地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

コロンブスの地図

2008-04-04 11:25:47 | Weblog
コロンブスがアメリカ大陸を発見する直前の1490年頃の大西洋側の地図です。
まだ、大西洋の向こうは真直ぐインドに繋がっていると信じられていた時代の地図です。
海岸沿いには無闇に地名が記されていますが、当時の航海用の地図としては当然でしょう。地中海の中は特に精しく書かれています。アフリカの西海岸の精しい表記には驚きましたが。

そうした認識の時代に、トリデシリヤス条約のためか、スペイン国王をスポンサーにしたコロンブスは西回りでアジアに向かうほかなかったようです。
一行は、1492年8月3日、スペインの西南の港・パロス港を出発し、 約2ヶ月間陸地を見ることなく、西へ西へと航海をつづけ、10月12日、ついにサンサル・バドル島を発見して上陸しました。
コロンブスは死ぬまでそこがインドのそばの東の島だと思っていたようです。

コロンブスが乗るのがサンタ・マリア号。積載能力150トン、全長23メートル、幅7.5メートル。三本マストの当時としてはごく普通の船だそうです。
残りの二隻のピンタ号とニーニャ号は、サンタ・マリア号の約半分の大きさだそうです。
 乗組員は、なかなか集まらなかったようです。
何しろだれも行ったことのない西廻り航路ですし、当時は、インドに着くどころか、途中で「世界の端っこの大きな滝、ドウドウと流れ落ちている滝に落ちて死ぬかもしれない。」という世界観、世界地図の概念でしたから。
そこで、仕方なく、国王の与えてくれた囚人どもを乗せて航海することになりました。未熟練者が多かったようです。

その後、1498年ポルトガルのバスコ・ダ・ガマがアフリカの南端をまわってインドに到達しました。
さらに、ポルトガル人のマゼランがアメリカの南をまわってはじめて太平洋にたっし、ポルトガルに帰ってきました。
はじめて世界一周をしたわけです。
こうして世界地図は飛躍的に変化してきました。
しかし、まだオーストラリアなど南半球の様子が詳らかではありませんでしたが・・・