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栗太郎のブログ

一人気ままな見聞記と、
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チベット巡礼の旅(1) 成都からラサへ

2019-04-30 21:38:29 | 見聞記 箱根以西

僕は3月で仕事を辞めた。

いきさつはどうあれ、連休がとれない職場だった。辞めると決めたとき、旅に出ようと思った。国内をゆっくり周るのもいい。だけど、この際まずは海外に行ってみよう、と思いついた時にまっさきに頭に浮かんできたのが、チベットのポタラ宮だった。いくらくらいで行けるのだろうとググってみると、6日間で14~16万円くらいと安値のツアーを見つけて鼻息を荒めた。準備費用や持っていく現金を考えても、総額20万円台で済みそうだと計算し、今度の落語のついでにそのHPの旅行代理店に寄ってパンフレットでも貰おうかと考えた。

数日後、都内の旅行代理店を訪れ、まだ決めていないと言いつつ、担当者の「行くならいつ頃?」の問いに、4月半ばと答え、一応見てみますねとツアーの空きを調べだし、ああこの日は埋まってる、この日もだめだなあ、あぁこの日なら一人大丈夫ですが?とPCの画面から顔を上げて僕と目があったその時、僕は「じゃ、その日で」という言葉が口から出ていた。決めていないと言いつつ、僕の心の中ではすでに決まっていたのだった。ただ、料金は2人設定なので、一人だと74,000円追加だという。一人であろうとホテルがツインのためだ。躊躇したが、期を逸しては後悔の元である。腹を決めて申し込んだ。旅行代金、空港使用料、海外TAX、燃油サーチャージ、航空保険、旅行保険、そして一人参加追加料金、しめて232,920円となった。
1月半ばに決めてから約3か月、頭の中はチベットでいっぱい。折を見てパスポートを取得し、高山病対策の診察も済ませ、デカいバックや小物をそろえ、河口慧海『チベット旅行記』をはじめとしたチベット関連の書籍やDVDを買い込んだ。
出発前の数日で読んだ本、観た映画やドキュメンタリで、ここ数十年でチベットに起きた出来事を理解し、そして亡命政府の苦悩に胸が痛む日々を過ごした。

さて、出発のとき。
時期を同じくして、都内でチベット関係の映画が上映中だった。

『ケサル大王伝 最後の語り部たち』https://www.gesar-teller.com/


上映後に大谷寿一監督とゲストとのトークがあり、出発前日の4/16は浪曲師の玉川奈々福さん、当日の4/17はチベット研究家の緒方研三さんがお相手で、両日とも最前列でトークを楽しんだ。緒方さんの時にチベット旅行について質問をすると、チベット愛が溢れる顔つきをしながら、・入境許可書はとりにくくなった、・ラサは今ではチベット料理を食べられるところが減った、・ラサに行くなら、ポタラ宮を何度でも観た方がいい、などとアドバイスをいただいた。監督にも、デカいバックを持っているのでこれから山にでも登るのかと思っていたらチベットですか!と喜んでいただいた。ありがたい。

そのあと売店で物色していると、質問のやり取りを聞いていたという妙齢の御婦人が声を掛けてきた。

数年前にカトマンズからラサ入りしようとしていたが、直前になって中止になったのだという。たぶんそれは暴動のあとの政情不安の時期だったのだろうと思う。むしろ、行かなくて正解だったのではないかな。20数年前にもチベットに行ったことがあるがその時は問題がなかったのにと悔しがりながら、僕の予定を聞いて羨ましそうだった。


成田空港までの行きがてら、落合にあるダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベット・ハウス)に寄ってみた。
突然の訪問でありながらも、静かにそして丁寧にいろいろお話を伺った。ダラムサラもいいがまずはラサを見て欲しい、なかなか許可が下りないようなので気を付けてと握手をしてくれた。最後に、窓際と壁一面にずらりと並ぶ書籍や季刊誌の数々の中から、いくつかいただいた。「FREE TIBET」のステッカーも数枚頂戴した。ただこれはチベットに持ち込めませんよと笑ってたしなめられ、僕も当然ですねと笑い返し、途中の郵便局から自宅宛てに郵送した。



空港に着き、電光掲示板に「成都」の文字を見ると、胸が高鳴ってきた。



旅行会社の窓口で受付を済ます。

ええと、ほかの人は?と何気なく聞いたのだが、あなた一人です、の答えに急激に不安が襲ってきた。

なんと!マジか!と後ずさり。まあうすうす気づいてはいたのだ。申し込みの時に、担当者が「チベットはあまり行かないですかね」とぼそりと言った時に。

 

まあいいよ、いまさら。まずは両替。とりあえず、3万円分だ。
中国の通貨のレートは、18.50円/人民元。(ちなみに、日本円への両替の場合は、14.90円/人民元だった)
端数が出るので、切りよく1,600人民元と、残金日本円400円。



フライトまでの間に、予約していた海外用レンタルのwifi端末を取りに行った。
気になってチベットのwifi環境について尋ねてみると、申し訳なさそうによくわかりませんとの返答。僕の不安は増した。現地でのやり取りは、スマホに入れた翻訳アプリに任せるつもりでいたからだ。しゃべろうにも、中国語は学生の時に第二外国語でとってはいたが、もう30年も前の話だ。もしネットがつながらなかったら、持参の中国語会話帳だけで乗り切れるのか自信がなかった。そこで急遽、翻訳機illi(イリ―)を追加で借りることに。日→中、中→日、それぞれ別になるので本体をふたつ、予定外の出費となった。


成都へは、20:20成田空港発の四川航空に乗る。
日本発の便でありながら、機内ではすでに中国語の渦。アナウンスも、中国語と英語のみ。おまけにCAは日本語を解せず。すごい疎外感に襲われる。離陸前にはシートベルトの確認が緩いし、もう中国にいる寂しい気分になっていたが、機内食に、知っている製菓メーカーの人形焼きが出てきて少々気がまぎれた。

 

5時間ちかくのフライトののちに夜中、成都に着いた。
僕の名前のプリントを持ったガイドさんと合流し、ホテルに着いたのが2:10も深夜。



明日のフライト時間から逆算し、明日の朝ロビーで6:30の待ち合わせに決めた。
4時間しか寝れねえ、とどっと疲れを感じながらも、さっき渡されたチベットへの入境許可書をニヤニヤと眺めていた。




旅行2日目。

成都の朝は19℃。どんよりとした曇り空なのに、すこし暑いくらい。ガイドさんはSさん。空港までの車内では、お互い片言の英語しかしゃべれないので、ここで翻訳機illiの出番とばかりに使ってみたが、文字が不明なので伝えられる言葉が正しいかどうかわかりづらく(例えば、成都と言っても生徒になっていたようだ)、使い勝手が悪い。そこでスマホの翻訳アプリに切り替えると、これが断然便利。入れていたアプリは、音声をGoogle経由で変換するので結構賢い。結局この先、ずっとアプリ経由で会話をすることになる。実際には、成都はもとよりチベットでのwifi環境も万全だったので、この翻訳機の活躍は6日間の内、たったこの5分だけしか使っていない。つまり、ただのお守りをずっとポケットに入れていたことになる。

そうこうしているうちに空港に着いた。

搭乗手続きで、中国人の”われ先に”の国民性に物怖じしてしまっていた。するとそこに、たまたま現地旅行代理店の社長さんに遭遇し、Sさんが僕をラサまで同行してくれとお願いしてくれたおかげで救われた気持ちになれた。 

搭乗口の前で軽く朝食をとった。
お粥の味は塩気がなく物足りない。かたや、辛味の利いたチキンは利きすぎるほどに辛すぎる。はーひー言いながらお釣りの50元札の裏を何気なく見ると、ポタラ宮が描かれていた。僕は凍り付いた。なぜなら、中国政府は「もうチベットは俺たちの物だ」と言わんばかりだと感じたからだ。しかも皮肉なことに、表の肖像画は、ダライ・ラマ14世に対して「宗教は毒だ」と脅した毛沢東。なんとも肝が冷えるではないか。口の中の辛さはどっかに行ってしまっていた。

 

ラサまでのフライトは左側窓際の席だった。僕の腕時計は高度を587mと示していた。ただ、この時計は気圧も換算して高度を出しているので、天気によってはよくずれる。でもまあ成都はおよそ海抜600mということだ。

飛び立つと間もなく雲の中へ。雲を抜けると、はるか左前方に山並みが連なっていた。雲はまるで平原に降り積もった雪原で、あくる晴れた日に遠くの山がきれいに眺められた、そんな風景だった。しかも太陽の光に照らされて、とても神々しかった。



しばらくすると雲が切れた。窓から見える景色は、鋭い稜線の山ばかり。砂山のような色。樹木の生えている様子はない。すでに森林限界の標高なのだろう。



機内食がやって来た。CAの中国語はまだ耳慣れず、何と言っているのかわからない。見当をつけて「チキン」と言ったら、ソーセージと卵焼きが入ったセットがきた。思惑と違うと思いつつ、隣を見るとお粥だった。お粥よりはましだと思った。

マンゴーみたいな黄色いブロック状のおかずがあった。なにかわからず一口かじってみると、味がない。食感は南瓜だろうか。僕のポケットの中に、成都までの機内食についていた塩が入っていたので振りかけて食べた。あとから茹でたジャガイモも出てきた。塩をとっておいて正解だった。

徐々に、山並みが雪に覆われだした。旋回しながら高度を下げだしたのがわかった。綿あめを散らしたような雲の向こうに高い山並みが見える。あの辺は、ネパールとかブータンだろうか。下を覗くと、だんだんと街の様相になってきた。大規模再開発の街並みや大きなスタジアムが見える。あとでわかったが、ラサ駅周辺のようだった。



そこを飛び越えて、まだ先へ。おそらく50kmほど飛んだであろうか、広い河川敷へと機体を下げていき、ラサの飛行場に降りたった。高度計は3642mを示していた。とうとうやって来た。そのいい知れぬ感動が胸を高めた。

その感動を中国人は邪魔をする。着陸するとすぐ、つまり電波が拾えるとなるとすぐに、電話を掛けだすのだ。さすがにそれには呆然となった。周りの何人もがそうだった。ここのルールはそうなのか、と受け入れるしかない。

11:08空港の外にでた。同行の社長さんが、現地ガイドさんを見つけてくれ、そこで別れた。

迎えに来てくれたガイドは、日本語の話せるNさん。現地人ではなく漢民族で、湖北省出身という。4~11月の間、ラサでガイドの仕事をしているそうだ。日本語は学校で習ったというが、じゅうぶん通じるので、僕の心配がなくなったのは言うまでもない。

 

運転手は別にいて、車内でNさんからラサでの行動についてもろもろのレクチャーを受ける。以下、箇条書きで。

・空港からラサまでは車で1時間20分。

・寺はどこもガイドが同行しないとダメ。検問もある。

・制服を着た警官、軍人を写真撮ってはダメ。信者を撮るときは遠くから。

・世界遺産は、ポタラ宮、ノルブリンカ、大昭寺の三か所。

・ラサの標高は3650m。

・ヤムドゥク湖は、オプションになるがオススメ。+1500元。観光用にヤクやチベット犬がいて、一緒に記念撮影をするには+10元。

・夜寝るとき、高山病の症状がでることが多い。夜は酸素が薄いせい。寝だして1時間2時間で突然起きてしまうことがあるので、夜中でも気にしないで連絡をしてくれて構わない。

・高山病の医療費の支払いは、日本円でもOK。医者はチェックは無料。

・高山病の病名は肺水腫、脳浮腫など。日本からダイアモックスを持ってくるが、正直対策としては効果は薄い。

・ヨーロッパの人は高山病にあまりならない。アジア人が多い。日本人15人のツアーで10人くらいかかるときもある。

・高速道路脇の畑は、はだか麦の畑。4500mの高地でも作物ができる。チベット人は麦焦がしバターにして、こねて丸めて、今では朝食に食べることが多い。

・ガソリン代は、中国としてはやや高め。高地までの運送費がかかるから。少し前まで6.7~現在7.8元/㍑(日本円に換算してみたら121~141円、日本と同等くらいか)

・ラサでのレートは、1万円=550元(18.18元/円)。・・ただし、20元/円くらいまでみておいた方がいい。

・高原地帯なので、天気予報は当てにならない。

・日照時間、3000時間/年。

・冬に雪が降っても、日射が強いので日中に融ける。

・天空列車の別名のある青蔵鉄道は、西寧から22時間。

・川蔵鉄道は、成都から15時間。

・現在、ネパールまでの鉄道を造っている。チベット第2の都市シガツェまで出来ているところ。

・チベットは高地なのでたいていの野菜は温室で作るしかなく、ほぼ外からもってくる。

・肉はヤク、羊。

・ラサ市内、旗禁止。

・以前、ドイツ人の観光客がスーツケースにダライラマの小さなステッカーを貼っていたら公安に連行されたので、注意してほしい。

・日本人でも、インドで買ったチベット文字の書いてあるTシャツを着ていて、文字は「独立」だった。ジャケットを羽織っていたので気付かなかった。ガイドともども公安に連行され、長時間の聴取を受けた。どうやら、インドの回族の店で買ったらしい。

・ラサの仕事時間、6時間。9:30~12:30と、3:30~6:30。

・市内の治安は今はいい。(これは僕も十分実感した)

・少数民族(チベット人)だと、大学入学も優遇される。漢人が400点受かるところ、チベット人は300点でもOK

・今頃の時期だと、ラサ市内は昼間18℃、夜5~6℃。

・高速出口は、ラサ駅周辺の再開発地区。

・高速出口に検問。車から降りて、パスポートと入境許可書を提示する。

・個人でラサに入るのは困難。現地旅行会社に許可書を取ってもらわないとならない。

・ラサ駅前は、10年前には何もなかった。

・市内のタクシーは安い。近距離なら10元。

・三輪タクシー=輪タクは、だいたい市内移動であれば15元あれば足りる。値切れば10元。

・「超市」とは、スーパーのこと。

麺やご飯は、圧力鍋を使う。

・ホテルの部屋番号「8330」の頭の8は部屋に関係ない。3階だけど頭にラッキーナンバーの8をつけている。

・8(ファ)=金が儲かる、6(リュー)=順調で好まれる。ただ4(シー)は使わないことが多い。日本と同じで死を意味するから。

・ポタラ宮の入場料、4月までなら100元。5月からシーズンインで200元。おまけに観光シーズンは予約にも別料金がかかる。

(※この先、同じことをまた書くかもしれませんがご容赦)

 

 

と、このあたりまで説明をしてくれたあたりで、ラサ川を渡り市内へ。すると、進行方向の目の前に、ポタラ宮が現れた。



もう、興奮を抑えろというのは無理というもの。後部座席から身を乗り出して凝視した。
ポタラ宮の建つ山は、紅山という。もともとそういう岩山があった場所に建っている。
まもなく車は横を通り過ぎる。なんなら今からでも!と意気込みかねないほどのテンションになっているが、Nさんは今日はこれからホテルで休んでください、と勧めてくるので、まあ明日まで待っててポタラ宮ってな塩梅でその先へ。



ポタラ宮の前の道をそのまま真っすぐ行けば僕の泊まるホテルに着くそうだ。ポタラ宮の過ぎた先は随分とチベットらしい風情のストリートに

なってきた。

 

しばし、車窓から。

 

 

まもなくホテルに着いた。いい感じじゃないか。休んでなんていられるか、っての。

・・・と、言ったものの、長旅の疲れがでたのか、ベッドで横になったらいつの間に寝てしまって、起きたら時計は20:00を示していた。それでも外はうすぼんやりと明るかった。部屋に入る前に買っておいた1.5㍑の水は夜中のうちに飲みきってしまいそうだったので、買い出しにでた。

外に出ると、ラサの夜は戸惑うばかりの青さ!



Nさんにおススメの食堂は教えてもらっていたが、どうも気持ち悪いので食事をする気にもなれない。
水を買い足したあと、路地裏をぶらつきながら露店の果物屋を見つけた。



じいさんにバナナを指さしながら「3」と指で示すと、4本もぎり、量りにかけ、僕が手にしている紙幣の中から20元札を指した。高くないか?と表情をしながら値切ると、渋い顔ををしながら17元まで下げた。僕は10元札、5元札と出して、もう一枚1元札、これでどうだ?と顔色をうかがうと16元で了解してくれた。
ホテルまでの間。値切ってみたものの、野菜でさえ他から運んでくるようなラサでは、バナナは貴重品なのかも?と思い返し、じいさんに悪いことしたかなとちょっと後悔した。




部屋に戻り、相変わらず気分がすぐれないので、水とバナナで済ませた。ヨーグルトは食べる気になれなかった。



それもそのはずだった。僕は夜中に高山病の症状が現れて、Nさんに連絡をとり医者を呼んだのだ。
およそ1時間したかしないかでNさんが医者と一緒に来た。まずは問診。血中酸素濃度を計ると72%。地元の人でも90%はあるそうだ(あとで調べたら正常値は96%以上)。血圧は上が170、下が100と高い。すぐに処置が始まって、鼻から酸素吸入、そして点滴と手際がいい。点滴が終わったときに気分はどうかと聞かれた。あれっ?と驚くくらいにスッキリしていた。血中酸素濃度も96%に回復していた。さすがだ。支払いはこの場で現金払いで2,400元。日本円で43,000円になる。
あとで保険で戻ってくるにしても、この出費がのちに響くことになったのである。

こうしてはじめてのラサの夜は過ぎた。


(つづく)



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2 コメント

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お帰りなさい! (osaru)
2019-05-02 11:23:51
◎ラサの夜空はまるで最高密度の青色だったんですね。それにしても青すぎませんか?
◎少数民族優遇があるとは初めて知りました。意外ですねー。
◎機内食でベージンカオヤーと言えば、北京烤鸭が出てきたりしますか?す、すみません、また食欲に走ってしまいました。
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>osaru兄さん。 (栗太郎)
2019-05-02 14:20:32
そうこの青さは、おそらく高地であることが理由なんでしょうね。詳しくないけど。池松壮亮もいなかったけど。

各種、優遇措置はされているようです。遊牧民の定住対策とか。ただその思惑はいかに?ってとこなんですが。

え?北京のカイヤですか?出てきたら困りますね。


報告会、いつでもいいですよ♪
このあともう一回の一人旅のあとでもいいですよ♪
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