草間弥生さんのカボチャに迎えられて、福岡市美術館の中へ入ります。折りたたみ傘は外にある傘立てに立てかけました。ロビーは閑散とした感じです。初日なのに、もっと人混みはないものかと思っていたら、奥の方では何か盛り上がっていました。
成田亨さんは、青森県出身の人で、デザイナーというよりクリエイターでしょうか。主に特撮の現場で、人々の心に触れるものを作り上げていきました。簡単に言ってしまえばそれまでですが、ものを作り出すというのは大変な作業なのです。ものずこく試行錯誤し、あれこれ調べ、研究して、少しずつ作られていったものを、小さい頃の私は毎週のように消費していたんでした。
時には心ひかれ、時には不満に思い、たいていはずっと魅入られてしまい、テレビ画面で二度と見ることはできないけれど、心の中に怪獣たちが暴れる姿を心に刻んでいたのです。その肝心の怪獣たちを生み出してくれた人でした。
さあ、ここを右に曲がれば、怪獣たちが待っています。40年も前に生み出され、いろんな形で生きている怪獣・宇宙人、それらは二次元の存在だろうと思っていました。でも、入り口にはダダおじさんがいました。オープニングイベントとして、数人の子どもたちと、たくさんの大人たちに囲まれて、写真を撮られています。
少し造形としては手作り感がありすぎて、少し雑なのかもしれないですが、気分を盛り上げるには十分です。ザンネンながら一緒に記念写真は撮れなかったけれど、お姿を入り口で見られたところで少し幸せになりました。
今回の成田亨展開催のために、福岡市美術館は8種類のチラシを用意したそうです。福岡市役所に立ち寄ったのも、そのチラシをもらってくるために立ち寄ったのでした。7種類は公開していて、1つだけシークレットチラシがあるそうで、どれがどうなっているのかわからないままに、とにかくあるだけもらえればそれでいいやと、もらいまくってきました。
ガラモンが一番めなんでしょう。
その次がウルトラマンで、その他のウルトラ怪獣はチラシに採用しないで、成田さんの画業のいろいろな面を紹介しようというのです。
成田さんはウルトラセブンを途中で切り上げさせられて、円谷プロが制作したマイティジャック立ち上げに参加しました。ここでも大活躍しますが、番組そのものが盛り上がらなかった。円谷プロは人間のドラマが盛り上がらないですもんね。見る方が怪獣だけを期待してみるから悪いのか、それとももともと人間のドラマは二の次という考えがあったのか……。私はまあまあ好きだったですし、その後のコント55号の公開ショウ的な番組は、あまり好きにはなれませんでした。少なくとも私は怪獣を期待していたのでしょう。ダメでしたね。
カッパや鬼など、日本に古くから伝わる怪物たちを作り上げたものなど、その生涯のおりおりに生み出していったものを資料と一緒に展示してあって、昼からは奥さんと息子さんの講演会が開かれる予定で、そこにも参加するつもりで初日に出かけたんでした。
でも、私は二十数年前、友人の結婚式に来て、その時に歩いた博多の街を歩きたくて、美術館を出てしまい、博多駅へと歩き出しました。どうしてこう無目的に歩くのが好きなんでしょう。こういう性格なので、よく奥さんから「無意味に歩かされた」と言われます。
確かに、その通りで、変なムシが騒ぐのです。知らない街ならなおさらで、クルマの走らない、どこかで誰かに会えるかもしれない通りを歩くのです。
今回は、友人に会えたら、さらに良かったのです。
さあ、中之島にたどりつき、たくさんあるお店のどこかに入って、そこに暮らす人々の空気を吸えばいいのに、勇気とお金がなくて、とうとう櫛田神社にたどりつきます。ここまで来れば博多駅はもうすぐです。
町中の神社で、初詣のお客さんが並んでいて、私もその列に加わり、お祈りして、お祭りの山車も見上げて、さて、これからどうしようと思案をしたのでした。ポケットに入れたケータイは動きませんし、肝心の友人の電話番号がわからないのです。
成田亨さんは、青森県出身の人で、デザイナーというよりクリエイターでしょうか。主に特撮の現場で、人々の心に触れるものを作り上げていきました。簡単に言ってしまえばそれまでですが、ものを作り出すというのは大変な作業なのです。ものずこく試行錯誤し、あれこれ調べ、研究して、少しずつ作られていったものを、小さい頃の私は毎週のように消費していたんでした。
時には心ひかれ、時には不満に思い、たいていはずっと魅入られてしまい、テレビ画面で二度と見ることはできないけれど、心の中に怪獣たちが暴れる姿を心に刻んでいたのです。その肝心の怪獣たちを生み出してくれた人でした。
さあ、ここを右に曲がれば、怪獣たちが待っています。40年も前に生み出され、いろんな形で生きている怪獣・宇宙人、それらは二次元の存在だろうと思っていました。でも、入り口にはダダおじさんがいました。オープニングイベントとして、数人の子どもたちと、たくさんの大人たちに囲まれて、写真を撮られています。
少し造形としては手作り感がありすぎて、少し雑なのかもしれないですが、気分を盛り上げるには十分です。ザンネンながら一緒に記念写真は撮れなかったけれど、お姿を入り口で見られたところで少し幸せになりました。
今回の成田亨展開催のために、福岡市美術館は8種類のチラシを用意したそうです。福岡市役所に立ち寄ったのも、そのチラシをもらってくるために立ち寄ったのでした。7種類は公開していて、1つだけシークレットチラシがあるそうで、どれがどうなっているのかわからないままに、とにかくあるだけもらえればそれでいいやと、もらいまくってきました。
ガラモンが一番めなんでしょう。
その次がウルトラマンで、その他のウルトラ怪獣はチラシに採用しないで、成田さんの画業のいろいろな面を紹介しようというのです。
成田さんはウルトラセブンを途中で切り上げさせられて、円谷プロが制作したマイティジャック立ち上げに参加しました。ここでも大活躍しますが、番組そのものが盛り上がらなかった。円谷プロは人間のドラマが盛り上がらないですもんね。見る方が怪獣だけを期待してみるから悪いのか、それとももともと人間のドラマは二の次という考えがあったのか……。私はまあまあ好きだったですし、その後のコント55号の公開ショウ的な番組は、あまり好きにはなれませんでした。少なくとも私は怪獣を期待していたのでしょう。ダメでしたね。
カッパや鬼など、日本に古くから伝わる怪物たちを作り上げたものなど、その生涯のおりおりに生み出していったものを資料と一緒に展示してあって、昼からは奥さんと息子さんの講演会が開かれる予定で、そこにも参加するつもりで初日に出かけたんでした。
でも、私は二十数年前、友人の結婚式に来て、その時に歩いた博多の街を歩きたくて、美術館を出てしまい、博多駅へと歩き出しました。どうしてこう無目的に歩くのが好きなんでしょう。こういう性格なので、よく奥さんから「無意味に歩かされた」と言われます。
確かに、その通りで、変なムシが騒ぐのです。知らない街ならなおさらで、クルマの走らない、どこかで誰かに会えるかもしれない通りを歩くのです。
今回は、友人に会えたら、さらに良かったのです。
さあ、中之島にたどりつき、たくさんあるお店のどこかに入って、そこに暮らす人々の空気を吸えばいいのに、勇気とお金がなくて、とうとう櫛田神社にたどりつきます。ここまで来れば博多駅はもうすぐです。
町中の神社で、初詣のお客さんが並んでいて、私もその列に加わり、お祈りして、お祭りの山車も見上げて、さて、これからどうしようと思案をしたのでした。ポケットに入れたケータイは動きませんし、肝心の友人の電話番号がわからないのです。