Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

久し振りの鶏飯

2018年01月21日 | 日記
四ツ谷で写真サークルの例会後、久し振りに「しんみち通り」の居酒屋で
好物の鶏飯を食する。
呑んだ後の鶏飯は、お茶漬け変わりでもあるが、鶏肉と錦糸卵、椎茸などの
具をのせて出し汁を掛ける。結構美味しい仕上げ飯になる。

ちょうど午後から雨が降りだした日であった。
店を出て、何気なく写真を撮る。
写った情報の中に、「雨やどり」なる名の唄えるスナックの看板があった。
歩いている時は気付かなかったが、後で写真をチェックすると面白い
発見があるものだ。

面白いとは、自画自賛的だが天気が良ければ何でも風景だが、傘を差した
女性二人が歩いている姿と、この看板が妙に印象的になる。
そんな雨降りの四ツ谷「しんみち通り」であった。

大寒と55年前の急行列車

2018年01月20日 | 日記
二十四節気の一つ大寒である。暦の上ではこれからが一番寒い季節に
なる。昨年来からの寒波到来で一段と寒さが厳しかった。
日本海側の積雪も多く、先日信越線で電車が雪で立ち往生した。
思い出すのは、三八豪雪(1963年・昭和38年1月)で新潟始発の
急行「越路」がなんと106時間遅れで上野駅に到着した。
いろいろな資料で、その時の急行「越路」の足取りを伝えている。

1月23日(水)新潟発、上野行16時05分・704レ(愛称:急行
越路)が1時間5分遅れで出発。
その後、信越線の新潟―長岡間が暴風雪のため22時頃までストップ。
運転再開後保内駅(新潟から36、3Km)で雪の吹き溜まりに突っ込んで
立ち往生する。
1月24日(木)何とか脱出したが、押切駅(新潟から56、4Km)で
また立ち往生。暖房が切れたため列車内に火鉢を差し入れる。
乗客約400人のうち311人が一酸化炭素中毒症状を起し、重傷の3人が
ラッセル車で長岡に運び入院。
1月25日(金)~27日(日)長岡駅(新潟から63、3Km)で立ち往生。
開通の目処が立たないため乗客は近所の旅館へ宿泊。27日の朝『除雪協力隊
を乗せた救援列車』が上野から東北本線、磐越西線経由で長岡へ到着。
1月28日(月)1時45分長岡駅を発車。106時間21分遅れで8時29分
上野駅に到着する。国鉄史上最大の遅れとして記録されている。
※写真は当時の様子を伝える朝日新聞と上野駅で急行「越路」を出迎える国鉄マンたち。

編成が増えた京王新5000系

2018年01月18日 | 日記
京王の新5000系車両に出会える機会が増えた。
それは3月の本格運用を前にして、車両編成が整ったためであろう。
月曜日、半蔵門に行く途中で、昨日は写真サークルの例会で四ツ谷へ
出掛けたが、2日共同じ時間で千歳烏山を13時46分発の準特急で
であった。

千歳烏山から新5000系に乗った訳であるが、向いの席に乗っていた
若い女性二人が新5000系に関する面白い会話をしていた。
この二人、実は千歳烏山から乗ったのであるが、その時も新5000系が
進入して来ると『ああいやだ、この電車嫌いなの』と云っていた。
何がいやなのか、会話を聞いていると車内の匂いらしい。
ヘッドレストカバーのビニールレザーか、座席シートの匂いか不明で
あるが、云われて見ると何かビニール系の匂いがしないでもない。

鉄道ファンとしては、臭いに敏感な女性たちの会話を聞かなければ、
そんな匂いまで気が付かなかった。

ショーティーサイズの103系電車

2018年01月17日 | 日記
JORCの運転会で見た模型の続きの続き。
ショーティーサイズの103系ウグイス色の国鉄電車(101系かも)。
持参した会員の方に聞いた話では、写真の真中2両はアメリカで購入し、
左右の車両模型は自作されたと話されていた。
中2両の模型は、カツミ模型店がショーティーサイズの103系の運転席
の前面を米国風に変えて輸出した3線式の鉄道模型らしい。

実車では4扉だが、模型では3扉のショーティーサイズとは云え、4両
編成になるとそれほどの違和感がない。
JORCの会員諸氏は、何しろ詳しい方揃いなので、『ああ~アメリカで
販売していたあの電車ね』と直ぐに分かったようだ。
小生などは、最初は103系がアメリカに輸出され走っていたのかと勘違い
する有様である。

日本型で特に国鉄関連の車両が少ないJORCでの運転会で、興味のある
鉄道模型を見させてもらった。
※鉄道模型ファン以外の方に、ショーティーサイズの模型とは実物の車両の縮尺を
 短くして、手軽に楽しめるサイズにしたモデルである。

渋い客車編成の鉄道模型

2018年01月16日 | 日記
JORCの運転会で見た、渋い客車編成「快速 ちどり」号。
大凡の事は、持参された会員の方に聞いたが、後で調べて見る。
実車でも、快速なのにヘッドマークを付けて走っていた。

ちょっと実車について書いておこう。
1953(昭和28)年11月、広島―米子間の週末臨時列車として
誕生し、翌年秋から定期列車になった。
広島―備後落合間の芸備線はC58が牽引し、備後落合からの木次線で
C56が牽引した。宍道か松江で機関車を交換したらしいとある。

当時は、快速でもご当地列車ということでヘッドマークを付けて走った。
この「快速 ちどり」号は、1959(昭和34)年4月に準急に昇格し、
気動車のキハ55系に変更された。

当時の実車の編成は、オハ35+オロハ30+オハフ33の3両編成。
編成が短いのは、陰陽の山越えがあるため、特に勾配に弱い蒸気機関車が
牽引するので車両数を絞ったのであろう。
嵌め込み写真は、実物のヘッドマーク。
また「ちどり」とは松江城の別称・千鳥城から付けられたとある。