筏(かせ)黒鯛 四季織々・・

ホームグランドである千葉県 富浦筏(かせ)釣りをメインに日々の戯言を綴る忘備録ですわ。

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ツリビトの言い訳

2016年04月09日 | 日記
それにしても、すさまじい「量」の仔サバだった。
おびただしいという形容は、もはや意味を成さぬ程。
もはや「数」ではなく文字通りの「量」と言える程、上から下まで、はたまた筏全方位ビッシリと。
いわゆる恒常的な攻めの数々も全く持って意味が無い。
少しばかりの餌捕りには「ハワセ」、潮流れ潮行きを念頭に「広角」、団子の餡子や混ぜの創意、激しい餌捕りの場合の団子の有無、コマセ団子に拘わらずの落とし込みだろうがなんだろうが、足掛け数年に渡り富浦通いを続けてはいるが、後にも先にも私自身ここまでの量の仔サバは過去に記憶が無い。
仕掛けを入れるも常に尋常ではない量の仔サバに翻弄され繰り出すラインは常にブルブルバタバタと激しく震え続け、穂先に至っては常にブワン・・ブワンとアップダウンの様が、誠に不出来なカラクリ人形のソレを見ている様で腹立たしさを覚えつつ、沖上がりの時間まで延々5時間。
潮切れ(潮が効きだす事)を待った。このどうしようもない「量」の仔サバを一蹴してくれとばかりに、日頃は厄介者のボラを待ち侘びた。否、なんでもいい、兎にも角にも今ある現状を何かしらの要因で変えてほしかった。
本命である黒など、この際望むべくもない状況だった。








久しぶりの終日凪予報。
旧知常連方々の姿は見えないものの、週末とあってか10数人が集いそれなりに賑わいのある朝の港の光景に一先ずは安堵する。
ただでさえ今一つの感が拭い切れない昨今の富浦釣り場だ。いつもなら厳寒期には他所を尻目に、これぞ富浦とうなるポテンシャルの威光すら陰るのには、何も例年同様に下がりきらなかった水温だけのせいではなさそうだ。自身、ただでさえ情報量の少ないこの釣り場にあって陸での様々な事柄や案件で、この釣りの愛好方々の指標であるとか情報源であるとかを果たせていない事に恥入る思いだ。



それぞれの想いを乗せて舫いを取る。
沖合いを見やれば既に湾内には、あちらこちら無数のボートが混在しこの時期ならではの白キス釣りに早々に講じている。親船に曳航され沖を目指す様は、カルガモ親子のソレを連想させ、ちょっぴりくすぐったいような初夏の朝を感じさせる優しい風が頬を撫でる。





各人をそれぞれの筏へと下ろしいつもの1番筏。



一昨日に春台風を思わせる様な低気圧が過ぎたからか、潮色は水潮含みの笹濁り。
流石に昨日は、その直後と言う事もありウネリも相応だった様だが、それから一日明けての今日。
水温も18℃に上がりこの時点では、久しぶりに終日出来る確信を得てもいて少しだけ邪(よこしま)な想いもあるにはあった。

一通りのスタンバイを済ませ釣り初め。
今日は満潮が5時~干潮が11時半の中潮。
この時期だからこそ早々に魚は動かないと見てはいるが、それでもの欲が少しばかり上回っているのか、様子見と称しつつの手返しなれど、当然すぐには答えは出ない。もったりと所在無げな上潮だけが沖へと向かっている。
洋上の、のんびりした空気感に遅まきながら同調するように厳寒期、海を見て港でUターンを幾度と余儀なくされたかを想い出していた。

大した決め手もなく、さりとて決して気を抜く事無く黙々と仕掛けを打ち返す。
潮行きは相も変わらずもったりとしてはいるが、そろそろの感はあった。
そんな時だった。
今日は、沖での作業も大してないと聞いていた親船が、港から何やらこちらに軸先を向けて進んでくる。
朝一番の出船時間に間に合わなかったとは言え、遅れてきた釣客を余程の事がない限り(私はどなたでもウエルカムなのだが)滅多な事では私の所へと後乗せする事はしない山下さんの舵がこちらに向かっている。
船軸に見える顔を見て合点がいった。

当ブログの過去章「YOUR EYS」での彼の笑顔がそこにあった。
急ぎ筏へと招き入れ邂逅。
挨拶もそこそこに、やいのやいの一人だった筏の上が途端に賑やかになる。
彼とはあの時以来だが、あの日の事がきっかけで道具を買い求め、遠く三重県や静岡の清水など遠征も都度、
いやはや恐れ入ると同時に、こうして同日同筏での邂逅が何よりも嬉しい。
当然の様に、彼はあの時とは違い順序手際よくスタンバイを済ませた。



丁度、曖昧だった潮が動きだそうとしているのを理解していた。
上潮が、ほんのりと港方向へ行っているなと感じていた矢先の事。
底潮はモッタリと重く沖へと向かう中にあって上潮は左の港方向。緩やかな二枚潮にあって丁度ラインスラックを修正しようとそ~っと訊いてみようとラインを張るか張らないかの矢先・・・・「ふわり・・」と水面上のラインか何かに極端な違和感を感じ、とっさの反応と同時に魚信を捕えた相応の衝撃が愛竿を通して伝わってくる。
隣に居る彼からのエールに応えつつ一抹の不安が瞬時あった。
完全な「食上げ」アタリ。
潮行きも曖昧な中にあっての食い上げアタリは往々にしてフッキングが甘い事が多い。
上ずって捕食する食い気は、時として餌にじゃれ付く様なある種の「居食い」にも似た気まぐれな要素もある事は、過去から知っている。
一伸し、二伸し、間合いを置いて翻る様は黒のソレ。型も相応あるだろう。尚も筏下へと走るのをやんわりと、確実にやり過ごしつつ、さて仕上げに掛かろうかと思う瞬間、針ハズレに天を仰ぐ。
底でのバラシでない事がせめてもの救いと鼓舞しつつも、ただでさえ低調な今時期の富浦にあっては確実に仕留めておきたかった一枚。

しばしの沈黙の後、入れ替わるように何やら次第に筏の周辺がざわついてきた。
洋上には小魚がまるで雨脚の様にあちらこちらでナブラ立つ。
まだこの頃は仕掛けを入れても時折邪魔をする程度であったが、時間を追うごとに次第に酷くなっていく。
コマセ団子を入れず、何とか少しでもまともな釣りが出来る様に努力はした。ほとぼりが冷める様にとしばし釣りを中断する事も度々。釣り座のポジション替えも状況は何一つ変わらない。こちらの心情などお構いなしに状況は悪くなる一方に既にお手上げの感もあり早上がりも一考するが、それでももしかしたら潮切れなどで状況が変わるかもと往生際の悪さか、はたまた最後までやりきろうとするポジティブが少しだけ上回っていたのだが・・・。
兎にも角にも、少なくともこの釣りが成立するだけの状況は何一つ無かった。
それ程酷かった。



それでも初夏を思わせる凪の海で一日遊べた事に感謝し迎えの船に乗り込む。
午前のまだ海が大人しかった頃に確実に仕留めていたのはカセの釣り人で中型を二枚。
2番筏では50の年無しが仕留められていた。

苦笑いの胸中に慰めなのか山下さんからそっと差し出された袋一杯の採れたての若芽に舌舐めずり。
帰宅後、この身の潮っ気と道具を洗い流し、冷えたグラスにビールを注ぎ今日の釣りを振り返りながら不甲斐なさと共に一気に飲み干しながら、いそいそとキッチンへ入り下拵え。






グツグツと煮立つ湯に若芽を放つと得も言われぬ色鮮やかさに掬い上げ、すぐに氷水に。
水気を拭き取り細切りにし胡麻油、醤油、少しばかりのオイスターソースで手早く和え、これまた炊き立ての熱々の白いご飯にたっぷりと乗せ新鮮卵の黄身を落とし軽く混ぜ合わせ一心不乱に頬張れば、あぁ香しき磯香と共に新芽若芽の歯触り食感が口福至福。今日の憂さも少しは晴れるというものだ。

ようやくだが、これからの季節は海況も安定する日が多くなる。
せめて週一海に出たいが、社業シフトとにらめっこの日々が続くだろう。
まぁ、こんな日もあるさ。










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ワタクシゴト

2016年04月08日 | 日記
この春を迎えるにあたって昨年秋から少しずつ、粛々と進めてきた案件。
半ヶ年計画で推し進めてきた。
対外的には今回の計画を不安視する向きも少なからずあったのだが、さりとて身一つで商いを興し文字通りの徒手空拳にあって生業とする社業のISM(イズム)やフィロソフィー(哲学)めいたものは、長きに渡り構築されている事は自負と共にスタッフ誰もが知る処。院政を敷くにはまだ早い。まだまだやらなければならない事もある。
好む好まざるに拘わらず、順次の人員整理にはじまり極めつけは、ある「コト」がきっかけで10数年連れ添った弊社番頭格を退社勧奨。
現在では本店の位置づけの店舗創業から15年。文字通りその殆どを共にここで過ごした間柄。
今では暖簾分けも二つ三つにあって、現在までを知る唯一のスタッフだった。

弊社も零細とはいえ往年は30数名が在籍、ちょっとした所帯でもあったが業務拡大よりも「深化」に舵をきり、
暖簾分けにはじまり過年徐々に縮小し現在に落ち着いている。
周辺の開発に伴う競合他社の入れ代わりも相応、商圏の様変わりや世相といったものにいちいち翻弄されるのにも煩わしい思いが、これからを見据える上で必要と感じたからこその新体制。
これを安易なリストラクションと思う向きもあろうが、自身の内面奥深くをえぐり取るかの様な苦渋でもある。
変われぬ関係性こそが最も危うく時に惰性や打算が顔を出し「慣れ」が緊張感を間延びさせるのだ。

暖冬だったとはいえ、この冬を乗り切るのは精神的にも肉体的にもきつかったが、決断は今の処すこぶる良い方向へと着実且つ確実に向かっている。
浮き足立つ程の喜色では当然ないが、満開の桜が儚く風に舞う桜吹雪に目を細め、例年とは明らかに違う春だ。




変化に追われる毎日よりも、変化を先取りし行動する事の大切さ。

『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である』
これは進化論で有名なダーウインの言葉。

事業的には強大で強固な絶対的資本がある訳でもない。
どこからでも金を引っ張って来られる様な絶対的信用もないし、むしろその必要すらないと考える。


世相は我々の知る(受ける)情報よりも遥かに早く動いている。
その情報の根拠や源泉を我々がメディアやマスコミから知る頃には既に形骸化したシロモノでしかない事が往々。
裏側でうごめいている不確実なモノやコトに対し敏感であれ。見えない(見せてはくれない)からこそ敏感であれ。
察知したら俊敏に判断し誰よりも先に動け。
情報は受けるモノではなく発信する方にまわれ。

ここは釣りのブログである以上、ごく私的な事は躊躇もあるが何かを成した、または、成し得た時、また、自分の意思や想いといったものを刻み遺したい時にここに綴る備忘録。

さて、末筆になりはしたが昨今の富浦だが、ただでさえ海が悪い日も多く平日は閑古鳥。
凪を見ての週末も場所によりムラッ気もありポツリポツリの釣果。
お隣の勝山は例年の如く好調の兆しも耳にしている。
今期は厳寒から水温も下がりきらず高めに推移した結果なのだろうか、やはりメリハリもなく乗っ込みの最前線を感じさせる様な爆発的な釣果は今のところ無い。

明日は久しぶりの凪に恵まれそうだ。
洋上で少しばかり羽を伸ばしてこようと思う。



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