地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

バレンティンのオーストラリア図

2008-04-17 14:24:51 | Weblog
バレンティンのオーストラリア図
1726年のバレンテェンの地図はタスマンの探検の結果を示しています。
タスマンの2回目の航海から約80年後の地図です。

世界でもっとも遅く探検された地域です。混沌とした地理認識が伺えます。
そのくせ赤道や南回帰線らしき線が描かれています。
不可解な部分が多いですね。ゆっくり、こつこつ調べてみましょう。

さて、オランダ人 アベル・タスマン (Abel Tasman) は1642年、南半球の偏西風にそって、インド洋を東に進み、タスマニア島に到着、その後、さらに東に航行してニュージーランドを発見。
彼は最初それが南米大陸の陸続きの先端だと考えたそうです。

その際、オーストラリア本島に沿って東に進んでいたはずですが、本島は発見されていなかったのですかね。大分南の偏西風に乗っていたのでしょうか。

その後、2回目の航海は1644年に行われ、今度はニューギニアとオーストラリアの間のトレス海峡を周り、オーストラリア北海岸に沿って航海したそうですが、海賊行為としての有益なものは発見できず、その後、約100年間は活発な探検は行われなかったようです。
その際も、地図にあるようにニューギニアとオーストラリアは陸続きとみなされていたようです。すなわち、ニューギニアはオーストラリアの一部だと認識されていたようです。

時代は下り1777年、イギリスはジェームズ・クック (James Cook) がオーストラリア東海岸・シドニーの南方ボタニー湾に上陸し、本島を確認しました。
大航海時代に、100年もの間、探検が行われていなかったわけではないでしょうから、何か別の深いわけがありそうですね。