弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

従軍慰安婦問題における想定問答集ー2

2010-07-15 | 意見発表
前稿「従軍慰安婦問題における想定問答集ー1」の続きです。

Q 日本は河野談話において慰安婦を強制連行したと言っている!
A 河野談話には根拠がない。

語るに落ちる、とはこの事か。
河野談話については既に「根拠が無かったにも関わらず、韓国側から強く要請されて、河野洋平氏が強制的という言葉を不用意に使用してしまった」という証言がある。

『文藝春秋四月号』(櫻井よしこ記事 平成十一年(1997年)三月十日発売)
内閣官房副長官だった石原信雄氏は、次のように明らかにしている。
強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしても証言がなかった。納得できる証拠、証言はなかったが「彼女達の名誉のために、これを是非とも認めて欲しい」という韓国側の強い要請に応えて、河野洋平氏が強制的という言葉を使ってしまったというわけです。もう少し補足しますと、この問題の初期の段階では韓国政府は、この問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたんですけれども、日本側のいま申した人物がとにかくこの問題を掘り起こして大きくするという行動を現地へいってやりまして。そしてこれに呼応する形で国会で質問を行うと。連携プレーのようなことがあって、韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけないという、そういう状況があったことは事実です。
如何だろうか。
この証言によるならば「河野談話」には、証拠も根拠も全く無いという事になる

更に、次の論文も提示しよう。

『従軍慰安婦の強制連行説の全面復活』(東京大学教授 藤岡信勝・著)
「従軍慰安婦の強制連行」説が証明されるためには 、次のどれかの証拠が存在しなければならない。しかも、証拠はこれ以外にはない。
〈1〉朝鮮半島などの女性を強制連行することを命じた日本軍などの文書
〈2〉強制連行の実行犯となった日本軍の将兵の証言
〈3〉強制連行を目撃した朝鮮半島の人々の証言
〈4〉強制連行された慰安婦本人の証言
これらの証拠は、どれ一つとして未だ存在が証明されていない。
慰安婦強制連行問題の出発点となり、動かぬ証拠であるかのように朝日新聞などによって扱われてきた吉田清治の『私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』(1983年 三一書房)は、でっち上げの偽書であることを著者本人も認めたものである。
こうした状況に最終的な決着をつけたのが、政府の責任ある立場にいた石原信雄氏の証言である。

『台湾人と日本精神』(蔡焜燦=サイコンリン、台湾人・著)
引き揚げ者の中には、海南島から日本兵と共に引き揚げてきた二十名ほどの台湾人慰安婦の姿もあった。
彼女達は我々と同じキャンプに収容されて台湾への帰国を待っていた。
彼女らは口々に、「海南島は儲かるし、それよりも兵隊さんが喜んでくれたんです」と語っていた。
そうした生の声には、日本で騒がれるような強制連行の(悲劇)などは存在しなかったことを、私のこの耳がしっかり聞いている。
(略)
1999年8月号の「正論」に掲載された許文龍氏(実業家であり、李登輝総統の国策顧問年)の記事も、まさしくそんな氏の客観的な歴史観と実行力の賜物だったと言っていいだろう。
日本でくすぶり続ける慰安婦の「強制連行」なる問題に首を傾げた許氏は、戦時中に慰安婦だった女性を集めてその事実を明らかにしたのである。
もちろん結果は、日本の一部のマスコミや学識者がヒステリックに訴えるような「強制連行」なる事実は存在しなかった。


当方はこれらの資料を用意した。
そちらはどの様な回答をして頂けるのか。


台湾人と日本精神(リップンチェンシン)
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Q 中国大陸での慰安婦(売春)は、女性の人権を無視した非人道的な行為だ! 本人の意に沿わなかった事例が多いに違いない!
A 個々の事情はあったであろうが、それは女性を奴隷化した事にはつながらない。

日華事変以前の上海日本租界では、売春業取締のため日露戦争後に「芸妓営業取締規則」「料理屋営業取締規則」が領事館令として制定されていた。公的に届け出ていたところ以外はすべてきちんと規制され(経済的など個々人の境遇などの条件の違いはあれ)自己意思でもって自ら娼婦・売春婦として届け出ていた者以外はきちんと取り締まられることになっていたのだ。
しかも、日華事変(日中戦争)の発生後は、昭和十二年(1937年)八月三十一日の外務次官通達「不良分子ノ渡支取締方ニ関スル件」によって、各地の警察に対し「混乱ニ紛レテ一儲セントスル」不良分子の中国渡航を「厳ニ取締ル」ため、「素性、経歴、平素ノ言動不良ニシテ渡支後不正行為ヲ為スノ虞アル者」には身分証明書の発行を禁止するよう指示し、更には「業務上又ハ家庭上其ノ他正当ナル目的ノ為至急渡支ヲ必要トスル者ノ外ハ、此際可成自発的ニ渡支ヲ差控ヘシムル」と指導せよ、とまで命じている。

それらを踏まえた上で解説する。
慰安婦として商売をしに前線へ行く女性に関しては、先ず上海に行く事が義務付けられており、上海総領事館に事業主と共に本人自身も出頭が求められる。更にその上で、各種書類を提出し、その場で本人意思がある事、契約書や未成年ならば親や後見人などの承諾書がきちんとある事、等が確認される。もし漏れがあるならば、内地や外地に強制送還されていたという事実がある。

前述の「陸支密二一九七号」以外にも、次のような性売買関連辞令もある。

■1938年2月18日発 警保局警発乙第77号
婦女売買、誘拐などの禁止
■1938年11月8日発 警保局警発甲136
慰安婦の募集は21歳以上で且つ、既にその職業に就いている女性が対象。
さらに親族の承認を必要とする

尚、戦前には公娼制度が存在した。俗に言う「赤線」である。
これは売春業の免許登録制可制度であり、登録後の売春活動は法的にも社会通念上においても許容されていた。
現在は無論、売春目的の公娼制度は認められておらず、現代日本における売春行為は社会通念上「悪」となる。しかしながら、現在の価値観や常識を振り翳し「過去のその当時の常識」が悪であると断罪するのは、歴史を扱う者の発言としては失格であろう。
真摯な学問の徒からは、失笑を買うだけであると述べておく。

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Q 慰安婦などという制度を採用していた日本軍が悪い!
A 日本以外には慰安婦制度が存在しなかったという証拠の提示を求む。

当時、慰安所を利用していたのは日本軍だけではない。
事実、戦後日本占領期において内務省通達によりRAA(特殊慰安婦設備協会)がGHQ上陸前に作られている。これはGHQ相手の慰安所であり、現に利用も盛んであったが、性病の蔓延により昭和二十一年(1946年)に閉鎖されている。
朝鮮戦争当時においても、韓国政府は国連軍の為に慰安婦と慰安所を用意していたという事実を、今年韓国側の新聞社が報道している。
現代では、女性に対する人権意識の世界的な高まりと、国際的な人権団体の設立や監視により、各国はそういったものを公的に採用しない事が既定路線となっているが、当時はそのような環境には無かった。
当時の世界においては、末端の兵士に与えられる報償の一環として「占領地住民への強姦」が存在したくらいなのだ。欧州での女性の悲惨な扱われ方を見よ。
逆に慰安所を設置する事は、職業的売春婦により末端兵士の民間人への被害を抑制するという意味において重要だった事実がある。

「ライタイハン(クリックすると新ウィンドウが開きます)」という言葉を知っているだろうか?
ベトナム戦争において、アメリカ側として参戦した韓国軍の兵士たちは、侵攻先の村々でベトナム人の民間女性を強姦し性欲処理をしていた。
結果、当然ながら当時の韓国人兵士により妊娠させられたベトナム人女性たちが産んだ「韓国人とベトナム人の混血児」たちが大量に存在する事となった。
この混血児たちを指し示している言葉が「ライタイハン」だ。

更に、当時のことでもう一つ例を挙げる。
戦前戦中当時、日本から満州や中国各地に殖民しようとしていた一般日本人たちは、敗戦後引き揚げ民として日本へと戻ろうとしていた。
だが、そこに日本軍の敗北を好機として南下してきたソ連兵たちが襲い掛かかった。引き揚げ民だった日本人女性や少女、子供までもがソ連軍の末端兵士たちにより強姦されるという被害を受けていたことをご存知か。被害女性たちが堕胎する為に、医師が休む間も無かった事実をご存じか。
更に言うならば、引き揚げ民たちの悲劇の場となった朝鮮半島において、強姦に走ったのはソ連兵だけではない。朝鮮半島に住む、現在、北朝鮮、韓国という国に住む人々たちの中にも、ソ連兵たちに強姦されないよう男装している女性が誰なのかを密告し、一緒になって強姦に加わっていた者もいたと報告されている。

『韓国・朝鮮と日本人』(若槻泰雄 1989年 原書房)
惨憺たる北鮮引揚げ――
日本の連合国への降伏により、日本軍は38度線を境に、南鮮はアメリカ軍、北鮮はソ連軍へ降伏するように指令された。
南鮮の日本人は終戦の年の暮れまでにほとんどすべて引揚げたが、北鮮では約31~2万の日本人がそのまま残っていた。
もともと北鮮に住んでいた27~8万と、満州から戦火をさけて逃げてきた4万人である。
北鮮にはいってきたソ連軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、暴行、強姦をほしいままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられることになった。
白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとしたものは容赦なく射殺された。
「各地の凄惨な記録は読むにたえない」と、『朝鮮終戦の記録』の著者森田芳夫氏は書いている。
それらは主としてソ連軍兵士によって行なわれたことであり、また占領地の住民の保護にあたるべきソ連軍当局の責任であることは明らかだが、ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かった
一方、当時、中国大陸に侵攻していた日本軍はどうか?
そのような混血児を指し示すような名称を持つ者は現在、存在していない。
それが全てを物語っていると思うが、一体どうお考えか?


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Q 日本軍が女性を慰安婦として強制的に働かせていた例として、オランダ女性の事件がある! インドネシアのサマラン島の事件だ! オランダ人女性を慰安婦として無理矢理働かせていた!!
A 白馬事件は確かに痛ましい事件だ。が、日本軍の関与は無かったと証明されている。

これは確かに本人の意思に反するものであった。
確かにそうであったので「本人の意思に反して慰安婦として働かせていた」として、慰安所は日本軍によって閉鎖されている。軍によって強制的に慰安婦としていたのなら、何故軍によって「本人の意思に反する」という理由で閉鎖するのか。それこそ矛盾ではないか。
この事例も、軍関与での慰安婦強制連行など無かった事の証左になる。

墓穴を掘って頂き、こちらは非常に楽ではあるが、虚しくはないのか。

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Q 元慰安婦たちの証言がある!
A 内容が激しく変化する証言に何の意味があろうか。

マイク・ホンダ氏の決議案を初め、従軍慰安婦問題で日本を非難する側の根拠になっているのは彼女らの証言だが、その内容はどんどん変質している。
初証言の際には、軍部や行政機関の強制的行動は全く出てこず、「連行したのは業者」であった。単なる「女衒」だろう。
しかし、対日非難キャンペーン後には「連行したのは官憲らしき服装のもの」に変化している、痴呆老人の寝言程度の価値しかない「証言」が何か。

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Q 国が強制的に行なったという記録はないかもしれない。だがしかし、それは表向きと言うか、直接関与したという記録が存在しないという事であって、記録に無いから国や軍が関与していないと言う事にはならない。
敗戦によって多くの軍関係の記録、書類、図面等は全国各地で、又、海外の基地、駐屯地で大慌ての中で焼却処分された。軍事も民間の記録も全て手当たり次第に焼き尽くされたのだ!
A 可能性の問題に縋るしかないと言う事は、証拠が存在しないと言う事で宜しいか。

敗戦時、廃棄されたのは「機密」であり、当時合法な売春の何処に機密がある?
実際「業者に営業許可を出した」という史料は多数存在する。更に朝日新聞が持ち出した「軍の名を語って違法に売春婦を集めている業者がいる」という注意まで残っている。
強制連行と同じで、機密として廃棄されたとするには無理が有りすぎる。
また、日韓基本条約交渉時も韓国側が韓国内の被害を調査し、補償を交渉したが、その時韓国側は慰安婦を被害に入れていない。本当に強制されたのならば、そのような醜聞、真っ先に被害として取り上げ「交渉カード」にするはずだが、それも一切無い。
何故韓国側は、日韓基本条約を結ぶ際の調査および補償交渉において、被害に入れていないのか。
論理的な返答を求める。

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Q 日本が戦争したのが悪い!
A 大東亜戦争の目的としては自衛の面も大きかった。

当時のABCD包囲網による日本への経済的締め上げ、並びに石油供給の断絶による国内工業への破滅的な打撃、そしてそれらの解除を求め提示した甲案・乙案と呼ばれる妥協案、その提示にも拘らず日本に完全降伏を迫った「ハルノート」。
この事をどのようにお考えだろうか。
日本を戦争に追い込むことは必定」であり、一連の経済封鎖を背景にした、アメ戦争回避策としてハルノートを受諾するという事は、日清・日露戦争で得た全ての権益を放棄するだけでなく、日独伊三国同盟を破棄する事を意味していた。この一歩的破棄により、外交的にも三流国家との烙印を甘受しなくてはならなかっただろう。更には第六項に従い再交渉を行なおうとも包囲網が解除される確証は皆無であり、無資源国家の日本国内の産業が壊滅する可能性が非常に大だったと言わざるを得ない。それは日本国そのものを揺るがし崩壊につながっていたかも知れない。
まさか貴方は「独立国としての日本の立場を守る自衛戦争すら悪、それならば植民地化され、奴隷として生きるべきであった」と語るのか。


ちなみに、イギリスの戦史家リデル・ハートやJ・F・C・フラーは「オランダは誘導されて、追随した」「このような措置は、1931年にさかのぼる議論においてもリカの要求について、
「いかなる国にも、とりわけ日本のような面子を重んじる国にとっては、このような要求を受容れることは不可能であった」と述べている。
つまり、当時の研究家や歴史家達ですら
「あのハルノートによるアメリカの要求はどこの国家であっても受け入れることは不可能で、戦争となるのは必然である」
という結論に達しているのだ。
これにはどう対応される気か。


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Q 併合時、朝鮮人は差別されていた!
A 大衆単位なら未だしも、日本の国策単位でのその事例はあるのか。

朝鮮人として朴春琴が衆議院議員に選出されているという事実があるが、これをどう見るのか。その他、貴族院議員には通算10人の朝鮮人議員が任命されている。
地方議会の議員に選出される者、中央官庁や地方公共団体に勤務する者もいた。
軍においても、高級将校として将軍の地位についていた者たちもいる。例えば洪思翊(ホン・サイク)陸軍中将や金錫源大佐などが存在する。

ちなみに、朝鮮人陸軍特別志願兵の朝鮮人志願状況は、

採用数   応募者    倍率
昭和十三年 406名   2946名    7.7倍
昭和十四年 613名   1万2348名  20.1倍
昭和十五年 3060名  8万4443名   27.6倍
昭和十六年 3208名  14万4743名  45.1倍
昭和十七年 4077名  25万4273名  62.4倍
引用『日韓共鳴二千年史』(名越二荒乃助・編著 436、440ページ)

と、なっている。
併合時において、朝鮮系住民もまた、日本国籍をもっている日本人であることから、日本人として扱われていた。
むしろ、戦時中においては日本に併合となっていなかったため、差別を受けた、と主張する資格があるとすれば、それは朝鮮半島系の者たちではなく、日本の植民地とされていた台湾の人々たちであろう。
繰り返していうが、朝鮮人たちは朝鮮人であるからとして差別などされていない。
更に、むしろ大東亜戦争中においては、もともとの日本人と異なり、前線への徴兵など行なわれず、安全な内地での労役で済んでいたのだから、優遇されていたとさえいえるほどである。


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慰安婦については他にも資料があります。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』も見て下さい。


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