年寄りの冷や水

定年退職者が感じることを書き残す

「故郷」は近くに会って語る者!!!

2011-01-05 01:53:22 | 社会

・高速道路料金が高くなって渋滞も少なかろうと1月4日に四国から帰ってきたのだが故郷や行楽地からのUターン車がまだまだ多く何時もは4時間位のはずが渋滞で7時間以上もかかってしまった。しかし、今回は「帰省渋滞」、「故郷Uターン渋滞」との言葉に何か懐かしい感じを持って車を走らせたものだ。

・私たちの筆岡小学校西組同窓会は2年に一回開催しいている。また、善通寺第一高校同窓会では2年に一回の全体の同窓会を開催している。関西支部では毎年一回の同窓会を開いている。その時にはまだまだお元気な懐かしい恩師も参加していただけて先輩との故郷を語り思い起こす場となっている。私たちの高校同期会では3年に一回で六組全員での同窓会を開催していたが、年を取っていくにつれて友人だけで集まる会も始まった。今年は女性だけで開催していた1組、2組合同の同窓会・懇親会に男性も参加させてもらうことになった。高校同窓会は若い時の故郷での活動・生活を思い出す機会である。しかし、最近は「故郷」に関する感じが少しづつ変化していっているような気がしたのだ。

・一月二日の二組合同有志同窓会は約90人の内27名が参加した。正月で孫達を家に迎える年寄りになったこともある。体調不調で入院している人もある。正月と言えども仕事に忙しいひともある。孫の出生で急きょ不参加になったものもある。有志だけでやろうとして全員に連絡をしたものでもなさそうだが、それでも67歳で27人集まったことはやはり友達だと感じたものだ。しかし、少し何時もとは違った感じがあったのだが。

・「67歳となり子供達の面倒も見なくてよくなったのに善通寺から出ることも少なくなったので同窓会は大阪か東京で開催して欲しい」と言う意見があった。「故郷に帰って同期の者たちと懇親会」との今までの私の感じではなかった。また、27名中で小田原や大阪からの5名の人達が宴会場の近くのホテルに宿泊しての参加であり、大阪からの1名は車で日帰り参加であった。核家族のせいか実家は取り払ってしまったのだとの事であった。また、実家には兄と子供家族が住んでいるが泊めてもらうには気が引けるのだとのことである。善通寺市内に二人の兄家族がいて、二人の姉が嫁いでいる、さらに妻の母が坂出に住んでいる私には気にもしなかったことだが「善通寺」との土地は「故郷」からすこしづつ離れて行っているような感じがする。それでも同窓会とか同期会とかでは多くが集まって昔から現在までの生活等についての話に花が咲くものだ。「友と会って話をしたいから大阪でも東京でもより多くの友が集まれる場所が良い」との意見にも納得がいくような気もする。

・67歳ともなれば「故郷」善通寺と言えども街並みも全く変わりご近所の人達もほとんど世代代わりしてしまっている。高校卒業50年ともなればお元気な恩師も少なくもちろん高校に行っても誰も知った人にお会いすることはないだろう。自然の山や川も農業等の変化であまり昔の面影が少なくなっている。気がつかなかったが私の「故郷」も無くなりつつあるような気がする。それを思うと「故郷帰省渋滞」とか「故郷Uターン渋滞」が出来ている人達はまだまだ幸せな人達であると感じるのは自分自身が高度老齢化現象に突入しているからであろうか。しかし、これも人生であるが。

・何故このような「故郷」についての感じの変化に気がつかなかったのだろうか。まだまだ私には大学時代の友達も多い。会社時代の先輩、同僚、後輩も身近な所に多くいてくれている。ゴルフ友達も毎年増加して行っている。もちろんご近所の人達とも定年を迎えるごとに友達の輪が大きくなってきている。こんなことから自分は気がつかないほど幸せな生活が過ごせているのだと思われる。「故郷は遠くにありておもうもの」ではなく、「故郷は近くにありて語る者」、「故郷は人と人との絆」のような気がしてきた。

・人生の後輩の方々にこのような気持ちを伝えてあげて、身近な友達を大切にするようすすめたいものだ。