goo blog サービス終了のお知らせ 

弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

儒教の弊害ー弓道はその中にあるのではないかー日本再生の道は

2010-06-14 | 意見発表


前稿で「戦争と礼ー礼の国は滅びる・・・日本人は戦う精神を涵養すべきである」
と書きました。

それを考えて「儒教の弊害」と検索してみました。

「2001年12月16日別ウィンドウで開く」というサイトに

「思想とは日本人にはなじみがないものです。というよりもほとんどの日本人には分かりません。欧州人ならキリスト教を学ぶうちに自然に身につきます。

簡単に云えば、倫理感、価値観、信念、己の意思とでも言いましょうか。日本人のほとんどはこれがありません。
それゆえに、外国人から見たら、日本人は何を考えとるか分からんということになるのです。実際日本人は自分の考えを持っておらず、他人の真似ばかりする、他人に追随する、無原則で倫理観がなく恥を知らない、自己主張がなく議論ができない(談合政治)等等数えればキリがありませんがこう言うのが外人さんには理解できないようです。

日本は昔から和を重んじてきました。それはいいことだと思います。自己主張ばかり強く宗教戦争や民族紛争をしている海外よりも優れていると思いますが(これには政治的な煽動があるが今は触れないでおく)、今の日本の逼塞感を打破する為にはこのままではいけません。新しい未来像、戦略、戦術、そしてそれらを支え全体を貫く一貫した哲学を日本人一人一人が理解し身に付けなければいけません。」
と言うのがありました。耳の痛い話です。そう言う日本人をどうすべきか考えるべきです。

自分の考えを持って意見を発表し、他の意見を聞いて、自分の意見を磨いて行くという事ではないでしょうか。

弓道界でこういう私みたいな意見を言うようにすべきです。(多分睨まれ昇段・昇格は出来ないでしょう。)

「日本人を考える」というブログから抜き書きします。
「「民主主義」とはその本質において「制度」として与えられたり、もらったり出来るものではない。それは、行動の中で造り上げていくものだ。その行動の基本は「個人主義」である。個人主義というと「我が儘で勝手な自由の享受」というふうに考える人は多いが、実は違う。そのような「生やさしい」ものではない。
 その根本は「自己を見詰める、問い詰めること」にある。その時の絶対条件は「社会の中で、他との関わりの中で」ということだ。もう一つの条件は「他を自己に置き換え、自己を他に置き換えるということ」である。
 私は大学生の時に「他人を自分のように大事にすること」が個人主義だと学んだ。つまり、「個人」が社会や集団を形成して、その個人が一番大事なものであり、大切にされるべきものなのだ。・・・「自分には誇りというものがあるのか」、「自分が日本民族であるために何をなすべきか、それをしているか」、「私とは何者なのか」、「果たして私には個性があるのか」などである。
 この問い詰めは、集団との関わり合いの中で、組織的な社会性の中で、行われる。それは「孤独な自己沈潜」でもある。真の意味における「個人」とは本来孤独なものだ。「孤独」とは、人が社会性を持った時に始まったものだろう。・・・・「謙虚さに欠ける」者は、自己抑制の利かない人格の持ち主であると決めつけることで、その人たちを「封じ込める」力学を持っているのではないか。「出しゃばる」ほどに自分の考えや意見を言う人が多いと、決定に時間がかかるだけでなく、まとめ上げるのに苦労する。だが、この「意見が多く、時間がかかり、意見をまとめ上げて決定することに苦労する」というプロセスこそが「民主主義」なのではないのか。
 反対に、そのような「もの言わぬ」人が多いほど「支配する側」は楽だ。「お仕着せ」事や「上意下達」が楽に、スムーズにいく。そもそも、会議とは「もめる」ものであり、スムーズに決着するということは作為的な嘘ごとに等しい。
・・・・続けて、次のようなことも言った。…「日本人は情緒的な思考をする民族だから、理論を、筋道立てて論理的に展開するような発言を好ましいものとは考えない。論理的に他人を説得するような口調での発言を続けるのならば、あなたは管理職から見放される。校長などには成れませんよ」。
 私は、「端からそのようなことを望んでいない。論理的な思考に非を唱えること自体、民主主義への冒涜だ」という意味のことを、率直に述べた。

 先日、環境ジャーナリストである今泉みね子の「意見堂々・ドイツ人」という一文に出会った。全文を掲載する。 どうして、「アメリカ」のことについて書いていながら「ドイツ」なのだと思うかも知れない。だが、アメリカの、アメリカ人の基本的な思考スタイルは「ヨーロッパ」にあるのだ。そして、それはなにも「ドイツ」に限ったことではない。イギリスもフランスにも共通していることなのである。・・・

 …「ドイツに暮らして驚いたことの一つは、誰もが自分の意見を堂々と発言することだ。幼稚園や学校の保護者会で親たちは、稚拙とも思える意見でも平気で発言する。スターやスポーツ選手もインタビューで、ただ 『すごーい』とか『頑張りました』と答えるのではなくて、『これがこうだから、どう良くて、ここがまずい』といったことを筋道を立ててまくし立てる。最初のころは、ドイツ人てみんな頭が良いのかしらんと誤解した。だが、長く暮らすうちに、これは、小さいころから思ったことを口から出す習慣があるからだと分かってきた。学校では、間違った答えでも発言する生徒のほうが、おとなしい子よりも評価が高い。ドイツ人のもう一つの特徴は、何かにつけて物事の否定的な面を見つける癖だ。レストランでの食事、サッカーの試合、新製品、新しい政策や制度など、何にでもまずは難癖をつける。自国や自分自身についてもそうだ。もっと良い面を見ればよいのに、と思うが、この不満癖は批判精神 にもつながる。
 環境先進国と呼ばれるドイツの環境政策は、こうした市民の批判精神と積極的な発言のおかげかもしれない。原発、森林枯死、増えるゴミなどに対して市民が批判の声を上げ、市民運動を盛んにしたからこそ、政治や企業もそれに応えざるを得なくなり、その結果、良い政策や企業の環境対策が進んだのだ。日本人の控えめな態度は美徳ではあるけれど、たまには思ったことを遠慮せずに発言してみよう。』…」

弓道もこの日本を何とかすべく立ち上がらなければならない。どうやって日本を守るのか、そこを考えるのが武道である。
そのためには儒教精神は邪道です。

「2001年12月16日別ウィンドウで開く」というサイトにの「老子と孔子」の項に「これ以後儒教の弊害によって中国人の思考は停滞します。」と有ります。

その他いろんな所から儒教の弊害をコピーしてみます。
「 このような形式主義は典型的な儒教の悪影響です。 このことはやがて国内で征韓論となり、日清戦争の一因ともなりました。」
「近世以降、儒教は弊害のみあって、利するところは何一つないといっても差し支えないで しょう。 明治維新はなぜおきたか。偶然ではなく歴史の必然です。 簡単に言えば欧米 列強諸国のアジア侵略に対抗するには、徳川幕藩体制ではもはや対抗できない。」
「しかし、残念ながら、儒教的世界での「知」は、「孝」の実践で必要な礼法を知ることに偏(かたよ)った。
 このように高度の教養を積んだ支配者たちが「あるべき知識」の概念を独占した中国、朝鮮と異なり、日本では支配者が武士であったこと、仏教の影響カが強かったことなどにより、「知識」が一部のものに独占されなかった。成り上がりの織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの貴種ではない人々は、儒教などの形式尊重とは無縁だったから、新しい世界の知識を貧欲に取り入れることが出来た。教養は無かったが好奇心は旺盛だったのである。彼らのおかげで、日本では技術(武カも含む)が尊重され、いち早く近代国家に生まれ変われる素地を作った。」

今の日本にこの無気力さは何処から来ているのでしょう。

儒教の弊害は韓国で顕著だとも書かれたものがあります。 しかし韓国は人口が日本に反分、いろんな所で世界をリードしています。


そう言う日本と韓国に係わる論文がありましたので、武士道が大切だと言うことです。私のブログに残したいと転記しました。

「【少子化の解決には武士道教育を!】王道日本・佐野雄二」から

「16日、子ども手当法案が衆院を通過する予定である。今回は、一人当たり月1.3万円と半額で、12年度以降は全額となる。

この子供手当は、子育て世代に経済的援助をして少子化を解決しようというのが出発点である。少子化が進むと国民全体の消費量が減り、GDPが下がる。あるいは年金保険料の負担者が減ることを回避したいという意図がある。この理屈は、それなりの説得力を持っているようであるが、一面では非常に底の浅い議論であることも指摘しておかなければならない。

先ずGDP重視の議論に誤りがあること。農業国は食料を外部から買わずに自給するためGDPは明らかに低いが、食料安全保障を考えると国の自律性の点では貿易依存国にはるかに勝る。

また毎日外食をし、酒を飲み、パチンコや競馬などに遊び狂い、晩年は病院通いや介護状態になれば、明らかにGDPは拡大する。一方、暴飲暴食をせず、モノを大切にし、質素堅実で節制した生活を送れば一生医者要らずの生活を送ることもできるが、この場合、GDPは明らかに下がる。つまりGDPと人間の幸せとは、ほとんど同期しないのである。

また、少子化が進むと人口は減少するが、そのことと真の国力とは、さほどの関係がない。
この例としては隣の韓国を取り上げたい。韓国はわずか十数年前のアジア通貨危機(97年)では、IMFの管理下に入り、強制的に新自由主義政策などを採らされ、国家破産の危機に直面した。それが先日の冬季オリンピックでは金6個を含む14個のメダルを獲得した。日本は銀3銅2の計5個であり、韓国に完敗である。

この傾向はスポーツに限らず、最近の韓国はIT関連などで企業の活躍が目覚ましい。すでに薄型テレビや携帯電話の世界シェアは日本を抜き、鉄鋼や造船、自動車や家電などの分野でも日本と肩を並べるほどになっている。その韓国の人口は5000万人弱と、日本の4割以下の人口である。つまり少子化で日本の人口が半分になったとしても、真の国力とは関係なく世界で活躍することができる証明である。

それだけではない。韓国の男性と交際経験のあるジャーナリストの笹幸恵女子によれば、韓国の若者は「自分が女性を守ってあげる」という意識が強いという。その「男っぽさ」は女性からみて魅力で、生物学的な「オス」を感じるという。中性化あるいは女性化した日本の「草食系男子」とは大きな違いで、その原因を笹女史は、韓国では徴兵制を採用しているためだろうと分析している

原因はともかく、この日韓の若者の違いは重要である。韓国はそもそも儒教的考えが強く男尊女卑であったが、戦後の日本と異なり、民族の伝統的精神が占領などで寸断されずに若者達に継承されてきた。
日本は、戦前までどの家庭にもあった家父長制や武士道などの価値観は、封建的・軍国主義的であるとして、GHQの占領政策によって骨抜きにされた。二度と反抗しないよう日本の弱体化を図ることがアメリカにとって必要だったからである。

その狙いは見事に成功し、戦後民主主義と引き換えに、男女平等、最近では性差を目の敵にするジェンダーフリーなどの運動が跋扈することになった。このように「男の責任」を放棄して、男女平等をうたった戦後民主主義の成果も少子化の一因と思われる。



なぜなら日本の古くからの中心的価値観を追っていくと、武士道に行きつく
武士道は新渡戸稲造のものが有名であるが、明治学院大学教授の武光誠氏によれば、新渡戸の武士道は、江戸時代中期以降の朱子学的な要素が強く、すでに形式化した武士道であるという。本来の武士道はもっと古く、平安時代末期、それまで荘園で100~500人ほどの規模で暮らしていた下級貴族達が、妻や子分を連れて独立し、農業で一家の生計を立てた。家長として、妻子や子分の生活を守るために、自らの責任や行動の規範として発達したのが武士道であるという。
戦後も長い間、「男は結婚して一家を構えて一人前」と言われた。この考えこそ妻や郎党を引き連れて独立した武士に起源を発するものとして、武士道に根拠を置いた考えなのである。
つまり、武士道とは家父長制の家族制度をつくり上げた家長としての責任感や行動基準を説いたものだと知れば、戦前の家父長制が「古い、封建的、男尊女卑だ」などと言えないはずなのである。

戦後、家父長制は、民法の均等相続、家長権の否定、農業を含む自営業の減少とサラリーマン世帯の増大、核家族化、女性の社会進出などで相当程度に崩壊しつつある。「本家や分家」などという言葉も知らない世代が育っているのだからやむを得ないのかも知れない。
しかし、近年、「責任を負うことを引き受けたくない男」、「草食系男子」、「結婚したがらない男女」などが増えており、これが少子化の原因の一つであることを知ると、武士道精神の消滅の危機が、少子化に大きく貢献していると思われる。なぜなら「男は結婚して一家を構えて一人前という考えや、責任感や役割を第一に考える武士道精神」が衰退していることが如実に現れているからである。


ちなみに明治期に銀行や株式市場など500以上の大企業の設立に関与し、「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一は、「片手に算盤、片手に論語」と言った。この「論語」とは、ほぼ武士道を指す。つまり企業経営においても金儲けだけではなく、高い社会的責任感と倫理観をもって家長(社長)としての責任を果たす。こうした武士道がなくなれば国家としての力、日本人としての民度は衰えるばかりと考えられる。そうしないためにも「武士道精神」の義務教育での発揚を望む次第である。

筆者は戦後民主主義を否定する者ではないが、かといって、古来からの日本的価値観が消滅してしまうのには反対である。どちらも「過ぎたるは及ばざるが如し」で、両者の共存を考えなければならない。
「教育勅語の復活」を説く人もいるが、教育勅語は「朕思うに我が皇祖皇宗國を・・・・御名御璽」などと、天皇崇拝の面が強すぎる。そうではなく、庶民の間に広く、長く定着してきた日本的精神の典型たる武士道を小学校の「修身や道徳」の教科として教えていくことが重要と考える。昔から「男は度胸、女は愛嬌」と言うが、「頼りがいのある、いい男」を育てることは「いい女」を育てるより長い期間がかかるのである。 」

武士道が正しいかどうかは今後研究するとして、儒教は支配者側に都合が良い教えです。ですから上の人はこれによって指導しようとします。しかし、それは若者が考え打破する力をそいでいます。

弓道は芸術である、パフォーマンスだ。この思想が何時実現するかです。


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2011-06-11 20:22:29

>>日本は昔から和を重んじてきました。
 日本人は和を重んじていたのではなく、日本人の8割が農民だったので、村社会・村共同体を絶対視していただけです。村八分は嫌ですもんね。


>>韓国の男性と交際経験のあるジャーナリストの笹幸恵女子によれば、韓国の若者は「自分が女性を守ってあげる」という意識が強いという。
 ソース:メディカルトゥデイ(韓国語) 殴る夫・打たれる妻、'家庭暴力'先進国の5倍
http://www.mdtoday.co.kr/mdtoday/?no=156878
 典型的な儒教国家である韓国は、男尊女卑が激しいです。


>>日本は、戦前までどの家庭にもあった家父長制や武士道などの価値観
 是非その根拠を書いて欲しいですね。むしろ朱子学を基にした儒教を、多くの日本人は学んでいた。そもそも、武士道には経典はありませんし、武士道は朱子学・儒教から生まれた思想ですし、武士道がどういうものなのかを具体的に知ることはもはや出来ません。
 葉隠を根拠にしないでくださいよ?あれは禁書ものでしたから。


何と言うか精神論ばかりですね。
返信する
弓道、儒教の弊害 (くまのかかし)
2019-05-09 09:12:47
日本の弓は儒教の影響を受けているが、以前中国が高度経済成長の始め、儒教が問題になってると言われているがそれをどのように受け止めたらいいのか尋ねたら、最初はそうであったが今は日本の弓になっていると言われ、短いよりも、長いほうが派手できれいだからと聞いています。
返信する
弓道儒教の弊害 (くまのかかし)
2019-11-15 12:44:48
コメントの削除をお願いいたします
返信する

コメントを投稿