弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

私の会の工夫ー1

2009-04-29 | Weblog
 実を云うとここのところ射会が2回ありましたが、会は持てないし中りは悪いし、今は弓を止めたい気分です。 今日道場で練習しましたが、なかなか中りません。昔は良く中ったのになー、と思っていますが・・・・。 でも、何か運動はしなければなりません。道場に行くのに自転車で35分、往復70分、道場で60分、巻き藁60分、これを毎日続ける、これでいい運動だと思って続けます。 問題があるからこそそれを乗り . . . 本文を読む

守破離ー八字灌頂(はちじかんちょう)

2009-04-29 | Weblog
 雑誌「弓道」に守破離と言う言葉が載っていました。守破離を検索すると、 「『守(しゅ)』『破(は)』『離(り)』とは 指導者から何かを学び始めてから、ひとり立ちしていくまでに人は、『守』・『破』・『離』という順に段階を進んでいきます。 『守』  最初の段階では、指導者の教えを守っていきます。 できるだけ多くの話を聞き、指導者の行動を見習って、指導者の価値観をも自分のものにしていきます。 学ぶ . . . 本文を読む

遠的の的付けの方法ー近的と理屈は同じ

2009-04-24 | Weblog
 今日遠的の練習をしました。遠的は的が大きくて的中率が高いし、何となく楽しいものです。遠的の射法は「一引き」と「二引き」があることをお話ししましたが、遠的の的付けというか狙い方についていろいろあるので私の試行していることを述べます。  狙い方は、近的の的付けの決め方と同じ要領と考えれば良いと考えています。狙いは縦の線と横の線の十字で考えて、先ず、左右の方向でを定めることです。これを縦の線と言うこ . . . 本文を読む

その他弓道書に見る離れー2

2009-04-24 | Weblog
唐沢光太郎―弓道読本 (159ページから抜き書き) 「雨露利の離れ」は稲葉の朝露がたまり重みがかかると、自然に軽く滑り落ちるのと同時に稲葉がハネ起きる反射運動を弓射の離れにたとえたのである。・・・現代の一文字・大離れの射法では、妻手総体の位置や働きが全然違って来ているので、昔の離れとして参考にとどめたい。・・・・すなわち、完成された十文字の伸びに徹し、離れを求めず、絶対の境地に没入、自然に離れを誘 . . . 本文を読む

その他弓道書に見る離れー1

2009-04-24 | Weblog
教本以外の弓道書の離れも調べてみます。弓道書といえば印西派の先生方の弓道書が多いのです、稲垣先生、浦上先生は日置流印西派の先生です。橋田栄次範士は本多流というか大射流というか、福原先生のお弟子さん、福原先生は神永先生のお弟子さん、神永先生は阿波研造先生のお弟子さんです。阿波先生のお弟子さんに安沢先生がいて「大射流」という本を書いていまが、あまり本は見かけません。 上田喬弘範士「弓道散歩」 「離 . . . 本文を読む

弓道教本第四巻に見る「離れ」

2009-04-23 | Weblog
中野範士 「離れはその一瞬に、一射の運命を決するものであるが、それは体配の順から、足踏み、残身に至るまで、連続した一連のものである。離れは、会において蓄えられた生命の火薬が爆発した動きであり、残身は、離れに秘められた静である。会における体が、均衡調和して離れの機が熟し「胸の中筋に従い、左右に分かれる如く之を離つべし」とあり、会は、離れが瞬間に起こる動作であるから、その必然の離れに至る準備は、総て縦 . . . 本文を読む

弓道教本第三巻に見る「離れ」ー2

2009-04-23 | Weblog
 富田範士―自然の離れ― 「真の離れは自然の離れであるが、自然の離れも、離れの機縁がなければ、離れは生じない。・・・弓道の修業は心を主とする。離れに際しては一切の分別を去ってただ空々寂々、無心無我の境地にあることが理想である。・・・射人、的に向かってまさに離れに直面すれば、すべての邪念ここに集まり、神気懆乱することは避けがたい事実である。この時、よくその煩悩を絶ち、私心を去って虚心坦懐、求めて離れ . . . 本文を読む

弓道教本第三巻に見る「離れ」ー1

2009-04-22 | Weblog
鈴木(伊)範士 「離れの目的は、左右均等に骨格一杯に引き収めた会を、離れに導く動作である。 要則に曰く『胸郭を広く開き矢を発せしむ』と。また古来離れの法として『心を気海丹田に収め、満を持して眼中矢なく的なく、放つに非ず切るに非ず、無念無想の境に入り、しかして後、矢は自ずから弦を放れ、悠然として的中す』と述べられている。今でもこの無念無想の離れは、正善なるものと信じられている。然しながら、この無念無 . . . 本文を読む

弓道教本第二巻に見る「離れ」ー2

2009-04-21 | Weblog
 神永範士 「離れは、体構えや射法が規矩に合致し、自分の体がくさびとなれば、自然にパンと割れるのである。会の均衡と伸びを母体にすれば、離れはその子であり、弦音は生まれた子の産声である。従って美しい均衡と十分な伸びがなければ、例えば弛んだり縮まったりした離れは真実の離れでなく、養子のようなものであるから、冴えた産声(弦音)は聞かれない。・・・この修練を積んで行くと、その結果射が崩れず、矢が自然に離れ . . . 本文を読む

弓道教本第二巻に見る「離れ」ー1

2009-04-21 | Weblog
 千葉範士 「離れは、会において心身ともに誠をつくし、自然に離れるのがよい。殊更に作為的な離れでなく、また上・下に離れず、力の働いている自然の方向に向かって、一本に離れるのが理想である。例えていえば、風船玉が張り切ってパットこわれる状態と同 じで、昔の教えで雨露利の離れというわけである。従って離れの大小は問題ではないが 、二段離れなどは好ましくない。 古い教歌では「打起し 引かぬ矢束を 身に知らせ . . . 本文を読む

弓道教本第一巻に見る「離れ」

2009-04-20 | Weblog
 離れは難しい。行き詰まりです。こう言うときは、弓道教本ではどう書いてあるのか、調べ直して見ましょう。 弓道の基本は弓道教本によらなければなりませんので、弓道教本第一巻にどのように書かれているかを見ておく必要があります。以下抜粋しますと、①会が完成されると「離れ」が生ずる。「離れ」は発射である。②体の中筋から左右に開くように伸張し、気合いの発動とともに矢が離れていく状態をいう。③会では力がまとまり . . . 本文を読む

遠的の射法のについてー試行案

2009-04-18 | Weblog
遠的の射法については教本に記載があります。 「引き分けにおいては、弓はやや照り気味とし、押手は(矢先)やや高く一定の個所に運んで「ねらい」を定めなければならない。 的前のように矢は水平ではない。従って、一たん矢を水平にしてから押手をあげることは、会で力が停止するのでいけない。」 と記載があるのでこれを守らなければならないのではないかと言うことになりますが、私が最初に遠的の練習をしたとき、その時近く . . . 本文を読む

会、離れの試行案(2009.4.18)

2009-04-18 | Weblog
今日の試行案 腰の入れ方  私だけのことかも知れないが、背骨の下を腰としてここを入れようとしても入らない。しかし、腹をだそうとすると腹は出るし腰も入る。腰の両側を入れようとするとこれも入る。そこで腰の両端を入れれば良いのではないかと考えてここを意識して腰を入れることにした。(これが先生の前で引いてどうかということになりますが) 拳飛ばしの離れについて(試行案)  離れが鋭いHさん(諸先生から . . . 本文を読む

会、離れの試行案(2009.4.17)

2009-04-17 | Weblog
会や離れは一射毎に変わります。何時かこれだというものに辿り着けるもの信じて今日も弓道修業をします。   風船の表面に張るつけられている会、もっともっとと風船をふくらませる会を先生の前で試行しました。会は持てなかったし、「もっと腰を入れるように」と指導を受けました。一生懸命に留意して直しているところを指導されてショックでした。まだまだなのです。もっと大げさにすべきとなのだと考えました。 そこで袴 . . . 本文を読む

弓道修行日記ー会・離れ試行案

2009-04-13 | Weblog
 どの様な会にし、どういう離れをするかは一生の研究と考えます。 傘を開く会をも考えました。そのビデオを見て自己点検したら、腰が引けているように見えました。もう少し腰を入れ反った感じにすべきと思ったのです。そう言えばいろんな先生から腰を押されたり、下腹を張るように言われたりしていたこと、そして現時点の課題が腰を入れることであったことを思い出しました。腰を入れているつもりですが、その射を自己点検すると . . . 本文を読む