クニアキンの日記

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高島俊男「中国の大盗賊・完全版」

2022-03-13 18:40:42 | 読書
中国の大盗賊・完全版
何かの機会にふとこの本について知り、これまでも何度か面白く読んだ著者だったので、図書館で借りて読みました。トイレなどのスキマ時間に少しずつ読んだため、ずいぶんかかって読み終わりました。
五代十国はともかく、五胡十六国など記憶する気もない私にとって、もっと短期間で消えて行った国や自称皇帝の名がぞろぞろとでてきたりして、原典にあたっていろいろと調べたと思われる著者の姿勢に圧倒されました。

昔々東方書店で購入した「中国総合地図集」にいくつもの時代について「○末農民戦争形勢」といった妙に詳しい地図が何枚も出ていて、ちょっと不思議な気がした記憶がありましたが、この本を読んで、納得できました。

以下、例によって面白いと思った箇所を抜き書きしておきます。

昔の人たちにとって「歴史」というのは、NHKの大河ドラマみたいなものなのである。(中略)「歴史」は口づたえに語りつたえられてゆくから、その過程でだんだんおもしろく肉づけされてゆく。(中略)
 昔の人たちにとっては、その肉づけも含めたものが「歴史」なのであって、「左伝」や「史記」がおもしろいのはそのゆえである。(p.86)

高祖は、(中略)人格が高いわけでも人情に厚いわけでもないが、なぜか人望があったようである。「この人のために一肌ぬいでみよう」という気をおこさせるようなところがあったらしい。それを「人徳」と呼ぶのなら。まあ人徳があったということである。
(中略)人徳があったといっもあたたかい人柄だったというのではない。ただ気さくで飾らない人ではあったらしい。(p.87-89)

儒家は「文」ということを最も重んずる。「文」というのは模様とヒラヒラである。実用的には無意味な飾りである。(p.90)

本来は何でもない簡単なことなのだが、儒家はこれを、ものものしくもったいぶって、ややこしく儀式化し、荘重に、あるいは華麗に飾り立てる。(p.91)

世の中がおちついてくると、「文」が幅をきかす。いよいよ儒者の出番ということになった。(p.91-92)

流賊というのは、これらのすべてを含む一大生活集団なのである。(p.144)
(注:これらとは、約1割の精兵=戦闘要員、女、子供、雑役夫)

著者はそれを「深入歴史、跳出歴史」―歴史を深く研究した上で歴史を超越するのが歴史小説の本領なんだ(p.161-162)
(注:姚雪垠「李自成」の「前言」中の言葉)

王朝が代わるたびに前代の立派な建造物をどんどん焼いてしまうものだから、中国は古い国のわりには古い建物がない。(p.225)

毛沢東という人は、乱暴者という点ではそれは人並みはずれた乱暴者であるが、野蛮で無教養な男ではない。それどころか、まことに文雅な教養人であった。そこが歴代の盗賊皇帝とは決定的にちがう点である。(p.260)

「造反有理」とは「上の者をやっつけるのはいいことだ」ということである。
(中略)毛沢東にとってマルクス主義の真髄はそういうことであり、毛沢東が実際にやったのもそれであった。ただし自分の下の者が自分にさからうのは許さない。あたりまえである。
 そんな簡単なことなのなら、何もマルクスから借りてくるほどのことではない。昔から中国の盗賊がやっていることだ。(p.262)

毛沢東は、自分が知識人であるにもかかわらず、あるいは自分が知識人であったから、知識人が嫌いだった。ものを考える人間は自分一人いればたくさんで、あとは自分の言う通り従順に働けばよい、という考えだったようである。(p.296)

いったい中国人は、てんでばらばらが好きな人たちである。(中略)そうすると中国人は俄然能力を発揮するのである。
 日本人が中国へ行くと、よく聞かされるたとえ話がある。「十人の中国人と十人の日本人がケンカするとする。一対一では断然こっちが強い。十人が組になってのケンカなら到底おまえたちにかなわない。」(中略)まったき統制の下に行動するのは、彼らは苦手だし、嫌いなのだ。(p.307)

マルクス主義が他の西洋の学問とちがうのは、一つには、全面的であること、すなわちあらゆる学問、あらゆる方面にまたがっているか、もしくは応用が利くことである。もう一つは、絶対に正しいことである。この点で、他の学問は儒教のかわりにはなれなかった。(p.309)

 儒家の経典は解釈の自由を許した。だからこそ二千何百年も前の本がその後の時代の応用に耐えたのであって、学者は時にはずいぶん無理な、あるいは無茶な受けとりようをして、しかし自分ではそれが「聖人の本意」と信じて、結果的にはある程度柔軟な思想を展開したわけである。(p.310)

中国人の行動や思考はいわばがんじがらめなのであるが、それら一切の束縛から、それどころか憲法をはじめとするすべての法律や規則からも完全に自由なのがたった一人の帝王である。
 そういう体制をわたしは「帝国」と呼ぶのである。(p.311)
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