
その人の存在やことばが、まわりの人たちを和ませることって、ありますよね。ついこの間まではそういうのを「オーラがある」という風に表現してきたようです。
最近はそういう人に出会うチャンスもないですけど、確かにそういうのがあるような気がするんです。
秦という国が滅んでから、項羽という人が天下を取りました。でも、項羽さんの治世は落ち着きがなかった。項羽さんがどんな風に世の中を治めていくのか、何も見えないし、ただ戦争だけが上手で、すべてを押さえつけてきた人でした。
そういうことをしているところ、今もたくさんありそうです。ミャンマーは再びそういう国に転身してしまいました。スーチーさんもイマイチ信用できなかったけれど、とりあえず、軍部を抑えようと努力したんでしょう。
現在の中国も、もちろんそう見えます。自由はないですし、お金持ちが世界で活躍しているだけです。国内では、あまり出しゃばったことはしてはならないし、いろいろな規制はあると思います。そして、圧倒的な軍事・警察力・情報力ですべてを抑え込もうとしている。

そういう抑圧的な政治権力はいつかはほころびる時が来る、と私は信じていますが、何千年も軍事力をバックに人々を押さえつけるシステムが存在するのであれば、これは権力者の当たり前であって、人々なんて、そのいうことを聞かざるを得ないのかもしれません。
さて、やがて、項羽さんはパンクします。国を経営する指針がなかったから、その他の勢力に侵食され、最後は劉邦さんに敗れてしまいます。
勝利した劉邦さんにはたくさんの知恵袋がいて、本人もそれなりに年を取ってきて、人々の心をつかむことができるようになっていた。
実力者や長老など、実際に政治に当たる人々を集めて宣言します。前の時代の秦というのは法治国家で、たくさんの規則や決まりがありました。あれをしてはダメ、これも許さぬと、縛りまくっていた(今の中国みたいです)。
そういうのに懲りていた人々への最初のメッセージが、「人を殺した者は死刑、人を傷つけた者および盗みをした者にもそれ相応の罰を与える。それ以外の秦の法律はすべて取りやめにする。」というものでした。
殺人、傷害、窃盗の三つが犯罪、これが唯一の法律だ、という「法三章」でした。

政治的なパフォーマンスでもあり、その後から様々な規則や法令は生まれたでしょうけれど、生まれたばかりの国のスタートとしては自然で、のびやかでした。
それから二千年くらい過ぎて、日本で『史記』とか、『十八史略』などを習った人々に、蕪村さんは俳句で呼びかけるのです。
畑うちや法三章の札のもと
農作業の初めに、麦の生産をめざして畑作業をするのだけれど、今まではたくさんの法律に縛られてしんどかったけれど、これからは法三章だけになり、気分も新たにやっていこうではないか。
そういう内容でした。なかなかうまくまとめたなあという気がするし、この一句で二千年の時空を飛び越えられそうで、ことばの魅力があるなあと感じています。
今朝、フトンから出る前にこのことを書こうと、お告げを受けたような気がしました。シンプルに生きていこう、そう思ったのかもしれません。
