甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

倫敦のおでん屋

2017年01月04日 05時39分50秒 | 古本探しの旅
 将来、松阪の倉庫スペースで古本屋さんをする、というのが最近の目的になりつつあります。でも、淡い夢で、実現しないかもしれない。「それはなかなかいいですね」と言ってくれる人もいれば、ノーコメントでスルーされることだってあります。

 古本屋って、たぶん儲からない。もちろん私も儲けようという気持ちはまったく持っていない。ただ、小さな町には、それぞれの古本屋があって、ごひいきにしているオジサンたちが集まり、古本談義などをしている。それが町の賑わいなのだ、と思ったりします。

 私の住む町にも、そういうエアポケットみたいなお店があってもいいし、松阪に観光に来た人たちが、ホッとできるようなところ(今はそういうところがあまり見あたりません。カネをせびる場所はあるけれど、ぼんやりするところはありませんねえ。観光地って、もちろんカネが大事なんですけど、そればっかりじゃ、イヤになってしまう)、そういうところが欲しいと思うのです。

 だいそれたことを考えています。私みたいな者が、そんな立派なものを作れるのでしょうか。たぶん無理ですし、いい年をしたオッサンが、採算度外視の商売をしようなんて、まともな大人が言うことではありません。若者ならいざ知らず、オッサンはある程度計算ができなくてはいけない。せめて、地域のバックアップがなくてはならない。

 そういうものを持たない私は、口では言うけど、たぶん実現しないままに終わっていくのでしょう。



 それで、正月、実家で家族でお酒とかを飲んでいると、将来の話になりました。明日のこともわからないのに、将来のことはもちろんわからない。それが事実なのに、母は、私がふたたび大阪に戻り、そこで母を支えながら生きていってくれたら、みたいな考えを持っているみたいです。もし何だったら、カゴシマにも家があるから、そちらで住んだらどうだ、などと言う。

 生活手段もなしでカゴシマに行くということは、生活そのものが破綻していますし、日々のくらしが成り立たないし、私には愛する奥さんがいて、彼女はカゴシマに住むということにものすごく抵抗があるというのか、あまりに遠いところへ、突然連れ去られる感じがして、とてもそんな気にはならないようです。

 私も、カゴシマで生きることに自信がありません。ついつい慣れてきた三重県の方が楽な気がします。地震は心配だけど、自然はたくさんあるし、それなりに関係もできてきたし、ここで生きていきたい。



 酔った弟は言います。「古本屋なんて、だれも本なんか読まない。もうからんからやめとけ。そんなんよりロンドンでおでん屋したら、絶対儲かるで。これやったらええわ。」

 ロンドンに行ったこともない私は、ただただ閉口するばかりで、そのあまりに突飛なアイデアについていけませんでした。

 そりゃ、おもしろい気はします。たぶん、屋台でやるのかなあ。東洋人のケッタイなお店で、こんにゃく・厚揚げ・ダイコンなどを、みそをつけたり、からしをつけたりして食べる。おもしろいけれど、私には無理ですね。
 
 そもそも商売って、できるんだろうか。……たぶん無理かも。



 だったら、どうするんだよ。それが問題です。生きなければならない。そのためには生活手段が必要だ。それは得意不得意など関係なく、家族とともに生きていくためには、やらなければならない。

 そうしたら、何をするのか?  答えはみつかりません。今後、検討していきたいです。


★ ラジオを聞いていて、ハッと思ったことがありましたので、ここに書いておきます。どういう番組のどういう流れだったのか忘れましたが……。

 若い人に仕事の大切さを尋ねてみると、「家族のため」「自分の生きがいのため」「生活のため」「お金のため」などと答えるそうです。

 そこで、現代と昔とを比べてみて、違いは? という問いかけがあって、ラジオでは、「仕事というのは、自分のためという視点もあるけれど、昔の人にとっては、社会のためという視点がありました」というのを聞かされました。

 そうか、仕事というのは、確かに自分が生きていくためにはやっていかないといけないけれど、それは結果として社会のためになることなのだ。というのは、私たちが持って行きたい視点です。それが増長するのはよくないけれど、適度に社会に何かお役に立てるようにしていく、という考え方、必要ですね。

 私も、社会のため・地域のために、古本屋さんできたらいいのになあ。(2017.1.9 8:46am)


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