甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

鬼とクレーンと こんな人たちがいた!

2022年11月10日 21時17分10秒 | 本と文学と人と

 今日やっと、井上荒野さんの「あちらにいる鬼」(2019単行本→2021文庫本)を買いました。ブックカバーは二重になっていて、1枚目は映画のキャストの3人が出ています。トヨエツさんは荒野さんのお父さんがモデルの光晴さん、寺島しのぶさんは瀬戸内寂聴さん、広末涼子ちゃんは光晴さんの奥さん役だそうです。

 ドキュメンタリーではなくて、小説ですから、作家の白木篤郎、長内みはるという名前になっていて、奥さんは笙子という登場人物に置き換えられています。でも、読者としては、光晴さんと寂聴さん(出家前だから晴美さんでしたね)との不倫を取り上げているのだと下世話に考えてしまいます。

 そうした難しい関係を娘の目からというのか、作家としてそれぞれを見てみようという姿勢で書いたものでしょうか。今日買って来たばかりだから、まるでわからないけれど、娘さんが父親をどんな風に描くのか、それが果たして小説として成立するのか、楽しみにしています。

 実はずっと前から探していて、この前たまたま見つけたんでした。それで、見てみたらカバーがこんなになっていて、あれまあ、知らない間に映画にもなったのか、話題になったのかなあ。キャストもまるで知らなくて、寺島さんは少し寂聴さんに見えたりするなあと感心したものでした。この時はカバーにびっくりして、買うのを止めてしまいました。

 それからしばらくしたら、新聞で新しい映画として公開されることになったというのを知ります。あの文庫カバーは古いものではなくて、今回映画化されたのを記念して大々的に売り出しているのだ、と今さらながら知ったのです。何ということでしょう。だから、前回見つけた時はカバーに怖気づいて買わなかったけれど、今回はあえて今の記念としてこのカバーのついてる文庫本を買わなくてはいけないのだと、断固として買うという気持ちが一杯でした。平積みにもされてました。

 それにしても世の中に疎い私です。映画は最近作られていたのか。ロードショーされてても、たぶん行かないかもしれない。なのに、本は買うのか……。



 私は井上光晴さんの「虚構のクレーン」は1975年の夏に読んだのだと思われます。それからずっとこの小説のファンを自任し、何かにつけて光晴さんのファンになってきました。

 この小説は、空襲に焼かれた街から逃げていく途中で出会った若い二人が、心通わせながらもなかなか会えなくて、再び会おうとした時には、彼女は長崎の町の中でいなくなってしまっていて、男の人はどうしようもなく町の中をさまよう、そんな話でした。最初の部分と長崎の町の描写が忘れられなくて、もう何十年も心に沈めてきました。

 あまりにインパクトが強くて、そこから別の作品はなかなか見つからなくて、あれこれ読みあさるうちに、別の作品も見つけられましたけど、私にとってはすごく大事な作品になりました。

 どういうわけか、うちの大学に講演に光晴さんが来てくださった時があって、もちろんお話は聞かせてもらいました。情熱と意志と強さと、そういうのを感じさせてもらって、しばらくしたら「全身小説家」というドキュメンタリー映画もできて、それなりにヒットしましたから、井上さんご自身も絵になる人だったのです。



 でも、私には、1975年の「虚構のクレーン」体験を吹き飛ばしてくれる作品は書いてくれてなくて、仕方がないから、ご本人はすごいんだけど、最近の作品は何だか面白くないなあ、という印象でした。申し訳なかった。

 そして、すでに光晴さんと寂聴さんの不倫はすでに進んでいて、私なんかの知らないところでそれはあった。私は、そういうことも知らないで、私の中では、とっかかりのない作家さんになっていました。

 そこからあとのご夫婦と寂聴さんの関係は、小説を読ませてもらって、その一端を知るしかありません。すべてが事実ではないだろうし、お話になっているので、面白おかしく描かれているところもあるのかもしれませんが、そのうちに読みます。

 寂聴さんと荒野さんは、荒野さんが作家になってから、「どうぞ書きなさい」と寂聴さんが勧めてくれて、そこから取材した話などもあったのかもしれません。光晴さんは早く亡くなられたから、荒野さんはお父さんの話をしてくれる寂聴さんか本当にうれしかったろうと思うのです。母親にとっては許せない不倫相手だったかもしれないけど、父親もなくなり、その父はどんどん時間のかなたに消えていくだろうし、少しでも父を知る人から、何でもいいから父の話を聞かせてもらえたら、すでに鬼籍には入っているけれど、今の世によみがえってきたことでしょう。その時の様子とかも、どこかで書いてもらえるとうれしいです。



 光晴さんは亡くなってから、お骨はしばらくおうちに置かれていたということでした。けれども、寂聴さんが住職をされていた岩手の天台寺に眠ることにしてくれたということでした。不倫相手のお寺で眠らせてもらうって、何とも微妙ではあるけれど、もうそういうところを通り越して、すべてを受け入れて、自然に帰って行ったのだと思います。それはなかなか仏教的な結末です。感情のしこりは時間が解決してくれたのですね。寂聴さんも、だからこそ、瀬戸内晴美を捨てて、出家したというつながりにもなったでしょうか。



 そうした井上光晴さんは、なんと1960年に「虚構のクレーン」を書いておられたということ(フェリーニさんの「甘い生活」という映画もその前の年に生まれています)で、若き光晴さんの渾身の作品であったのです。その作品に高校生の私は出会い、ものすごく感動し、まわりの友人たちに語ったものでしたけど、まわりの人たちはそんなに興味はなさそうでしたっけ。私の説明が気持ちがつんのめっていて、うまくなかったからでしょう。

 それはまあ今も同じです。つんのめってばかりで、うまくないのです。もうずっとそんな感じです。

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