筏(かせ)黒鯛 四季織々・・

ホームグランドである千葉県 富浦筏(かせ)釣りをメインに日々の戯言を綴る忘備録ですわ。

我楽多 

2018年01月18日 | 日記
                     Tやん、スワローズファンだったんだ^^V

方に荷物が届いたという連絡は家内から受けていた。
嬉しいじゃないか、こんなにも早く仕上げてくれて。

帰宅後いそいそとリビングテーブルの上に鎮座するそれを確かめ早々に開封。
工務店を営む彼からすればそれこそ朝飯前の作業なのかも知れないが、貴重な時間を割いて制作して下さった事に恐らくではあるが、次回の私の休日に間に合う様にとの思いを勝手に噛みしめつつ、そのまま釣り部屋へ。





私のコマセコンテナーにピッタリと合うように切り組んで下さった台座。
理由こそ違えど彼は彼でしばし富浦はもとい、この釣りから足が遠くなっていた理由を知る。





釣りを嗜まない方々からすれば、ただの木片にしか過ぎない品にはじまりリールやら竿やら小物の数々を改めて広げ、ここまで来るのに随分と時間が必要だったなと回想に耽る。
がらくたと言えば言葉は悪いが、私にとっては我(われ)楽(楽しみが)多(多くあります様に)。



今週はそれこそ気象の気まぐれなのか3月初旬の陽気に、夜な夜なテラスでの一服もさほどでもない。

ありがとう、Tやん。
ありがとう、いつもこれを見て下さる皆さん。
もうすぐ大好きな富浦で釣りをお見せします。

凪ならば。

But・・・ it begins to move 動き出すぜ

2018年01月15日 | 日記
私事だが、年末年始の修羅場渦中をくぐり抜けた訳では決してないが、それらを抱えたまま新年明けの始業から来る日も来る日もずっとぶっ通しの日々。
ようやくの休みをせめてもの思いで、いじらしいくらいなまでにずっと楽しみにしていた。
厳密に言えば「コト」は何も解決してはいないし、あるのはただ「現実」だけだ。
コツコツと過ぎ去る時間の経過と共に、明と暗を行ったり来たりしながらその振り幅が出来るだけ最小限にとどまってくれるように相手をなだめすかしながら、少なくとも前家族には申し訳ないが、現実は現実と受け入れてもらえるような言葉巧みなまでの攻防にも、そろそろいい加減疲れてもいた。

思い起こせば足かけ数年、紆余曲折理由は都度色々あれど愛すべき富浦での釣りも疎かに縁遠くもなってはいた。
運営する漁協組合関係者方々には申し訳ないと思いつつ、昨年秋の猛威を振るった台風では案の定、全てを飲みこみ木端微塵になった釣り場の惨劇が、今となっては何もかもひっくるめて自身の
「釣り気」に徐々に徐々に火を灯す結果となった。

大よそ2ヶ月余りかかりはしたが組合の尽力もありなんとか当初の予定よりも遥かに早い年始から営業を再開。
くしくもこの時期ならではの季節風が連日の中、久しぶりの凪なれど水温も12℃台の中、数少ない釣友も時を同じくして新年明け早々に馳せ参じ、型物を誇らしげの写メ。

休日前の日曜日の朝。一見すればいつも通りの様に見えてどうにも愛息の様子が変だ。
家内が熱を計れば案の定。
時節柄これまた猛威を振るうインフルエンザが脳裏をかすめる。

幸か不幸かこの時期にあって社業も閑散をいい事に、一足早く帰宅してみれば翌日の休みの事などどこ吹く風。
急ぎ近所にある救急病院へと出向き診てもらう。
取り急ぎの処方をもらい帰宅。折角の休日前夜なれど翌日も朝一からかかり付けの病院だが、それも仕方がない。
氷水に浸したタオルの交換やら氷枕の交換やら、高熱で汗びっしょりの寝間着の着替え他諸々。
うつらうつらの体にあって久しぶりに好きな酒もごく少量。当たり前の話かも知れない。
明けて翌日。家内もどうやら同様で早々に病院。結果、二人ともインフルエンザ。
「うつっちゃうから」と、外出を促され向かうはホームセンター。





愛用していた往年のコマセコンテナー、また、それをカスタマイズするべくの小物多数を物色。







インフルエンザでほうほうの体の家内愛息を他所に、隣の釣り部屋では工具にはじまり細々としたネジやらビスやらを広げ、都度寝室の気配を伺いながら制作に取り掛かるも久しぶりにこしらえたせいかどうにも勘が鈍いのを象徴する様に、雨除け仕様のマグネット装着で、方々穴だらけになった不出来さに加えてどうにも仕上がりには満足できないシロモノに、我ながら閉口。
改めてこれは作り直すしかなさそうだ。

ならばとスカリを筏に装着するネジを当時を思い出しながら少しばかりのカスタマイズ。
チューブを通し大切な手の不意の小さなケガを避けるべくの案他、ピンオンリールにはラインカッターと掛けた大切な魚の針外しにフォーセップ他諸々。
ガン玉やら針やらラインやらいつもの釣行前夜宜しくあの頃と同じようにセッティングに悦に入るひととき。
あと足りないのはクッションとコンテナーを支える台座。
勿論これも既にオーダー済みだ。







寝ているのかと思えば愛息は時折むっくりと起き上がったかと思えば、巷で喧伝されている薬の副作用なのか意味不明な言動に傍らに居ながらにして見守りつつの未明。
家内愛息の不意の病で休日はそれこそこんな事しか出来はしなかったが、粛々と復帰へ向けて進めている。








まぁ、こだわりといえばこだわり

2018年01月07日 | 日記

昨年末に届いていた新しいスカリの話。




当然の様に社業の慌ただしさに箱から出しはぐり年越し。
ふと思い出し箱を開けてみれば、同じメーカーでもどうにも仕様が違う事に嫌でも気付く。
まぁ筏から吊るし魚を入れるたかがスカリなのだがどうにも受け入れがたい。
今回買い求めたソレは同じ様でいてテグス網仕様でなんだかゴワゴワしていてどうにもまとまりも悪い。
それでもあの台風に流されて喪失してしまった道具たち。釣りを行う上で細々とした小道具たちを再構築中であるからして、釣った魚(達)入れるだけのモノだからとはいかない。
兎にも角にも今まで使い込み慣れ親んだモノと同型でないとどうにも気もそぞろ。
そんな訳で2日と置かずに手元に届いた品は往年のそれだ。
安心した。



過去章、幾度もスカリから溢れんばかりの大釣りをしたかと思えば、沖上がり前の虚しさ同様、西日に照らされた筏の上で空のスカリを横たえてのあの頃を想い出すだけでも、心が少しばかり踊るんだ。
日頃は社業現場べったりで中々ちょいとそこまで小物を買い足しになんて行けない代わりに勝手知ったる品は、相変わらずPCでポチポチしてる。

しばらくは休みは取れそうもないけど、休めたならば近所にあるホームセンターでコマセコンテナー用のクリーム色したプラスチック製の箱ほか、数々のカスタマイズを施すべくこれまた細々と。

こんな調子で、少なくとも1月、それも自分の休みと海況さえ合致すればいつでも行ける準備を相整える事に余念がない。

少なくともコレを書いているコトは、限りなく現実逃避なのだが私にとって日頃の煩わしい事柄の全てを解放してくれる唯一のアソビが釣なのだ。

ワイングラスに下品なまでになみなみと自ら注ぎながら、たゆたう時を想いながら今宵も酩酊。
そして明日も早い。





紡ぐ

2018年01月05日 | 日記

御多分に漏れず久しぶりの更新もどうかご容赦の程。

様々な方々が介在し閲覧いただくこのブログにあって、その方々全てが”新年”を祝う訳でもない。
中には喪に伏す方、諸事情もあり正月浮かれを謳歌する気にもなれない方もいるだろう。
勿論、HAPPY NEW YEARを存分に謳歌し楽しまれた方もいらっしゃるだろう。
人生色々だ。
そんな訳で、新年のご挨拶は「本年も宜しく」にとどめておきたい私自身の心境でもある。

ようやくおとそ気分が抜けきるかの頃合いにあっての過日。

現家内には、いまだバリバリの母親にして生涯頭の上がらない愚息の思い付きを嘘の材料に高齢である母との水入らずの大晦日、数十年ぶりに実家にて新年を迎える旨は年の瀬迫る頃に伝えてもいた。
家内も快諾してくれてもいた。

大晦日のその日。
昨春に念願叶い充実した学生生活を謳歌しつつも、冬休みに入ったというのに自ら課題制作に耽る倅をしてポツリポツリと会話の2、3。
たまには親子水入らずでもと近所のカフェに連れ出しひとしきり語り合い今更ながら、そして今まで色々あったけど
倅も今じゃそれなりに一端の風を吹かし纏(まとう)う時間が愛おしかった。



前妻も年越し蕎麦やらなんやら買い込み夕方に戻ってきた。
この家のリビングがこんなにも賑やかになるのはそれこそ10年ぶりだろう。
紅白を観ながら娘も倅もやいのやいの言いながら、いつの間にか酒なんぞを一丁前に嗜む年頃にもなっていた。
別離とはいえ子供たちは愚父を囲み久しぶりに心おきなく楽しんだ様子だったのだが・・・。

10年近くぶりに前妻と倅、娘の住まう家での年越しと相成ったのだがこれには然るべき確固たる理由があるからこそ他ならない。
そのくだりやコトの顛末に至っては後日気持ちの整理がついたら記しようとも思っている。


年の瀬から三が日まで文字通り言葉では表せぬほどの苦渋に満ち満ちた日々。
現家内にもどうやら見透かされていた様で、いや、正確には自分から話をした。

渦中の中から手前火傷をしてでも焼きぼっくりに手を伸ばし云々は割愛するが、兎にも角にも一寸の気の休まる事もない年末年始。自業自得を笑う事なかれ。実に哀れな、辛い正月だった。
そして、その何十倍も辛い思いの十字架を一生涯背負わせてしまった現実がある。

社業も年始営業を控えた前日。
独り現場入りしスタンバイ諸々。
ここに居れば幾らか気も紛れる。
一通りの準備を終え拙宅に戻る。弱々しい西日に映る眼下の海も今日はどこか儚げだ。
釣部屋に潜り込む。まだ直していないタモ枠があったはずだ。
帰宅早々やんちゃ盛りの愛息がこれでもかと纏わりつくのを心情を察しているのか家内が制止するかの如く独りにさせてくれた。



有り合わせ手持ちの太番手の糸でガタついていた枠を一手一手かがりながら、まるで「その時」を待ち侘びる様な、それでいてこの期に及んでも尚、ふてぶてしいまでのあさましさを自嘲しながら糸を紡ぎ、そして想いをつなぐ。
ひとしきり無心で仕上げた後は漆の下塗りを施す。


あにはからんや、復旧進捗は如何なものかと久しぶりに港を預かる山下爺に電話をすると、漁協の尽力もあって新年4日から営業を再開した。
今の処、筏3基は復活したようだが海況さえ良ければカセ舟も2艘ならいけると相変わらずの房総弁でまくしたてられた。

自身の取り巻く環境含め「いよいよ」だ。