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中原廣季の息【中原章弘】は【中原章貞養子】であった。

2022-01-11 | 中原氏バラバラ情報

中原親能・大江広元の養父ともなる廣季(飛騨守)の息に「章弘」がいる。

中原章貞の養子となったようである。初名は「季貞」であったそうである。

ちなみにだが、章貞の実息は章親である。

 

『山槐記 治承三年 正月廿二日

任人

少判事中原章親 明法博士章貞男、元季貞同為少判事兄弟二人相並同官、

但季貞者猶子也。實明法博士廣季子也。』とあるそうである。

 

よき同僚であり、よきライバルであったかもしれない。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jalha1951/1957/7/1957_7_90/_pdf/-char/ja

明法博士中原章貞と明法博士中原範貞 布施彌平治 著

 

上記の論文からたくさんのヒントをいただいた。

 

「章」が「のり」と読み「範」や「則」と同じ音であり、替え字として使われていたことに、

この論文でも触れてあり、

「章貞」は「範貞・則貞」とも書かれていたそうである。もっと変形では「則定」「頼貞」もあったそうである。

 

そのヒントから考えるに、

秦野市史には「朝長の母は修理太夫範兼の女とも、大膳大夫則兼の女ともいう。また波多野義通の妹坊門姫あるいは中河辺清兼の女ともいう。範兼.則兼は「範」,「則」の違いはあってもあるいは「ノリカネ」と名乗る同一人物の可能性もある。」とあったが、

私も「修理太夫範兼」(従四位以上)「大膳大夫則兼」(従五位上相当)「中河辺清兼」も同一人物であったとも云えると思う。

更にもう一つ見つけた情報があった。↓

 

嬉しいことに「中原久経」も典膳大夫中原久経 息か弟と思われる政経も主典代左衛門尉中原政経なので、近いと思う!!!

 

 

さらに、論文の方に戻ると、章貞の養子となった章弘である。(章廣とも)

しんごん=親厳は広季の養子となり、広季の実息が中原章貞の養子となっている。

 

おまけ情報 ↓ 

「範政」は、定成の養子であり、俊光の弟という。

俊光は「師任」の息という。(ここは私は未確認)

 

範政の息に「明兼」がいる。この周辺は以前調べたので、そこからコピペする。

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/dba9a9f7e7e478607bf131077b5a3750

坂上範政 坂上定成の子
坂上明兼 坂上範政の子
坂上兼成 さかのうえのかねしげ 坂上明兼の子 生没年:永久2年(1114年) - 応保2年5月9日(1162年6月23日)
坂上明基 坂上兼成の子 生没年:保延4年(1138年) - 承元4年(1210年5月7日)

 


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2 コメント

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Unknown (jikan314)
2022-01-11 21:17:09
中原氏とは、又々関係ありませんが、鎌倉殿の13人で、じさまと呼ばれた伊東祐親が怒って頼朝を討とうとした時、逃がした伊東祐清の妻は、比企尼の三女と解説ニュースでありました。つまり、姑の意向で娘婿である祐清も従ったと。
自分も以前比企家系図をアップしたのに、すっかり忘れており、大河ドラマのお陰で、情報が多数入るようになり、だいぶ勉強になりました。
又お邪魔いたします。
拙句
忘れては思い出せよと軒の梅
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大雪 (kunorikunori)
2022-01-12 15:17:09
Jikan様

じさま、迫力ありましたね。
私も伊東と北条の記事を書いたにもかかわらず、すっぽりと忘れて、時政とじさまの関係を学び直しました!笑
場面でリアルになると、机上とはまた違い、面白いデス。
さて、札幌、我が家は50センチ以上は積りました。
一晩で50センチになると‥‥雪かきで疲弊します。
もう降らないで!!!と願っておりますが、また怪しげな雲が…
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