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弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

会を持つ練習法を考えるー3・・・会とは(弓道教本第三巻から)ー1

2009-11-03 | Weblog

 会を持つ方法を考えるに当たって、回はどうすべきかを教本から勉強しています。今回は弓道教本第三巻を勉強します。勉強しても分かるものではありませんが、自分で練習していて工夫するときヒントになるのではないでしょうか。また、どの本も勉強した上で自分の射を考えると言う方法があるのです。逆にほとんど勉強しないで自分で考え工夫して、後から勉強するという方法もあります。この場合独創的なことが生まれることがあるのです。ともあれ先人の教えは大切です。

 鈴木(伊)範士
「会の目的は、肩・胸・両腕の骨節を正しく、平均に伸張せしめ、覘いを定める動作である。要則に曰く『心身を合一して発射の機を熟せしむ』と。ここに「心身を合一して」とある、このときの心とは平常心のことで、身とはその人の平常体のことである。すなわち頭の天辺から足のつま先まで、殊に肩と胸と両腕の正しい力の均衡のことで、満身の力が弓と調和し、どの部分にも少しの隙もない円満平衡の状態のことで、これが身の合一なのである。この身と心とを如何にして調和し合一させるかと言うと、引き取ってきた両拳がその最終点に達したとき、なお一層筋肉の伸合いによって堅持するとともに、覘いを定めて発射の機を熟せしめることである。古来、満を持して放たずというのは、この会のことで、また保ち或いは抱えなど言う人もある。会の正型とは、このときにおける五重十文字①・・②・・③・・④・・⑤・・のことである。」     「会とは、一般には矢束一ぱい引取り、まだ発せずして保ちつつある間であると考えているようであるが、しかし真の会は、それから八方に伸び合い詰め合ううちに生ずるものであって、つまり気力・体力が充実し心身を合一した、発射の寸秒前を会の終わりと言うのであろう。 しかして会は鏡の如きもので、弓を引いて会に到ったときは、一切の偽りは許されない。心の動揺は直ちに会の鏡に映し出される。良き引き取りから良き会があり、充実せる会から良き離れが生じる。ただ引納めただけのものが真の会ではない。伸び合い責め合いの極が会であるが故に、客観的には会があっても主観的には会はないーと言うように思いたいのである。 この「会」と言う言葉は仏教の語から出たもので、生ある者は必ず滅し、会うものはいつかは離れるーと言うことで、押手が伸び右手が伸び、四方伸び合えば一つのものになって相合うから「会」という。ただ引き取っただけでは、押手も勝手もまだ別々の働きである。伸び合うてこそ縦横一本となるものであり、すなわちこれが真の会であって、弓の数秒時間の生命であると言うことを、必ず心に銘じて行射すべきである。
  延び合いは弓手に定め妻手にしめ 腰より惣身筋骨をはれ
 「的中上重要な絶妙をなすものは、左手の内であり、若しこの手の内に欠陥があれば、的中を得られるものでないから、『よく手の内を吟味せよ』と言うのが、古来からの論拠のようにも聞く。 されば弓の握り方について、幾多の説法がある。曰く鵜の首・卵中・呼立ったり、傘の手の内、・爪揃い、―等々、まだ沢山唱えられて来ている。しかもそのことごとくが、的中のために立案されている至妙論として全面的に支持され、今日でも無条件に遵奉されている状況で、そのいずれをとってよいのかわからない。 
 私の弓の握り方をいうならば、弓を握るにあたり、拇指と中指の二本で軽く握り、次に拳を小さくするため、小指を初めに弓に添え、後に薬指の順に無心に添付した握り方をする。そうして、拇指の関節から先へは力味を加えぬようにして握る。要するに、本人が持って生まれた性能と、多年に亘って鍛錬の結果、自得したる手法によってのみ実現するものと、力説するに憚らない。」  
「会の際における覘いとは、右目を持って弓の左から物を覘い、左眼を併せ用いるのが普通であって、物見だけのことではなく、射法上の真の覘いを言うのである。 

されば真の覘いとは、左拳矢尺と頬着け(口割り)三点の一致を言うのであって、ただ単に眼だけの覘いを言うのではない。鉄砲で言うならば、左拳は照星であり、矢尺は照尺であり、頬着け(口割り)は照門にあたるからである。古来の説法の如く、如何に左拳を正確に的の中に定めても、一本一本その矢尺に長短があり、頬着け(口割り)に高低があるならば、百発一矢も中るものではないのである。極端に言うならば、眼をもって覘う左拳の確かさよりも、矢尺と口割りの正しさに、遙かに中りありと断言し得る程、的中に重大な関係のあるものなのである。 故に会においては、この三点の一致に最も意を用いて、発射の機の熟するのを待つのである。この三点の一致がなければ心もまた熟せぬから、よしと命令はしないのである。これが確定して始めて心はよしと命令するのであるから、離れに移行するのである。これが心身合一の射であるから、発して中らざるなしーと断言するに憚らないのである。」

 祝部範士
「左主右従の気持ちで引分けられた矢は、水平を理想として会にいる。善射も好離も良会に因を発すると見るべきだが、会五段・離れ三級などと言われる人もたしかに居るのだから、必ずしもそうばかりではないかもしれない。会に入って五秒から十秒の間、これは是非保ちたいものであるが、性格の厚燥がこの会の深浅に現れて、どうにもならない。国土性もあるとみえて、半年雪に籠もっている東国の人の方が、からっとしている九州人より何としても深会である。或るせっかちの浅会人が『会の一秒は崑崙を支える一劫を思う』と言うた形容は、仰山だが気持ちは解る。然り、浅会党の我らが何より羨ましいのは、深会である。しかし、この深会を作ることに努力を積まなければ、やがては早気になり、廃弓に到着するというに到っては、苦酸もまた甚だしいのである。」
「弓法上の要訣のうち、大の一は会における矢尺である。・・・先ず引けるだけ引くことである。但し右手の手首を内に折らずにと言うことを、重大なる制約としてである。若し右の手首を折って引けば、いわゆるたぐる右手であって、こんなものが許されようはずがない。引けるだけ引いた矢は、右手の拇指根の外側は、右肩の突角すなわち図示(151P)したように、いわゆる肩の外れの点まで来ていて、右腕は背後の方に引回した姿を構成する。この姿形が体勢上からも、挽弓法としても合理合法のものであることは、異説を挿む人は無いはずである。

 ここで最も留意すべきは、射法上の一大失敗とされる、右肩の逃げたいわゆるのき肩の人は、この際厳に矯正しておかねばならないことである。 こののき肩の人では、右手を肩の突角まで引くということは望めない。それはそのはず、突角を示す肩が逃げていて、その辺に無いからである。こののき肩の人が現時の射者に如何に多いか、而してその尽くが、その本人がこれを知らず、或いは知っていても、それが重大失敗の射勢であることに自覚が無いという有様である。 こののき肩の人は右肩を前に差出せば、今でもすぐ矯ると同時に、臂が後ろに廻りこみ引けるのだが、ただ差出すのでなく翻えし出せと言うことが、射学正宗でも主張されている。右肩先を下向きに翻えし差出せば、必然に右臂先が上がって、垂れ臂から免れる。この時、上がった臂先を手先と水平にせよと教える人もあるが、それは胸部を無理に圧する形勢を作り、古歌の 一の字に引いたる弓は見よけれど 矢の大業はならぬものなりに抵触して、不自然の離れを招来する。故に、この時の右手の角度は約六0度(垂直から60度、水平から30度)、すなわち胸の一番開く形勢であらねばならない。

右肩の右の突角まで引き取った右手は、これを懸金にかけた右手と言っていた。引き足らずで肩の前まで引いたのでは、弓力は全然右手のみで受けているが、この懸金にかけた形になれば、その時の弓力は右肩に来て、いわゆる全身でこれを受ける形勢を構成して、それが弓法上の合理的であることは明瞭である。もしこの人が、試みに引き足らずを真似て十センチ戻してみれば、寸時も堪えられないほどに右手の無理を知るであろう。引足らずは矢尺が短いから、力が少なくても良いはずだが、宙受け(ちゅううけ)なるが故に、右腕に無理な力が要求され、そこに恐るべきマイナス点を蔵していることを知るであろう。ここまで引取った右手は、次の離れにおいて、単に右肘を開くだけで、すでに全身射を形成し、しかもそれは放し易いはずである。放し易いということが的中に利するは勿論である。

いまここに射場に上がっている射手を見て、その右手はどこまで引き取っているかを調べると、それが驚くほど引きつまりが多いということを知るであろう。これは後年の廃弓のの一要素を蔵有している悲しむべき射者である。年をとって来ては、引きつまるとも延びはしない。段々につまって来ては中りも減り体裁も悪くなり、完全に廃弓に到達する。さなきだにこれは全くのマイナス射である。老年者ならずとも一日も早く矯正せねばならぬ射形である。次に会の要訣は深である。深は会を深くせよである。絶対的中だけの目的である弓法に、弓理上から深が要求された。引き取ってきて会に入ったならば、なるべく深かれと言うのである。

 会に入って離れの順序になっているのに放し得ない、いわゆるもたれというのがある。それと反対に、まだ放してはならない、放すまいと努力しながら、射者の心に背いて飛び出す早気と言うのがあるが、これは共に難病の病者であって、他に処方があるはずだからここでは語るまい。(今まで、この早気を無くすことに苦労している、この処方を知りたい所である。自分で考えるしかないか・・筆者のコメント)

 深会を要求するのは、的中のためではない。射心が落ちつき、照尺が確実になるから的中上有利なりとは思わない。それは早気または浅会者に能中者が多いことから見ても判る。然からば、見て重々しく、浅会者の軽薄さが無いかというと、必ずしもそうではない。しかし何れにしても、それはプラス射であることに間違いはないはずであるが、或る私の関係者に平素行動の頗る遅鈍な人がいた。どうせ一切の射行為がのろいのだが、会に入るとなかなか放さない。ただ分けもなく十五、六秒も保っているので、その心情を尋ねたら、その秒数をかけなければ、発射心が起こらないと言うのだ。もとより躍動するという保ち方でないことは勿論だが、これも心情に発した深会であることに相違ない。ただ私は、この人には会を五、六秒に浅めて、射によって平素の遅鈍を救おうとしたが、あまり効果は無かったようだ。

然しながらせっかちの早気というのは、間違いもなき性情のの発露で、射学正宗の『弓を引くこと早き者心必ず噪がし・・・』は、引取りのことではなくて浅会のことである。・・・修養道から深会を要求するのかと言うと、そうでもない。古来の多くの流派は深会を好まなかったようである。まさか実利射の速射速殺の観念から脱穀し得なかったためとも思えぬが、現時より遙かに強弓を用いていた時代のこととて、持てば持ち腐れすることを恐れて五、六秒も持てば、それは既に長会者として指折られていた。

・・・私どもの流説に、・・・一・二・三を数える程の時間でポンと放せというので、これも二秒以上は持たせなかった。これらの法訓では、心機を熟せしめる時間を会におくということを認めず、弓を構えたらいつも機を熟せしめておけと言うのであったが、そのいずれもが深会を要求していないことは同様である。いま、一矢を射出すだけの射法としてならば、或いはこれでよいかもしれないが、万人を後年に教える射法としては同意されない。・・・深会精神を遵法して、果ては二十秒も三十秒も持つという人もあるが、それは第一には弓が弱すぎると見るべきである。十秒も持てば腕力上において弛みが来るというほどの弓を把るべきである。

・・・後年に備えるため持ち堪えて六、七秒という頃、力技の頂点と発射心の熟成とが一致するというのが、弓理としての理由が立ちはしないか、これが現在会としての常識となっているが、それを「深」という名によって理由づけたのである。」

(掛金:戸を締めて動かないようにする金の輪を掛金と云う。弓を引き分けて来て、馬手拳が右の肩口の所まで引き納まり、弓は少し伏し気味となり、掛拳は日表となる気味に働き、弦は胸にぴったりと付き、肘尻を後ろに回し、左右の肩胛骨が逢うようにした上は、既に引くことをなさず、肩根に掛金を掛けた如くなって動かず、心身の緊張にて伸び行く状態にあるを、掛金の習いと云うのである。)(現代弓道小辞典) 

「会に入って弛まずに保っていることは、弓が引き戻す力を持っている以上、自分には無意識の間に一、二、四、八と倍加する力が払われているに相違ないから、それを意義づける意味からも、締め伸びを加えよと言うのであるが、更に引き加える余力もまた余地も無いとき、伸びを加えることは同調子を確保する所以だから、これが的中上有利なる方法である以上、至難のことではあるが、弓法上無上法的のものとして遵奉しなければならないところである。況んやそれが、この上もないプラスとなる方法であるにおいておやである。 中てたい的に向かい、勝たねばならぬ敵を前にし、衆人環視のなかに、躍る心を押さえ平静を装うて、更に幾秒かを持ちこ加え、更に更に締め伸びを加えて、初めて的中を得ようとする弓道なるものの宏大さは、今更言うまでもないことだが、これほど道者に残虐なるものが他にあるだろうか。」

「会におけるねらい――これが的中上緊要なるものであることは言うことをまたないが、そのねらい方なるものを、古伝書や近刊書すなわちすべての弓書に示されているところを見ても、そのいずれもが甚だ杜撰なもので、到底信じられないないほどにものであるが、時人がこれを認めているのが不思議でならない。 会に入った時の矢が、的に乗っているかどうかということは、自分には判らない。他の人に右背後から矢筋を見通してもらって、その矢筋が的面内にある時、その射者がその弓と的との関係を知ること、それがその人のねらいである。 矢と的との関係は動かさずとも、射者自身が面持ちを動かし顔を右に戻せば、的は透明に見える弓体の頭を左に向ければ、的は弓体の中に顔の動きにつれて入って来るし、反対に左に離れて出てくる。人各々面持ちの度が同一でない以上、的と弓との関係すなわちねらい方などが、予め定められるべきものだろうか。 

それに就いて、矢乗りは必要なりや―という問題に触れねばならない。弦は弓体の中央に収まる。ここで矢が弦から離れると、一寸(3㎝)巾の弓だとその半分の五分(1.5㎝)だけは、矢先は的の右に外れているわけである。五寸の張り高の弓だと、一五㎝に付いて一・五㎝の歪みがある以上、一五間(約二八m)先は何センチか前に出るはずだが、それを出さないのだ手の内の働きである・・・などと教える人が居り、果ては、弓返りをするのはそのためであるというのは、馬鹿げた話である。 この見地からは、矢は的に乗るはずもなく、また乗せる要もないわけであり、終には百人一率のねらい方などを定めたものであろう。この人達は重大なことを見落としている。図示したように、左手のきめで弓体が捻られていて的に正面しておらず、離れる時の矢の筈口と、矢が摺って行く弓の右端とは、的から直線上に並んでいる。ここで離れるから、この矢は離れに当たって手の内の工作などせずとも直進するということを、見落としてはならない。 故に矢は、必ず的に乗っていなければならない。若し矢乗りを等閑にして的中を求めたならば、我が弓道は修養道ではなくなり、その弓法は的中法でさえなくなる。・・・ 矢乗りを正しくして的中に努力するところに、精神的にも修養道としても意義があるのだが、肉体的その他の関係で、乗った矢ではどうしても前に出るという人に対しては、方便的に矢乗りを狂わせて、的中することを認めねばならない理由もあるが、努力回避党の若い人達で知りながらか、矢乗りを狂わせているのはざらにある。試みに射者の右背に廻って会の時の矢筋を見ると、怪しげな作成弓返りなど行っている人など、必ずと言い得るほど矢は後ろ乗りだ。この矢乗りを矯めずして、何の至宝があろうか。

(コメント:祝部先生の書かれたものは教わることが多いと思っています。一行一行吟味すべきだと改めて考えています。) 

 



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