goo blog サービス終了のお知らせ 

栗太郎のブログ

一人気ままな見聞記と、
手づくりのクラフト&スイーツ、
読書をしたら思いのままに感想文。

「私の男」 桜庭一樹

2014-06-30 18:58:16 | レヴュー 読書感想文

※ネタバレあり。なぜならば、ネタをばらさないとレビューの核心に触れられませんので。



まず、この本を読んだことを後悔している。
話は近親相姦、こともあろうに、親と娘の。
はじめは、「血のつながらない」養父と養女と思い、だんだんそれが「実の」親と娘であるというそのタブーを知るのは、中盤あたり。
もしや?と想像しつつ、その事実を知ったとき、あまりの嫌悪感に読むことをやめようとさえ思った。
しかし、この作家がタブーに挑む信念というか、そうなってしまったワケが最後になって現れて、ああそうだったのかと納得させられるのならばと、最後のページまで読んでみた。
しかし、結局、僕には納得できなかった。
この話を美しいとか、切ないとか、もしそんな感想を抱くとすれば、それは、全くもって自己中心的な思考しかもたない人であろう。
娘を溺愛することを嫌っているのではない。むしろ、それは人間愛である。
スペインの諺でも、「最良の香りはパン。最良の風味は塩。最良の愛情は子供への愛情」というくらいに。
だけど、この二人はこともあろうに肉体で結ばれている。お互い溺れるような。それだけでもう気味が悪い。
おまけにこの二人は、殺人犯である。
しかも、罪を償うとか後悔するとかは一切なく、それどころか、死体のそばで寝起きをともにできるようなケダモノだ。
僕には、涙一粒もの同情もわいてこない。
「チェインギャング」だとか、「血は繋がっている」という台詞とか、家族の絆をテーマにしているのはわかる。
わかるが、だからといって、なぜ娘の身体を求めることになるのか?
父・淳悟にとって娘・花は「穢れた神」だというが、まさに悪い信仰におぼれてしまったようだ。
同情どころか、寒気しかしない。
9歳の時に引き取って以来、二人の関係は花の結婚まで続く。
結婚を機に別れようとする二人だが、それよりも、こんな薄汚れた女を妻にする美郎は、いつかその事実を知ったときどう思うのだろう?
発狂してもおかしくはないと思う。
花の前から姿を消した淳悟は、結局、死んだのか?死んだと嘘をついただけなのか?
ちなみに、花が今結婚しようとするのが25歳だが、淳悟の父が行方不明になったのも25歳のときだった。
もっと言えば、父のそのとき淳悟は9歳で、引き取ったときの花も9歳。
どうも25歳と9歳という年齢に、この家族の「血のループ」ともいえるものが潜んでいるような気がしている。
このさき、花が産んだ子が9歳になったときになにごとかあるとか、そんな暗示ではないかという深読みをしてしまう。
まあそんな詮索はどうでもいい。これは所詮、ポルノ小説でしかない。または、BLコミックをノベライズにした程度のものでしかない。

しかし、なんでこんな小説が、直木賞をとったのだろう?
今度は、そんな疑問がわいてきた。
選者・浅田次郎は高得点。わけのわからない言葉の賛辞を述べたあと、「文句なしに推挽させていただいた。」と言い切る。
選者・井上ひさしは、この小説の特徴である時間の逆行を「そのつど読者はそのときどきの真相を知って絶句することになる。」と褒め、
「作者は(たぶん)ギリシャ悲劇の「オイデプス王」の構造をかりて時間を遡行させてどろどろ劇をりっぱな悲劇に蘇生させた。」と持ち上げる。
どこが“りっぱな悲劇”なのか?僕にはとても、両氏の賞賛の感情に同調できない。
むしろ、林真理子のいう、「私には“わたし”と“私の男”が、禁断の快楽をわかち合う神話のような二人、とはどうしても思えず、ただの薄汚ない
結婚詐欺の父娘にしか思えない。」という論評にこそ、我が意を得たと思えた。


満足度2★★

私の男 (文春文庫)
桜庭 一樹
文藝春秋



・・・といいつつ、映画も観てしまった。
もともと映画も観るつもりで直前で読みきった。で、こっちは少し違ったものになっているかもしれない、と薄い期待を持っていた。

しかし映画は、小説以上に低俗なものでしかなかった。
時間をさかのぼる手法の原作と違って、順に、花が大人へと成長していくのだが、そのせいで、原作にあった、「さかのぼることで知らされる真実」という驚きがない。
小説で大胆に絡む花役の二階堂ふみは、脱ぎっぷりが中途半端で、その分、淳悟の彼女・小町のベッドシーンを長めにとった印象が強い。
こっちで我慢しとけ、とでも押し付けられたような長尺のベッドシーンは、むしろ嫌気がさした。
そして、花が就職してからの淳悟役の浅野忠信のだらしなさは、見苦しかった。
小説では、スーツはよれていてもシャツは清潔感があったように思うが、映画の浅野は襟が薄汚れていて汚らしく、臭気さえ伝わってくる。あれでは浮浪者と変わりない。
設定が違う美郎役の高良健吾は、必要以上に服を脱がされる。花と寝たかどうかの確認ならば、指先を嗅ぐ仕草だけで十分ではないか?
おまけに、最後のレストランでのシーンは、あれはなんなのか。
原作と全然違うのはまだしも、結婚後も続く肉体関係を匂わすような、ふしだらな余韻。
いやあもう、不満だらけだ。
とにかくエグイ。演技も、絡みも、演出も、映像も。
この映画を撮ったのは、熊切監督。『夏の終り』のときほどではないが、原作未読の観客を、平気で置いてきぼりにする印象が強い。
かといって、食い入るように引っ張られたかっていうとさにあらず、ダレるように感じてジレったくなることもあった。
万人受けしない、というが、つまり僕はその受けないほうだ。しかも、嫌悪感さえもって。
こんなのただのポルノ映画だ。いや、ポルノ映画にさえ、蟹江敬三がでてた『天使のはらわた・赤い教室』のように、忘れられない失恋感で満たされるような傑作だってあるのだ。

淳悟の気持ち?花の気持ち?
わかるわけがない。むしろ、大塩のおじさんや小町の気持ちこそよくわかる。

このふたりが身近にいたら許せる?自分もこうなりたいと思う?
思えない。だってただの鬼畜だから。胎内回帰願望を表現したかったのだとしても、どこか間違っている。
禁断といっても、同性愛や歳の差カップルなどの場合、本人同士がいいのなら、そういう形があってもかまわないと思っている。
だけど、実の親娘は、ないわ。無理。



いちおう、映画『私の男』公式サイト
なお、モスクワ国際映画祭にて、グランプリと最優秀男優賞をとったとのこと。その感性が理解できない。
ちなみに、作中、同胞が「露助」呼ばわりされて嫌われていることも、ロシアの連中はご存知なのだろうか?



最新の画像もっと見る

コメントを投稿