日曜が静かに終わろうとしている。闇がさらに深みを増し、人々を夢の世界へと誘う。 今、ひとり部屋の中で、窓を開け、遠くでとどめく暴走族達の爆音と下水道を行く水音を聞きながらこうして執筆している。今の空気はまだ、日曜日である。
今日と明日は一体、どんな風に入れ代わるんだろうか?ふと思う。闇が光の中に吸収され、太陽が街を照らす時に、明日という今日がやって来るんだろうか?明日は常に「象徴」で、実体はなく「いつでも‘‘今日が実体,,」である。
光が闇を飲み込む時に、人は動き出す。そしてどこかで交じり、繋がりをみせていく。それが、いつもの「ありふれた日常」である。
繋がりから一瞬逃れられる今、この時は、何と表現したらよいのだろうか?ある人の言葉を借りれば「曖昧な時」という所だろうか?
それはともかくとして、昨今、昼日が長くなってきているので、あと4時間もしないうちに、光に迎えられるだろう。今は、迎えに着ては欲しくない。
夜の街もまた、光を待っている。そこにはどんな感情があるんだろうか?