年寄りの冷や水

定年退職者が感じることを書き残す

政治は市民のもの、選挙は市民のもの。

2015-04-03 22:03:57 | 社会

統一地方選挙が始まった。政治無関心、選挙無関心、投票無関心が気になるときだ。しかし、今日はそうばかりではないと感じる気持ち良いことに出会った。

・今朝は京都市会議員候補者や支援者の激励に出陣式に参加した。小さな選挙事務所は道路際にあり、地元の人たちは事務所側と道路の反対側に分かれて支援者や候補者の顔を見ながら演説を聞くのだが、事務所から四、五十メートルには鉄道の踏切と交差点があり、朝九時すぎには事務所の前の道路は信号待ち車の長い列が続くことが多い。乗用車ならば道路の反対側からでも演説者の顔も見えるのだが少し大型車になるとそうはいかないと心配していた。しかし、出陣式が始まってみると大型車はもちろん、中型ライトバンも選挙事務所前約二十メートル位の前には停車しないで空けてくれたものだ。もちろん、信号が開き前方の車が進行しだすとそれらの車も進行する。

・手を挙げて軽く挨拶すると運転手さんたちも答えて軽く手を挙げて進行していくのだ。運転手さんたちの支持政党も分からない。市会議員候補者の誰を支持しているのかも分からない。私が激励に行った候補者を知っているのか知らないのかもわからない。京都の運転手さんかどうかもわからない。考えると、候補者、支援者にではなく、集まっている市民の人たちへの、市民の政治、選挙へのエチケットかサービスかマナーかもしかしたら同じ市民の常識としての行動であろうと思われる。

・このような政治、選挙に対する真摯な態度、行動からは政治無関心、選挙無関心等は考えられない。十八歳から投票権を得られるとしてもこのような先輩の行動から政治無関心、選挙無関心は消えていくだろうと思われる。非常に力強く、快い出来ごとであった。私が気がつかなかっただけで何処でもある事なのかもしれない。

・質問者は誰が書いたか分からないような質問状を棒読みし、答弁者も多分前もって官僚が作成した答弁書を棒読みする。お互いに内容の真実を分かっているのかと思われる国会中継もある。自分に予定されていない人は時たまうとうとしている人もいる。地元でも選挙が近くならないと何処で何をしているのかわからないような地方議員さんもいる。自分は信任されているのだからと意味もわからないことを勝手に言いっぱなしで何かあればすぐに訂正して逃げる首長さんもいる。こんなことの方が政治無関心、選挙無関心、そして投票無関心を増長しているのかも知れないとも思われる。特に地方選挙では政党、団体ではなくその人自体を評価していくべきかも知れない。いや、これが本来の選択なのかも知れない。


       ーーーーーーーーー頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、----------