弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

弓道は武士道精神を考える場とすべきであるーサムライ日本

2010-07-17 | 意見発表
私のパソコンのデスクトップに松井巌先生の「礼記射義・射法訓の教え」有るのです。
何時か見ようと記録していたのでしょう。
たまたま開いて見ました。

目 次

「礼記射義」 4
01.礼記射義について 4
02.語彙の解説. 15
03.孔子の考え方と禮の意味するもの 16
04.礼記について 17
1)礼記の構成 17
2)礼記全体の内容 18
05.礼の考え方・意味について 19
1)礼と言う漢字の意味について 19
2)礼の概念 20
06.仁の概念について 20
07.五常五教(五倫)について 29
08.正しい人間関係を求めた射 31
09.儒教と弓道 32
10.日本の社会における儒教・礼の心 35
11.競う弓道と和の弓道 36
12.和の文化としての弓道と礼の思想 37
13.自己規制・自律を求める弓道 38
14.再び「礼記射義」の教えるもの 39
15.礼記の射義編全文 40
参考文献: 43

私は弓道教本に中に礼を重んじている、それだけでは日本は滅びると考えてきました。

悪に向かって戦う姿勢がなければ駄目だと、考えたのです。礼記射義の「礼」は支配者の論理と考えたのです。
端的に言うと孔子の教えは殿様(支配者)用の教え、殿様に都合が良い教えなのです。つまり戦争をを無くす方法を孔子は考えたのです。その方法・原理として「感謝の心」が大切なんだ、感謝の心が有ると自然に頭を下げます。下のものは上のものに感謝していれば世界は平和なのです。それが「礼」なのです。

だが問題があります。そんなこと事関係ないと考える集団もいるのです。権力が第一、武力は力、勝てば官軍、金は力、数は力、・・・いろんな力があるのです。その力をつけた軍団が攻めてきたら礼の国はひとたまりもなく滅びるのです。

今日本が外交に弱いのは礼の国、儒教の国であるからではないかと考えたのです。
現代は力の世界です。力には力を以て当たらないと行けないのです。

そこで不義を撃つ精神が必要だと考えたのです。そしてそこに武士道を見つけたのです。

日本人は武士道をもう一度見直すべきです。と書いてきました。弓道では誰も言っていないことと思ったのでこっそりと言ったのです。
孔子に対抗して武士道理論を構築する力は私にはないのです。

所が、今日、松井先生の礼記射義の解説を見ました。私はやや批判的に読んでいましたが、と、そこに武士道と言う字が飛び込んできました。

「ええっ!」と思いました。そして拾い出しました。

「「礼記射義」は、儒教の中の「礼記」です。今から約2500年前の中国の哲学者孔子の教えであり、江戸時代には幕府の武士の束ねとしてその一派の朱子学がサムライ教育に正式に取上げられ誇り高い武士道のルールを作り上げています

日本の武士道における武家社会の幼児教育の在り方です。人を殺傷する事の出来る武器としての刀を持つ事の出来る唯一の階級としての武士が、どんな時に刀を抜くかは非常に重要な課題となります

社会倫理・道徳の中での在るべき姿に違う時に、正義を正す時にのみ刀を使わなければならないでしょう。将に破邪顕正実現の為の武道で在る事が要求されました。それ故に武家社会では武士の子供に、武術を習う前の年齢、即ち幼少の頃に儒教特に論語を中心とした価値観で、正邪についてのしっかりとした考え方を教え、その上で武術の修練をしたのです。それだから世界に比類のない道徳・倫理に支えられ、しかも自律的で・自己規制の効いた武士道が日本で育ったのではないかと思います。

特に江戸時代には儒教の一つの派である「朱子学」が武士の規範として教育に採用され、「武士道」の精神的な部分に多大な影響を与えています。
またこれらの思想は、明治以降も受け継がれ、第2次世界大戦が終了するまでの長い期間に亙り、私達日本人の生活に影響を与えた思想です。

新渡戸稲造の「武士道」(元の書は英語で書かれたものであり、その日本語訳を私達は読んでいます)の中で、外国の人に向けての説明として、仁の文字は人が二人いる事を表わしています。即ち、人が二人以上になったならば、人として必ず心得なければならない事、即ち他人に対する「思い遣り」「気遣い」であり、それは親子・兄弟等の間に生れる「親愛の情」が拡張されたものであると考える事ができると説明しています。しかし「仁」は、それ程簡単に定義出来るものではなく、論語においても非常に多くの事例を上げて仁を定義しているのは上記に紹介した通りです。

前記の様に新渡戸稲造先生は「武士道」の中で、仁の文字が表わす(人が二人)如く、人が相い親しみ・いつくしむ意味の二の合字です。二人以上になった時にそこで自然に表わされる関係、即ち「思い遣り」「気遣い」の考え方があります。

この個人として常に為さねばならないもの、即ち共通の価値観としての「規範」となる五常と社会の中での人間関係の「規範」としての五教(五倫)を併せて、五常五教(倫)と表現しているのです。これは、現代においても通用する永遠の価値観であると思いますし、特に武士道の中枢的な価値観で在り、概念ですので善く理解して置かなくては成りません。

弓道と儒教はどんな関係に在るのでしょうか
日本の弓道と儒教の関係を考える時には、私達は武道と儒教の関係を理解しなければなりません。それは武士道と儒教の関係を説明する事により、全て理解戴けるでしょう。武士道の世界で評価される所は、和の精神を根底に持ち、自律・自制の文化で在る事であろうと思います。武と言えば世界共通して力の論理が中心になりますが、そこに和の文化・自律性が働いているのは極めて高い評価に値するものと考えます。

あらゆる武芸の底流にこの儒教と禅の思想があったのでしょう。それらが専門化して独立した武道になってから、それぞれの武道の共通項として儒教や禅の影響があるのは当然である。これが日本の武士道と儒教の関係であり、武道と儒教の関係です。

第二点目は、弓道は武道の一つであることです。武道は武士道に繋がります
人間同志の闘いを美化する積もりはありませんが、何も理解をしないで排斥するのはもっといけないと思います。武道精神・武士道は、世界でも非常に高く評価されている哲学的な内容を持つものです。日本文化の中で非常に高く評価される価値を持ったものだと思います。

礼の思想に基づく日本での弓道は、鎌倉時代を経て室町の時代に武士の在り方としての武士道と結び着きました
更には戦闘の形態も弓矢の時代から鉄砲の時代に移る中で、敵を倒す武器としての弓の術から、自己を鍛える道としての弓道へと替わって来ました。元来が相手の居ない弓の道です。静止した的に、自分の弓矢で、同じ距離から射を行うのです。修練により基本の射術が身につき、心が安定していれば、何時も同じ所に矢は到達する筈の弓道です。ここに術の中に心の要素が入る、相手の居ない弓道が、自己を規制し、自己を律するに最適な道としての弓道が確立されるに至ります

それと武士道に関する本などを読むには絶対に儒教が理解出来ていないと、武士道の考え方自体が理解出来ない事です。武士の教育の中枢の学問であったからです。武士道では、「破邪顕正」と言う言葉をよく遣います。間違っている事(邪)を打ち破り、正しい事を顕すと言う事です。人の命まで絶つ事の出来る刀を差す事を許された唯一の階級の武士ですから、何が正しく・何が間違っているかを、正確に区分しなければならないのは当然です。その基準が儒教の教えだったと言う事実をよく考えて戴きたいと思います。礼記射義の「射は正しきを己に求める」と言う考え方がここにあります

人としてのあり方・個人又は社会人としての社会秩序・社会規範を身を以って例示する責任と共に、その教育と実際の生活が統制される中で武士道が築かれていったと言うことです。ここに儒教・仏教と武士道との関わり合いを認めない訳にはいけないところが出てきます。

江戸時代には幕府の武士の束ねとしてその一派の朱子学がサムライ教育に正式に取上げられ誇り高い武士道のルールを作り上げています。」以上抜粋


今日の讀賣新聞「地球を読む」欄で中曽根康弘元首相が書いていますが、そのタイトルに「サムライ政治家不在の時代」と書いています。このサムライには武士道の士と言う意味があるとも持ってみています。

サムライJAPANは武士道の日本人と言うことです。
サムライは外国人は武士道の士と見るのです。新渡戸稲造の「武士道」の本は外国でベストセラーになったのです。

外国人と対等に話す場合、武士道の日本を前面に出すと交渉がうまく行くと思います。

弓道は武士道導精神を養うもの。
不義は身を挺して撃つのです。

そしてこの日本を守るのです。
今日本は回りの国から脅かされ、国内では巨額の借金を抱えています。

IMFから消費税上げについて提言されました。
私は以前から、20%は覚悟しようと言ってきました。
消費税率で首相「自民提案の10%を参考に」を歓迎する
と言う投稿もあります。

正しいことを考え主張する心が大切と思います。日本人の背骨に武士道を置くべきではないでしょうか。

そこで竹島問題、北方4島問題、特にアメリカとの戦争問題、これらを調べると先人は武士道精神で戦っています。

日本人の大東亜戦争は連合国以外では感謝されているのです。
南京虐殺とか言っていますが、有り得べからざる人数になって居ることが分かっています。

日本人よ、今までは外国から礼の国、儒教の国日本は叩けば「すみません」とすぐ謝ったのです。おもしろいのでどんどん叩きます。それが現状です。

先進国、悪の張本人です。それを日本人は少し真似したのですが、その日本を一緒に叩くのです。それによって自分らの非を隠したのです。

日本の背景に武士道があるのです。日本は良い国です。日本人は世界一誠実です。

しかし、悪に対し毅然と戦う姿勢が必要です。

アメリカの戦争責任が明らかになった現代、東京で東京裁判のやり直しをすべきと思います。

今後この運動も考えます。

武士道日本の子、頑張れ!


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