篠原美也子、1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』より、“DOWN”を聴いてみる。渾身のロック感ある感じの曲にタイトルからも想像つくだろうか?気に入った曲であるが、昨今はあまり聴いていないナンバーである。
篠原美也子、1993年のアルバム『海になりたい青』より、『ひとり』を聴いてみる。デビュー曲は永遠にそのままである。
この曲との出会いは、1993年から2年ない3年経過した頃。その当時、ひとり、と言う単語にやたらと焦がれたのは、この曲の影響である。
人を寄せ付けなくても、魅力のあるひとりにはついに成れず、みっともなく淋しいひとりの今は継続中である。
篠原美也子、1993年のアルバム『満たされた月』より、“Cloudy Eyes”を聴いてみる。
夜も終電もまだ遠い時間に聴いても――は歌詞を知っているもののみが言える台詞だが、篠原美也子の2000年以前の曲は、夜の歌が多かった。故に、この“Cloudy Eyes”も例外にあらず。
篠原美也子、2004年のアルバム『種と果実』より、『目を閉じたくはない』を聴いてみる。
全てを見据える覚悟は、この歳になってもない。
見たくもない現実は今日も続く。
目を閉じたい今である。
篠原美也子、1997年のアルバム“Vivien”より『あたたかい沈黙』を聴いてみる。あまり聴こうと思って聴く曲ではない。
言いたい色々を、何も言わないでくれる沈黙がありがたいこと、あるなと思う。いえば、揉め事になるのが必至だったり停戦合意だったりもするが。
この曲、成長の出来ぬ歯痒さとひとり立ちをしたいと言う想いが込められた曲かも、と今頃になって思う。19年前に聴いた時は想いもよらない何かにこうして聴いてみて、気づく事は意外以外の何物でもない。
篠原美也子、2008年アルバム“your song”より、“my old lover”を聴いてみる。
お互いに失恋して、そこに愛や恋はなくても、相棒やライフパートナーみたいな感じで共にありたい誰かを思うラブソング――だと勝手に思うが、実際の所は解らない。
篠原美也子、2005年のアルバム“us”より、“HOPE”を聴いてみる。
この曲の歌詞の内容みたいな恋の場面、あって欲しいな、と思う。この人とならいける、そう信じられる、何かがお互いにあったら良い。
現実はそれだけではうまくいかない。だから何度も言う。
――全ては物語の中だから良い――
と言う事を。
篠原美也子、アルバム『海になりたい青』1993年より、『心のゆくえ』を聴いてみる。
時の流れの中で、変わり行く人の心があるなか、自分の心は、それに合わせて変わっていける――なら、苦労はなく、人生いけるだろう。
人生、他人の心の変わりようは見えても自分の心の変わりようは見えないものであり、心はそうは変わらない――のはもって生まれた性格なんだろうか?
篠原美也子、アルバム“magnolia”1998年より、“Like17”を聴いてみる。
2000年、ようやく、来年17年が経過する事になる。2000年頃、今よりそして1990年年代の嫌な地元学生生活を脱し、永遠にこれが続いてほしい、と願った事はなかったけれど、ほんの少しの楽園を見た気がした。
篠原美也子、1997年のアルバム“Vivien”から“Always”を聴いてみる。
世に出た当初は、『風の背中』より目立っていたように思うが、いつかも書いたように、お蔵入りソングと言う感じがする。でもそれが良い――なんて思う、いつでも心にある歌である。