甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

増賀上人と芭蕉さん

2017年01月05日 09時47分10秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか
 『撰集抄』の巻1の第1話に、こんな話があるそうです。

 昔、増賀聖人(ぞうがしようにん)という人がおられました。あれこれ修行はしたけれど、ある時思い立って伊勢神宮にお参りしたそうです。そこで夢を見ます。

「道心を発(おこ)さんと思はば、この身を身とな思ひそ」と示現(じげん)を蒙(こうむ)り給ひけり。

 うちおどろきて思すやう、「『名利を捨てよ』とにこそ、侍るなれ。さらば捨よ」とて、着給へりける小袖・衣、みな乞食どもに脱ぎくれて、一重なるものをだにも身にかけ給はず、赤裸にて下向し給ひけり。

 見る人、不思議の思ひをなして、「物に狂ふにこそ」、みめさまなんどのいみじさに、「うたてや」なんど言ひつつ、うち囲み見侍れども、つゆ心もはたらき侍らざりけり。


 夢のお告げでは、「道に達しようとするのならば、自分の体を大事なんて思わないでいなさい」というものでした。

 そのお告げを聞き、増賀さんは、「そうか。神様はすべてを捨てなさいとおっしゃるんだな」と納得して、スッポンポンになって、比叡山に戻ることになりました。

 帰る途中、まわりの皆さんには「何なの、あれ?」と不思議がられたり、びっくりされたけれど、全く気にせずにおられたというのです。さあ、比叡山に帰ります。



 道々(みちみち)物乞(ものご)ひつつ、四日といふに山へのぼり、もと住み給ひける慈恵大師(じかくだいし)の御室に入り給ひければ、「宰相公の物に狂ふ」とて見る同法もあり。また、「かはゆし」とて、見ぬ人も侍りけるとかや。

 師匠の、ひそかに招き入れて、「名利(みょうり)を捨て給ふとは知り侍りぬ。ただし、かくまで振舞ふは侍らじ。はや、ただ威儀を正して、心に名利を離れ給へかし」といさめ給ひけれども、

「名利を長く捨て果てなんのちは、さにこそ侍るべけれ」とて、
「あら、たのしの身や。おうおう」とて、立ち走り給ひければ、大師も門の外に出で給ひて、はるばる見送り侍りて、すぞろに涙を流し給へりけり。


 師匠筋に当たる慈覚さんは増賀さんを呼び入れてこう言います。「何もかも捨ててやっていこう、というのはわかります。でも、それは心の問題であって、素っ裸でよいというのではありません。」

「お師匠様、それはすべてを長く捨てた後には、心もすべてを捨てることができます。でも、今はこうしてスッポンポンで、やっていくのが楽しいのでございます。」そう述べたら、師匠の部屋から出て行ってしまいます。
その後ろ姿を見送り、慈覚さんは涙をお流しになったそうです。

 その後は、どうなるんでしょう?



 増賀さんは大和国の多武峰(とうのみね)の智朗禅師(ちろうぜんじ?)のもとにたどりつきます。

 げにも、うたてしき物は名利の二つなり。まさしく貪・瞋・痴の三毒よりこと起りて、この身をまことある物と思ひて、これを助けんために、そこばくの偽りをかまふるにや。武勇の家に生るるものは、胡録の矢をはやくつがひ、三尺の剣を抜きて、一陣をかけて命を失ふも、名利勝他のためなり。柳の黛(まゆずみ)細く書き、蘭麝を衣に移し、秋風の名残を送る姿ともてあつかふも、名利の二つにすぎず。

 人間の求める「名利」というものが、自分のためだと偽り、その偽りを貫き通すために、様々に外見を装い、それらしくみせるものである。少し省略しすぎているし、うまく訳せてないけど、そういう感じかな。読めない文字もありますね。



 また、墨染(すみぞめ)の袂(たもと)に身をやつし、念珠を手に繰るも、せんは、ただ、「人に帰依(きえ)せられて、世を過ぎん」とのはかりごと、あるいは、「極位極官をきはめて、公家の梵筵につらなり、三千の禅徒にいつかれて」と思へり。名利の二つを離れず。

 武士の外見だけではなくて、墨染めの衣を着た法師でさえも、すべてを捨てて仏に帰依するというのは建前だけで、心の中は、檀家さんを増やしたいとか、僧としての高位高官を求めたり、弟子をたくさん持ちたいとか、公家さんとつきあいたいとか、野心を持っていたりするものだ。僧といえども、やはり「名利」にとりつかれている。



 この理(ことはり)を知らざるたぐひは、申すに及ばず。唯識・止観に眼をさらし、法文の至理をわきまへ侍(はべ)るほどの人達の、知りながら捨て侍らで、生死の海にただよひ給ふぞかし。誰々もこれをもて離れんとし侍れど、世々を経て思ひなれにしことの、あらためがたさに侍り。

 目先の名利にとらわれている人たちはある意味仕方がない。彼らにはそれが目的なのである。けれども、ある程度悟りを開き、物事が分かっておられる方々でも、「名利」を捨てることができず、そのままとなっていることだ。

 しかあるに、この増賀上人の、名利の思ひをやがてふり捨て給ひけん、ありがたきには侍らずや。

 これまた、伊勢大神宮の御助けにあらずは、いかにしてかこの心もつき侍るべきなる。

 貪痴(どんち)のむら雲引き覆ひ、名利の常闇(とこやみ)なる身の、五十鈴川の波にすすがれて、天照大神の御光に消えぬるにこそ、かへすがへすかたじけなく、貴く侍り。 このこと、いつの世にか忘れ奉るべきなる。


 みんな「名利」を捨てきれないでいるのに、増賀上人がそこまでして振り捨てようとしたのは、とても貴重だと思われます。

 これも伊勢神宮のお力で、このようなお気持ちになったのではないでしょうか。

 貪る気持ち、名利を求める心が、伊勢神宮のそばを流れる五十鈴川の波に洗われて、天照大神さまの光で消え去ったことが、もったいなく、本当に尊いものです、伊勢神宮のありがたさと、そこで開かれた増賀上人の行動は、忘れてはならないのです。

 いいかげんな訳を作りました。

 結局、「名利(みょうり)」というものにとらわれるからダメなんだという自らの信念を得て、それをひたすら実践した、みたいなことが書いてあるような気がします。



 さあ、やっと芭蕉さんです。

  裸にはまだ衣替着(きさらぎ)の嵐哉(かな)

 増賀上人の故事にあやかって裸になろうと思っても、まだ二月の風は冷たく、それよりもむしろ衣を重ねたいほどだ。

 芭蕉さん、45歳の時の作品だそうで、二月四日に神宮参拝。十七日に伊勢山田を去り、翌日には伊賀の実家に帰ったということでした。

 西行さんが訪れ、増賀さんが悟りを得たという伊勢神宮のことをベースに作品化したということです。

 旅をしていくと、いろんな人のゆかりの地があって、彼が心のふるさととした伊賀の国に隣接する伊勢の国の神宮には、いろんな人がいろんな啓示を受けた話があったと思われますが、とにかく西行さんと増賀さんは特別だったということです。

 多武峰も好きなところだし、また今度行ってみないといけないです。


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