難所成。こや有)御田有。

 弥陀ヶ原、ここで食事を取り、フダラ、ニゴリ沢、御浜というところに向かうようです。ここからは難所ということでした。小屋はそこにあります。神様の田んぼもあります。



 行者戻リ、こや有。申(さる)ノ上尅(じょうこく)、月山ニ至。先、御室(おむろ)ヲ拝シテ、角兵衛小ヤニ至ル。雲晴テ来光ナシ。夕ニハ東ニ、旦ニハ西ニ有由(よし)也。 
 
 行者戻りとは、役行者(えんのぎょうじゃ)さんが、登ろうとしているのに、簡単に登らせまいとしたのか、ここまで押し戻したところが地名になっているようです。小屋がありました。午後三時半ころ、月山の山頂にたどり着きました。御室とは、月山権現をおまつりしているところで、こちらにまずお参りしました。角兵衛小屋に着きます。雲はなく晴れているけれど、御来光はありませんでした。東側は雲がありましたね、残念ながら。夕方には東に、朝になれば西にいいこともあるでしょう。







 




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