異文化生活 - in Cadiz -

お嫁にきました、スペイン・カディスへ。
周りの心配をよそに、異文化生活のあれ??を楽しく過ごしてます。

陣痛~出産の記録 2

2014-02-04 09:43:03 | 歩み

お早うございます

 

今日の東京は雪のようですね

友人がFBに写真をUPしていて、とても綺麗な雪景色でした 

なんて、雪の中を通勤してる方にはこんなのん気な事は言えませんが

 

昨日の続きです。

 

12月30日

PM5:00

痛みが徐々に強まり、枕を顔に当てて泣き叫ぶように。

当然のように看護師さんに 『声を出さないで、息を鼻から吸って口から吐きなさい』 と言われるのですが、試みてみるものの痛すぎて唸っちゃうし、声を出さないと意識が遠のく。

というか、麻酔はどうした??

とにかく 『う~~っ!! いった~~~~~い!! なんで? なんで? 麻酔は??』 を繰り返してたような気がします。

腰~背中~首元へと点滴のチューブを貼られていたのですが、右向き・左向き・仰向けに寝るように指示される度に首元の部分が折り曲がってしまい麻酔がうまく通らなくなったと言われました。

で??? チューブ変えるとか何かしないの??

看護師さんがこのままもっと子宮口を開くようにしましょうと言い始め、陣痛に合せていきみ始めました。

で?? 麻酔は??

 

PM6:00 ~ PM9:00

陣痛の痛みは増していくばかりで、両手を握ってくれているダンナさんは、私の握る強さで骨が折れそうなほどに痛いのを声を押し殺して我慢してくれていたようです。

後から 『あんな力があるなんて知らなかったよ』 と言われた。

いきんでる間、看護師さんはずっと私の股に手をいれて開きを確認しながら励ましてくれてたのですが、ほんと思うように開かなくて・・・・

体力はなくなってくるわ、骨盤が割られている感覚と痛みで意識は朦朧とし、いきむ時の酸素不足で死ぬんじゃないかと思いました。

もがきながら何回か吐き、食べてないので出るのは水と胃液のみで更に苦しく、最後の方はやけくそでいきんでた気がする。

この陣痛室、実は2人部屋で、私が入ってから3時間後に新しい妊婦さんがご主人と入ってきました。

彼女はすでに子宮口4cm開いていて、陣痛が10分間隔で来ているけど、気になる程度で痛くないとケロッとしていて驚き。

『痛くないけど、念のため麻酔お願いします 』とか言ってて、羨ましかったなぁ。

その後も麻酔がきちんと効いている彼女は、余裕の表情でご主人と談笑してたりしてました。

 

PM9:00過ぎ

・羊水がなくなる

・赤ちゃんのポジションが悪い(まっすぐではなく、左に寄った態勢)

・赤ちゃんが降りてこれない

という事で、吸引器を使って出産することに。

もし吸引器で出てこれなかったら、帝王切開しますからと言われて分娩室へ。

この頃には意識は朦朧としていて 『なんか言ってる・・・』 程度にしかわからず、後でダンナさんに聞きました。

気づいた時には分娩室に運ばれていて、意識が遠のいているからか肩を叩かれながら名前を何回も聞かれ、

『赤ちゃんを助けないと』 と何回も言われました。

 

・・・・え?? 赤ちゃんを助ける??

助けるって、危険なの?? 私は赤ちゃんに会えるの??

 

と、すごい不安が押し寄せたのを覚えてます。

その後、先生の合図で何回かいきみを続けていたら、

グエッ!! と上半身が起き上がり、意識が一瞬飛びました

何事??とパニック状態で目を開けると、助産師さんがジャンプをして私のお腹を腕で押してるのが見えました。

反対側から他の看護師さんが私の体が起き上がらないように押さえつけ、なおかつ、助産師さんと一緒にお腹を押してました。

押してるという表現は間違ってるような・・・

助産師さんは、プロレスのコーナーポスト(だったかしら?)の上からジャンプして、エルボを私のお腹に入れてる感じ。

 

陣痛室で 『死ぬ~』 と思ったのは甘かった。

この時は 『もう私はダメ。赤ちゃんさえ助かれば・・・』 と覚悟ができてましたから。

 

意識がうっすらとしてる時に先生が何かを言い、助産師さんのエルボの嵐が止み、分娩室内がザワザワとし始めました。

なんだろう・・・何か変わったな・・・・と少し目を開けたら、10人近くいた看護師さん達が散らばっていく姿が。

そして、『良いお年を~』 『いつからお休み??』 と挨拶をかわす会話が聞こえてきました。

 

・・・・・・・・?? 

 

目もしっかり開けれず、まだ意識がボーっとしたままでいると、1人の看護師さんが肩を叩き、

『おめでとう!!』 と声をかけてくれました。

 

PM9:40

え?? 赤ちゃん生まれたの??

『そうよ。良かったわね。』 と言って去って行きました。

 

12月30日 21:40 KENTA 誕生です

 

でも、赤ちゃんはどこ?? 泣き声も聞いてないし、だっこもさせてもらってない・・・・

もうすでに周りには看護師さんはいなくて、1人の看護師さんが残って会陰部の処置を始めました。

 

赤ちゃんが生まれたという安心感は一瞬で、まだ確認していないし、そして立ち合い分娩の予定だったのにダンナさんはいない。

広い分娩室に1人、黙って会陰部の処置を受けてる状態がとても冷たい感じがして不安いっぱいでした。

なんで赤ちゃん連れてきてくれないんだろう・・・・・

 

暫くして、陣痛室で付き添ってくれていた看護師さんが来て、

 

ほら、あなたの赤ちゃんよ。

 

と毛布に包まれたKENTAを連れてきてくれました。

羊水が減ったなか、出てくるまでの時間がかかり過ぎて、寒さで全身青白く震えていたために私に会わせる時間もなく即別室での処置が行われたそうです。

無事にKENTAに会えた安心感でドッと涙が出ました。

ほんの一瞬でKENTAは新生児室に連れていかれ、私は引き続き会陰部の処置。 

結構縫いました。

 

PM10:30

前にいた陣痛室に戻され、2時間ほど待機。

隣りにはまだ先ほどの彼女とご主人が。

麻酔が効いているとは言え、陣痛が強くなってきているので彼女の表情はこわばってました。

2人に 『かなり騒いでしまって、迷惑でしたよね。ごめんなさい。』 と謝ると、

『気にしないで。 麻酔効かなかったわけだし、当然だよ。 おめでとう』 と言ってくださり一安心。

そこにダンナさんが現れ、『大変だったね。ありがとう』 と言われ、安心感で全身の力が抜けました。

 

AM12:30

病室へ移動。

 

AM1:00

看護師さんがKENTAを連れてきてくれ、ようやく家族3人で会う事ができました

 

終わり。

 

ここから先も色々と書きたい事がありますが、とりあえず出産までの記録と 『歩み』 のカテゴリーを終わりにします。

初めての出産ですが、予想以上に色んな事があり、沢山の方に助けていただきました。

そして、無事に出産まで辿りつけることは奇跡なんだと知りました。

妊娠から出産まで見守ってくださった皆さん、本当にどうも有難うございました。

特に兄嫁Kやんと弟には感謝の言葉だけでは足りないほど精神的にお世話になりました。

いつもいつもどうも有難う

 

入院中の出来事を含め、これからは 『育児』 のカテゴリーに書いていきます。

妊娠後期より更新が少ないですが、育児の他にも書きたいことは盛り沢山あるんです。

今までのように日々のくだらないことばかりですが・・・・

 

では、また後で

 

 

 

 

 

 


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