篠原美也子『逆光』(2006年)を、アルバム『レイディアント』(2006年)から、聴いてみる。
難に立ち向かう事を、美辞麗句化するのは、未だに…。

篠原美也子の2005年のナンバー、“loop of smile”を、アルバム“us”(2005年)より、聴いてみる。
誰かの笑顔の輪だけを見てばかりの日常である。
篠原美也子のアルバム“us”(2005年)から、『ゆらゆら』(2005年)を、聴いてみる。
恋に夢中…そんな沢山あったものは、埋もれ行き、次に、顔を出すのは何時でしょうか?
篠原美也子の2004年のナンバー、“split”を、アルバム『種と果実』(2004年)より、聴いてみる。
分離/分岐を繰り返して、気がつくと、平均値からは、随分と遠退いてしまって今、である。
篠原美也子の1998年のナンバー、『死にたいほどの夜』を、アルバム“magnolia”(1998年)より、聴いてみる。
これは、あかん…で終わっては呉れぬ今日は、未だ、続き行く。
篠原美也子“Always”(1997年)を、シングル『“Always”/『風の背中』』(1997年)より、聴いてみる。
霧のような存在でも、目に見えているいつでもある歌……と思うのは、私だけでしょうな。
篠原美也子“Don't forget”(1995年)を、アルバム『河よりも長くゆるやかに』(1995年)より、聴いてみる。
このナンバーの主人公が想い抱くものに、追い付けることはない事、忘れていた……いな、このナンバーの主人公の存在を忘れていた。
篠原美也子『河を渡る背中』(1994年)を、アルバム、『いとおしいグレイ』(1994年)から、聴いてみる。
このナンバーも、欲しい今日と明日を見つめた感じがする。それは、先行して突き放される人が渡り行く河のようでもある。
1993年の篠原美也子のナンバー『風のかたち』を、1993年のアルバム『満たされた月』より、聴いてみる。
期待したものを、逃し失った時に見える風に、希望はあるのだろうか?
1993年の篠原美也子のナンバー、『ひとり』を、シングル盤で聴いてみる。
この曲のような夜ではないけれど、来て欲しい状況を待つことは、変わっていない。