地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

クックの業績

2008-04-19 14:32:53 | Weblog
クックが貴重な人であったことは、彼が船も操れた上に、海図も作れたことです。
大抵の船長は海図作りは人任せにしていました。

7年戦争※1)が終わり、戦勝国のイギリスは地図を作る必要な土地を多く獲得していた。
その際に活躍したのがクックです。

※1) 七年戦争は、1756から1763年の7年間にわたるヨーロッパ内部の戦いで、イギリスの財政支援を受けたプロイセンと、オーストリア・ロシア・フランス・スウェーデン・スペイン及びドイツ諸侯との間の戦いです。
並行して、イギリスとフランスの間では北アメリカ、インド、各大洋上で陸海に渡る戦いも繰り広げられました。

当時のイギリスは七つの海の海上権を確保することは国家的要請であるとして、未知の南方大陸と太平洋の探検は国家的事業であった。そういう背景の下で、クックは探検と地図作りにまい進したのです。

中でも、ニューファンドランドの海図は、そこが北米への玄関口であっただけに重要で、かつ9600kmもあるという凸凹した海岸線の測量だけに困難を伴いました。
クックは1763から1767年にかけてこの測量をおこないました。その成果が上の地図です。
経緯度線も入り、画期的な地図です。
縮尺は1マイル=1インチだそうですが
彼が30歳後半のころです。

彼は伝統的な海洋測量の方法に、陸地の三角測量を加え、その相互の位置関係から正確な海上の位置と、そこの水深を測量しました。
以前は、「・・・方位コンパッスを使って海岸で最も突出し、あるいはくぼんでいる地点の方位角を測る。その角度をメモし、海岸の大まかな形をスケッチする。・・・次に、船は(その地点に向かって)直線コースを取るが、これは測距器などで、1マイル、2マイル、3マイルと慎重に図らねばならない。」・・・

海岸に近づくに従って、船からに位置と方位角も変わり、入り江だと思っていたのが島だったり、島だと思っていたのが岬だったりで、海上からだけの測量では正確さを欠く地図になる可能性がありました。

クックはそのてんを妥協せず、徹底的に調べて地図化したようです。
彼は、伝統的な沖合いからの測量技術に、陸地での平板測量の技術を結びつけました。

陸地での基線の端に旗を立て、四分儀※2) でその位置の緯度を確定しました。
※2) 円の4分の1の扇形をした目盛りのついた定規に望遠鏡がつき、天体を観測しながら現在地の緯度を割りだす器械。

その旗を中心に三角測量で要所、要所の角度を測量し、三角網を作りました。そして、自分達の船のマストに経緯儀を向け船と陸地との関係を測量し、同時にその船の位置の水深を測りました。水深は、尋(ヒロ)単位です。
太平洋から北米西海岸を測量する頃には、クロノメーター※3) も発明され、緯度だけでなく経度も簡単に測定できるようになりました。

※3) クロノメーター:彼が最初に活用したと伝えられています。振り子でないゼンマイの時計で経度も測れる機械です。海上ではゆれて振り子時計では役に立たないのです。

彼は測量が終わると、イギリス本土に帰り、地図作りをしていたそうです。
大変地図に愛着を持っていた人なのですね。
「実測」 を地図作りの原点にしていた点、見習わなくっちゃね・・・



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