『北の狼、南の虎』と言う話もありましたが、そういった話ではありません。
中国武術だけに関わることではないのですが、套路(型)の中に、右の動きだけしか出てこないとか、左の動きしか出てこないと言うことが良くあったりします。套路の練習をするときに、左右逆にやってみたり、前後を逆にしてやってみたりと言うことは良くやるので、套路の中には片方しか出てきていなくても、結局は両方を練習することになるので、それで良いのかなと思ったりもしていましたが、それでは説明できないことがあったりするわけです。
懶紮衣、抱虎帰山、白鶴亮翅、高探馬などは、右の動きしかありませんし、単鞭は左の動きしかありません。野馬分鬣や倒拳肱、楼膝拗歩は左右の動きが出てきます。重要な技だから左右とも練習するのかと思ったりもしましたが、套路の中での出現回数は、懶紮衣、抱虎帰山の方が圧倒的に多かったりしますし、懶紮衣は金剛碓捶に続いて出てくる動作ですから、こちらの方が重要な動作であることがうかがい知れます。
こうした疑問を長らく持っていた訳なんですけど、単鞭のことを、左懶紮衣と呼ぶ人がいて、何となく疑問が氷解したような気がしました。確かに懶紮衣も単鞭も、左右が異なっているだけで順圏の動きですし…。
と言うと、単鞭は右手が鉤手になっているところが違っているとか、左右の手を大きく開いているところが違ってるとか言われそうな気がするんですが、これって、八極拳の献肘と頂肘が、同じ技の裏と表の関係にあるのと同じで、懶紮衣と単鞭は同じ技の右と左の関係で良いんじゃないかとも思うわけですね。
八極拳はあまり練習したわけじゃないんですけど、相手の攻撃を受けて、そのまま滑らせるように入れば献肘、換手して転身して入れば頂肘になるというか、なってしまうわけです。
太極拳の套路の中では、単鞭には震脚の動作は入っていませんけれど、懶紮衣と単鞭の演舞方向が逆になっていると言うことは、同じ方向に連続して演じるためには、震脚はともかくとして転身が必要になってくるので、懶紮衣と単鞭が、同じ技の右と左の関係というのは、それほど外しているわけではないような気がしています。
(参考)
・穿梭から単鞭、穿梭から野馬分髪を考えてみた
中国武術だけに関わることではないのですが、套路(型)の中に、右の動きだけしか出てこないとか、左の動きしか出てこないと言うことが良くあったりします。套路の練習をするときに、左右逆にやってみたり、前後を逆にしてやってみたりと言うことは良くやるので、套路の中には片方しか出てきていなくても、結局は両方を練習することになるので、それで良いのかなと思ったりもしていましたが、それでは説明できないことがあったりするわけです。
懶紮衣、抱虎帰山、白鶴亮翅、高探馬などは、右の動きしかありませんし、単鞭は左の動きしかありません。野馬分鬣や倒拳肱、楼膝拗歩は左右の動きが出てきます。重要な技だから左右とも練習するのかと思ったりもしましたが、套路の中での出現回数は、懶紮衣、抱虎帰山の方が圧倒的に多かったりしますし、懶紮衣は金剛碓捶に続いて出てくる動作ですから、こちらの方が重要な動作であることがうかがい知れます。
こうした疑問を長らく持っていた訳なんですけど、単鞭のことを、左懶紮衣と呼ぶ人がいて、何となく疑問が氷解したような気がしました。確かに懶紮衣も単鞭も、左右が異なっているだけで順圏の動きですし…。
と言うと、単鞭は右手が鉤手になっているところが違っているとか、左右の手を大きく開いているところが違ってるとか言われそうな気がするんですが、これって、八極拳の献肘と頂肘が、同じ技の裏と表の関係にあるのと同じで、懶紮衣と単鞭は同じ技の右と左の関係で良いんじゃないかとも思うわけですね。
八極拳はあまり練習したわけじゃないんですけど、相手の攻撃を受けて、そのまま滑らせるように入れば献肘、換手して転身して入れば頂肘になるというか、なってしまうわけです。
太極拳の套路の中では、単鞭には震脚の動作は入っていませんけれど、懶紮衣と単鞭の演舞方向が逆になっていると言うことは、同じ方向に連続して演じるためには、震脚はともかくとして転身が必要になってくるので、懶紮衣と単鞭が、同じ技の右と左の関係というのは、それほど外しているわけではないような気がしています。
(参考)
・穿梭から単鞭、穿梭から野馬分髪を考えてみた