クニアキンの日記

日々、興味を持ったことなどを調べたりして書いていきます。
旧日記の復元については7月13日の日記をご覧ください。

ヴァン・ダイン 『カナリヤ殺人事件』

2021-08-05 10:57:02 | 読書
ヴァン・ダイン、井上 勇 訳、カナリヤ殺人事件 創元推理文庫(1959)
これも昔々購入した100均本で、長らく本棚にあったものです。従って新訳も出ているようですが、旧訳です。

いかにもかつての本格推理小説といった感じで、今となってはトリックは陳腐、犯人も予想の範囲内ですが、楽しく読むことができました。例によって、ヴァンスの饒舌の中から、印象に残ったところを挙げておきます。

p.187
真の芸術作品にはすべて、批評家が elan(躍動) と呼ぶ、ひとつの特質がある。――つまり、感激と自発性だね。模写や模倣には、その卓越した特徴が失われている。あまりにも完全で、慎重に作られすぎ、あまりにも正確だからだ。(中略)原作の絵が持っている感激と自発性――つまりelan――はまねする方法がないのだ。模写がいかに原作に似ていようと、両者のあいだには大きな心理的な相違がある。模写には真剣味が欠除し、あまりにも完璧で、意識的に努力したあとが残っている……

p.188
二人の人間が食卓について、同じようなやりかたで食事をしている。ナイフやフォークを同じようにあやつり、同一のことをしている。鋭敏な観察者は、そのふたりの行為のどこそこが違うと、はっきり指摘することはできないまでも、どちらの人間の教養が本物で、本能的であり、どちらの人間の行為が模倣で、自意識的であるかをすぐに感知する。

p.399
君は、ふつうの人間に人殺しを思いとどまらせているのは、倫理学や神学だと考えているのかね。決してそんなもんじゃない。勇気がないだけのことだよ。――見つかったり、うなされたり、後悔にせめられたりするのがこわいからだ。en masse(集団としての)の民衆が、――つまり国家が――どんな喜びをもって人間を死に追いやり、それを新聞で読んで楽しむか見てみたまえ。国家は、まったくとるにたりない挑発に応じて、お互いに宣戦を布告し、たれはばかるところなく、殺人の淫楽にふけることができる。
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