

1995年の篠原美也子のアルバム『河よりも長くゆるやかに』より、『名前の無い週末』を聴いてみる。
世間の花は咲いても、我が心の薄紅色の花は咲かず、相も変わらない終末の週末の日々を行く。

篠原美也子2005年のアルバム“us”から“HOPE”を聴いてみる。
「出会った春を不意に思い出す。あなたが、20。私が19」
と言う歌詞があるが、望みを胸に手を携えて、これからを行こうと言う気持ちに、その年齢の時に思えたら、素敵である。

篠原美也子の2008年のセルフカバーアルバム“SPIRAL -ANIVERSARY EDITION-”より、“Like 17”を聴いてみる。
この曲のような17歳の時がなかったからこそ、想えるものがある1曲。

篠原美也子の2007年のアルバム『桜花繚乱』より『永遠を見ていた』を聴いてみる。
激しさと静けさが入り交じるナンバー。
春という季節に、永遠はなし。けれど、その季節が確実にめぐるのは、永遠である。
激しさと静けさが入り交じるナンバー。
春という季節に、永遠はなし。けれど、その季節が確実にめぐるのは、永遠である。

篠原美也子のアルバム『花の名前』(2011年)から『サクラサク』を聴いてみる。
開花のニュース、という一文があ一曲。今日の日に、相応しいナンバー。

篠原美也子2010年のアルバム『バード・アローン』より、『桜駅』を聴いてみる。ソメイヨシノの開花の便りに、ひかれてピックアップ。
桜見て想う何かは、これから。
桜見て想う何かは、これから。

篠原美也子“Tokyo 22:00”を、アルバム『いとおしいグレイ』(1994年)から聴いてみる。
今宵も22時で、ピックアップ。
明日もまたこの街で活きよう、そんな立派な想いを抱くこの曲の主人公の足取りを想う。
今宵も22時で、ピックアップ。
明日もまたこの街で活きよう、そんな立派な想いを抱くこの曲の主人公の足取りを想う。

篠原美也子のセルフカバーアルバム“SPIRAL”(2003年)から、『名前の無い週末』を聴いてみる。
世に出て15年経過するこのアレンジ曲。未だ、心に響くのは、きっと名前のつかない、終末の週末を毎度迎えているからだろうか?

EAGLES“SATURDAY NIGHT”(1973年)を聴く。土曜のゴールデンタイムは深まる。