甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

菅笠日記08 長谷寺へ 

2018年03月14日 23時20分15秒 | 宣長さんの旅

 宣長さんは、仏教徒なんだろうか。神道なんだろうか。お墓にお参りしていないから、わからないけど、たぶん観音様にはお祈りを捧げたことでしょう。そりゃもう、ありがたい仏様ですからね。

 でも、私みたいなチャランポランなやつなど、観音さんも忙しいから、見てられないよということかな。いや、私の信仰心がダメですよ。そちらを反省しなくては! でも、花粉症で何かを信じるという気持ちにもなれないな。

 信じるんだったら、まず身のまわりの人を信じなくては! 私は、そこから始めなくちゃ!


★ その八

 なほ山のそはぢをゆきゆきて初瀬ちかくなりぬれば、むかひの山あひよりかづらき山・うねび山などはるかに見えそめたり。よその国ながらかゝる名どころは明くれ書(ふみ)にも見なれ歌にもよみなれてしあれば、ふる里びとなどのあへらんこゝちして、うちつけにむつましく覚ゆ。

 さらに街道を進んでいきますと、長谷寺に近くなってきます。そうすると、山の間から葛城山や大和三山の畝傍山(うねびやま)がはるかに見渡せるようになります。これらの山々は大和の国にはありますが、日々の暮らしの中で書物でも目にすることが多く、和歌などに詠まれていたりするので、まるで故郷の人に会えたような心地がして、不意に懐かしい気がしました。


 けはひ坂とてさがしき坂をすこしくだる。この坂路よりはつせの寺も里も目のまへにちかくあざあざと見わたされたるけしきえもいはず。大かたこゝ迄の道は山ぶところ(*ママ)にてことなる見るめもなかりしに、さしもいかめしき僧坊・御堂のたちつらなりたるをにはかに見つけたるは、あらぬ世界に来たらんこゝちす。

 化粧坂という急な坂道を下ります。この坂道は長谷寺もその門前町の集落も近づいてきてはっきり眼下に見渡せる様子がなんとも言えないのです。ここまでの道はずっと山の中の道で、たいした景勝の地もなかったのに、壮大な僧房やお堂が山のあちらこちらに立ち連なる様は、まるでこの世のものでないところに来てしまったようです。

★ 鎌倉などいろんなところに「化粧坂(けわいざか)」という地名は各地にみられるそうで、多くは中世の国府や守護所などの近くにあるようです。それらの伝承においては、境界にあたる坂であり、「身だしなみを整える」坂ということでこのような名がついたようです。


 よきの天神と申す御社(みやしろ)のまへにくだりつきて、そこに板ばしわたせる流れぞはつせ川なりける。むかひはすなはち初瀬の里なれば、人やどす家に立ち入りて、物くひなどしてやすむ。うしろは川ぎしにかたかけたる屋なれば波の音たゞ床ゆかのもとにとゞろきたり。
   はつせ川 はやくの世より ながれきて 名にたちわたる 瀬々のいはなみ

 与喜天神というお社の前までたどり着き、木の橋を渡ってみれば、その下には初瀬川が流れています。名張あたりでは東に流れていた川が、ここでは西に流れているようです(分水嶺を越えたのですね)。川を渡ってみると、道沿いに長谷の参道があります。旅人を宿泊させる宿がいくつも並び、その一つに入り休憩をしました。その店の背後には先ほどの川が流れており、川の流れる音が店の中まで響いています。

  初瀨川は遠い昔から流れており、名前は川の流れと同じように響いていて、川の瀬の岩や波の中を流れています。


 さて御堂(みどう)にまゐらんとていでたつ。まづ門を入りて、くれはしをのぼらんとする所に、たがことかはしらねど、だうみやうの塔とて右の方にあり。やゝのぼりてひぢをるゝ所に貫之(つらゆき)の軒端の梅といふもあり。又蔵王堂産霊むすぶの神のほこらなどならびたてり。

 さあ、本堂にお参りをしようとお寺をめざします。門をくぐり、階段を上っていくところに、どのような方なのかわかりませんが(道明上人は、寺伝によれば初瀬山の西の丘に三重塔を建立し、長谷寺を開基したとされる人物だそうです)、道明の塔というのが右手にあります。少し上ったひじを折るような曲がり角に紀貫之の軒端の梅というのもあります。それから蔵王堂産霊むすぶの神のほこらなど並び立っています。


 こゝより上を雲ゐ坂といふとかや。かくて御堂にまゐりつきたるに、をりしも御帳(みちょう)かゝげたるほどにて、いと大きなる本尊のきら/\しうて見え給へる、人もをがめばわれもふしをがむ。

 階段を上がりきったところから上を雲井坂というそうではあります。本堂にたどりついてみれば、ちょうど本尊の前のとばりもかかげてあって、とても大きな観音様がきらきらと輝いておられます。同行の人たちは観音様を拝み、私もありがたく拝ませていただきま
した。


 さてこゝかしこ見めぐるに、この山の花大かたのさかりはやゝ過ぎにたれど、なほさかりなるもところどころにおほかりけり。巳の時とて貝ふき鐘つくなり。昔清少納言がまうでし時も、俄(にわか)にこの貝を吹きいでつるにおどろきたるよしかきおける、思ひ出られてそのかみの面影(おもかげ)も見るやうなり。

 お寺のあちらこちらをめぐってみますと、山内の桜はみな盛りを過ぎてしまっていはいますが、まだ咲き誇る木々もあり、春の名残りを味わうことができます。巳の時(午前十時)ということでホラ貝を吹いて鐘をつくようです。その昔、清少納言がお参りに来たときにも、突然にホラ貝が吹き鳴らされてビックリしたというようなことが書かれていましたが、そうしたことも思い出され、古き時代の面影を見るようです。


 鐘はやがてみだうのかたはら、今のぼりこしくれはしの上なる楼になんかゝれりける。
  名も高く はつせの寺の かねてより きゝこしおとを 今ぞ聞ける
  ふるき歌共にもあまたよみける、いにしへの同じ鐘にやといとなつかし。

 その鐘は本堂のそば、今ずっと上ってきた階段の上の鐘楼に掛かっています。
  昔から名高い長谷寺の鐘の音は、私が今その横を抜けてきて、昔の人々もずっと親しんできた鐘の音を今、私は聞いているのです。
 昔から歌にもたくさん詠まれてきた、古くからある鐘の古くから変わらない音なのだととても親しみが増してきます。


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