甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

龍之介さんの冒頭コレクション その1

2020年05月10日 16時10分09秒 | 本と文学と人と

 すごい昔、芥川龍之介さんの小説の冒頭を集めたことがありました。今だったら簡単なことなのに、昔は大変だったんですよ。それで、わりとおもしろいこもあるものだと発見もあったんですけど、今ならどうだろう?

 1892年(M25) 3月1日、東京の新原敏三さんの長男として生まれたそうです。生後7か月で実母のフクさんが発狂して、母の実家の芥川家に引き取られたそうです。 
 1915年(T4)12月、漱石の木曜会に初めて出席したそうです。漱石先生は48歳、芥川さんは22歳ということになりますか。
 1916年(T5)12月、海軍機関学校の英語の教官となったそうです。月俸60円。
どうして12月だったんだろう。軍隊だから、普通とは違う採用だったんでしょうか。その7年前に啄木が朝日新聞の校正係で月給25円ということですから、帝大卒だし、それなりだったんでしょう。そのまま一万円にしたら、25万と60万円の給料ということであれば、啄木さんとの差は歴然です。

1 或る日の暮れ方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門の下には、この男の外には誰もいない。ただ、所々丹塗りの剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男の外にも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男の外には誰もいない。(1915)
 22歳の時に、これを書いているんですね。才能あるよね!

2 禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇の上から顎の下まで下がっている。形は元も先も同じように太い。いわば細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。(1916)
 これも有名な作品です。説話ものですね! 鼻の長いお坊さんの話。

3 元慶の末か、仁和の始めにあった話であろう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を、勤めていない。読者はただ、平安朝という、遠い昔が背景になっているということを、知ってさえいてくれれば、よいのである。--その頃、摂政藤原基経に仕えている侍の中に、某という五位があった。(1916)
 地方の武士がこれくらい力をつけていたというエピソードをネタにしています。

4 煙草は、本来、日本になかった植物である。では、何時頃、舶載されたかと云うと、記録によって、年代が一致しない。或いは、慶長年間と書いてあったり、或いは天文年間と書いてあったりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行なわれていたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者」と云う落首が出来た程、一般に喫煙が流行するようになった。(1916) 
 この話は、高校の先輩から教わりました。こういうのを作れるんだから、芥川さん頭いいよなとつくづく思ったものでした。今の若い人に通用するかどうか。

5 天保二年九月の或る午前である。神田同朋町の銭湯松の湯では、朝からあいかわらず客が多かった。式亭三馬が何年か前に出版した滑稽本の中で、「神祇、釈教、恋、無常、みないりごみの浮世風呂」と云った光景は、今もその頃と変わりはない。(1917)
 平安時代から中世へ向かい、そこから江戸へと飛んでいきました。何が専門なんだろう? 何が描きたかったんだろう?



6 或る日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮の池のふちを、一人でぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蘂(ずい)からは、何とも云えない好い匂いが、絶え間なくあたりへあふれております。極楽は丁度朝なのでございましょう。
(1918)
 これは小学生の時に読ませてもらいました。地獄の世界も教えてくれて、ありがたいやら、どちらかというと、怖いやら。カンダタは自分自身だとつくづく思いました。

7 元禄七年十月十二日の午後である。一しきり赤々と朝焼けた空は、又昨日のように時雨れるかと、大阪商人の寝起きの眼を、遠い瓦屋根の向こうに誘ったが、幸い葉をふるった柳の梢を、煙らせる程の雨もなく、やがて曇りながらもうす明るい、もの静かな冬の昼になった。(1918)
 とうとう芭蕉さんもネタに使っちゃうんだから、たいしたものでした。そして、ボクはこのあたりはちゃんと読んでなくて、芥川さんには申し訳ないんです。

 いつか読ませてもらおうと思いつつ、何十年も放置しています。そもそもうちにあるんだろうか。ひょっとしてないかもしれない。

8 或る春の日暮です。
 唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
 青年の名は○○○といって、元は金持ちの息子でしたが、今は財産を費い尽くして、その日の暮らしにも困るくらい、あわれな身分になっているのです。(1920)
 このお話、中一の時、新潮文庫を買って、母に読み聞かせしたことがあるような気がします。うちの母も好きな話ではなかったかな。

 そういう親子の読み聞かせ、子から親というのも、またいつか、やれる時が来るだろうか。今度はボクが誰かにしてもらうか? いや、ボクは声は悪いですけど、朗読自信あるんだけど、誰かにしてあげたらアカンのかな? また考えます。




★ 1・羅生門  2・鼻  3・芋粥  4・煙草(たばこ)と悪魔
 5・戯作三昧  6・蜘蛛の糸  7・枯野抄  8・杜子春 

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