異文化生活 - in Cadiz -

お嫁にきました、スペイン・カディスへ。
周りの心配をよそに、異文化生活のあれ??を楽しく過ごしてます。

入院 続き

2014-03-11 23:28:40 | 育児
こんばんは


寝てしまう前に続きです


KENTA入院2日目。

朝8:30、病院到着。

まずはオムツ替えて、おっぱいを片方10分ずつトライして、哺乳瓶でミルクをあげて、その後母乳の搾乳を片方15分ずつ…

KENTAがいた場所には15人程度の赤ちゃんが入院してたかな。

看護師さんは6名程度、搾乳機4台、授乳室のイスは5つだし…

勝手に保育器からKENTAを出したりできないので、看護師さんからの指示や順番待ちとかしてると、次の授乳時間まで1時間ないような状態。

お腹は空いてるけど、年明けで病院内のカフェはお休みだし、外の1番近いカフェに行くにも不調の体で歩くにはしんどい距離、じゃあ待合室で休憩…と思いきや、泊まり込みで赤ちゃんに授乳してる家族が占領してて座る場所もない

仕方ないので駐車場の車へ向い、15分休んでまた病室へ。

これを22時過ぎまで繰り返す。


3日目。

まだまだ会陰部が痛くて歩くのも立ってるのも座るのも辛い。
動きがおかしいのを見た看護師さん達がが「まだ痛いの⁇」と驚く。

確かに周りのママさん達はヒールを履いて普通に歩き、座って足を組んだり…

出産後、中まで縫ったのに3日程度で痛みがなくなる方が不思議…痛くて眠れないのに

義理姉Bからは

「痛いと思うからよ。忙しくしてれば痛いなんて忘れるわ。」

と、私が甘えてるように言われて撃沈


4日目。

看護師さんが、そんなに痛いのはおかしいから、休憩の間に診察してもらいなさいと言われ診察するも、
「沢山縫ったから仕方ない」
で終わり。


ダンナさんも出生後のお役所の手続きがあり、あちらこちらと車を走らせてた

でも私の休憩時間は病院に戻って来てくれて、車で休ませてくれたし、時間がうまく合えばサンドイッチを買ってきてくれたり、いろいろと協力してもらえました。
この入院がダンナさんのバケーション時期で良かったわ


年末の出産から心身共にグッタリだというのに、心底腹の立つ看護師がいて、KENTAのオムツを取り替え始め1分も経ってないのに

「まだなの⁉︎ あなたの国では赤ちゃんはママゴト遊びの一つなの⁉︎」

とか、

「ちゃんと哺乳瓶で飲んでるじゃない。あなたのおっぱいが出ないからよ」

とか、

私が搾乳を終える頃にわざわざ来て、

「これだけ⁇」

とか、

通りすがりに

「あなたは全然おっぱい出てないわよ」

とか、毎日何かを言ってくる状況に精神衛生的にも絶不調

他のママさん達とは会話をしてるところを見てないから、あきらかに人種差別。

明日は退院できるかな…と年配の看護師さんが言った後、私が1人で授乳してるところへ来て、

「まだまだ黄色いわよ。全く治ってない。」

と何回もしつこく言う。

退院が決まり、最後の授乳をしてると、

「まだ黄色いのに。また入院するんじゃないかしら。あなたはどこ出身⁇」

「日本なの⁇ あー、黄色いのはあなたの血ね」

「あ、でもあなたは黄色くないわよ。ホント、黄色じゃないから…」

と意味深な笑みを浮かべて離れて行った。

じゃあ何色なんだよ…


黄色人種だからね、言われても「別に」って感じだけど、明らかに嫌がらせで医者でもないのに人種差別で不安を仰いだりする発言にはホント引っ叩いてやりたかった

KENTAに何かされたら嫌だから我慢したけどさ

ホント、ここでは強くならないと生きていけない


1週間、本当に辛かった
思ったよりも早くKENTAが元気になってくれて良かったよ

退院した2日後、助産師さんの健診があり、会陰部がだいぶ化膿していると言われた

出産後の38度5分以上の発熱は菌が入ったからだろうって。

病院で診てもらったときは、出産後の発熱は母乳が出るための準備だろうって言われたけど、そんなに高い熱はやっぱりおかしいよね

なんだかなぁ…

疲れるよ、この環境

育児って周りの環境にも左右されるな。とつくづく思う今日この頃

家で2人っきりの癒しの時間を大事にしよう


入院。

2014-03-06 04:01:23 | 育児
お早うございます


ミルクの時間でした。

珍しく眠くないので更新タイム。


1月2日22時過ぎに病院へ行き、診察。

とりあえず異常はなさそうだけど、血液検査をすることに。

検査結果を待ってる間に看護師さんが

「大丈夫よ~。おっぱいのあげ方教えてあげるわ」

と教えてくれた。
色々と試すも吸い付かない

「おっぱいもカチカチだし、とにかく待ってる間は試みなさい」

と言われたけど、病院内に長居するとKENTAに良くないとの事で、車でオッパイをあげながら待機する事に。

KENTAは寝続け、全く飲んでもらえないまま日付け変わって、3日深夜1:00。

検査結果、

黄疸値が高いので即入院。


栄養不足…


入院するために、新生児治療室に案内される。

そこの感じ悪いキレイな看護師さんにおっぱいをあげたかを聞かれ、

「試みてるんだけど飲んでくれない」

と答えたら、

「何してるの⁈ 3時間置きに飲まないといけないのよ‼︎」

と怒られた。

そんな事は分かってる…だから産後に看護師さんに聞いてたんだよ

「私がミルクをあげるから、あなたは奥の部屋で片方10分ずつ搾乳しなさいっ」

と言ってスタスタとKENTAを連れて行ってしまった。


搾乳の部屋へ行くけど、看護師さんは皆バタバタしていて誰も相手にしてくれず、何をどうしていいかも分からない

搾乳していた女性が1人いたので教えてもらう。

おっぱいを絞るのはもちろん初めて。

痛い…私が上手におっぱいをあげれなかったから入院なんだ…と色々考えながら疲れもあって、ヌケガラみたいになっているところへ、さっきの感じの悪い看護師さんが来て

「あなたの赤ちゃん、70ml飲んだわよ‼︎ちゃんと飲むじゃない‼︎」

と言い放って去って行った。

とにかくショック。

自分が悪い事は分かってる。

でもどうしていいのか分からなかった。

出産後に授乳の指導とかあるものだと思ってたし、看護師さんに飲まないこと、元気がないのか泣かない事も伝えてたのに…

もっと強く「授乳方法を教えて下さい」と伝えてれば良かった。

もっと知識を持ってれば、寝続けてるのはおかしいとか、ミルクをあげたいとか、診察して欲しいとか強く言えてたはず。

もう自分を責めるのみ。

カチカチのおっぱいだけど、搾乳してみたら両方で60ml。

横で搾乳してる女性は余裕で100ml越してるし…

オッパイも出てなかったんだ…とまたショック。

搾乳したおっぱいを年配の看護師さんへ渡すと、

「ちょっと少ないわね。疲れもあるだろうから、今日はゆっくり寝て、明日の朝8:30にまた来なさい」

と指示された。

私が搾乳してる間にダンナさんが入院手続きを済ませてくれ、治療方法の説明を受けていた。

ビリルビン数値が下がるまで光線療法で、8:30から23:00までの3時間置きの授乳は私が行うこと。

保育器の中で目隠しをし裸で蛍光灯を当てられてるKENTAにサヨナラをした時、可哀想で一気に涙が溢れた。

ごめんなさい、KENTA。

それしか言えない。

年配の看護師さんが

「今は泣かせてあげなさい。でもちゃんと寝るようにね。」

とダンナさんに言ってるのが聞こえた。

病院内で初めて優しい言葉を聞いた気がして、また泣けた。


産後2日で体も休まってなく、本当に疲れてたので眠ろうと努力したけど、ショックで勝手に涙が出てきて結局朝まで眠れなかったな。


今私の腕の中でKENTAが大人顔負けのオナラをしながら寝てるのに、あの時の瞬間を思い出すと苦しくて涙が出る。

出産と同様に忘れないだろうな、きっと。

後日、家でも搾乳するように言われ、3日間程度は手動搾乳機を使ったけど手は疲れるは時間はかかるわで、1日のトータル睡眠時間が1時間半しかなくて倒れそうになり、病院と同じメーカーの搾乳機を購入しました



ちょっとお高いけど、買って正解でした

では、次のミルクの時間まで寝てみます。

お休みなさい












出産後~退院まで。

2014-02-11 11:19:58 | 育児

こんにちは



連日の強風&大雨が落ち着いて、本日曇りのへレスです。

KENTAのお部屋、こんな感じに仕上がりました

出産前に撮った写真なので、今はもっと物が溢れてます

12月中旬から私はミシン、ダンナさんはドリルを使いまくりの毎日だったなぁ。
まだ足りない部分もあるけど、なんとか間に合って良かったわ

間に合ったはいいけど、結局ベビーベッドでは1日しか寝てないKENTA・・・・・



さてさて、初の育児カテゴリーです☆

出産を終えて日付が変わった12月31日深夜、ようやくベビとダンナさんと病室で家族3人。

やっとやっと、KENTAを抱っこできて安心&幸せ


・・・・・で? これからどうするの??



と思ってる所に看護師さんがやって来て、



「はい。2日分のオムツと着替え入ってるから。あと、おへその消毒液とガーゼ入ってるからね。」



と、ダンナさんにビニール袋を渡して出て行こうとするので、



「あの、授乳の時間は?? おへその消毒っていつ、どうするんですか??」



と聞くと、

「え?? 泣いたらおっぱいあげなさいよ。今からあなた達が親なんだから」



と出て行こうとする…



「でもおっぱいのあげ方も知らないけど…



「口に持っていけば吸うわよ」


と出て行っちゃった



ダンナさんがナースステーションに行き、他の看護婦さんに消毒の仕方を聞いてきてくれたけど、病室までは来てくれず。

しばらくベビを抱っこした後、さすがに疲れてるのでベビが泣くまでひと眠りしようにも、会陰部が痛すぎて眠れない

ダンナさんはリクライニングチェアでひと眠り

午前3時頃かな、ベビが泣いた
初めて聞く可愛い泣き声に感動しながら、おっぱいをあげようとするけど吸わない
くわえた瞬間に吸わずに寝ちゃう



抱っこして欲しかっただけかな??

あ、オムツ??



私は痛すぎて動けないので、ダンナさんにオムツをお願いする。

そして寝るベビ…

「3時間毎にとにかく授乳」と情報を得ていたので、6時に起こしても起きないし吸わない
泣きもしない



9時、12時も同じく起きない、起こす、吸わない、泣かない…



朝食を持ってきた看護師さんにおっぱいを吸わない事を伝えると、ベビの足の裏をグリグリして起こし(泣かせて)、おっぱいをくわえさせて


「練習が必要なのよね。そのうち吸うわ。」



と出て行った。


ランチタイムにちょうど来た看護師さんにもおっぱい吸わない事を伝えたけど、



「お腹が空けば吸うわよ」



会陰部の消毒に来た看護師さんにも伝えたけど、



「まだ小さいからね」



その後、夕食が配られ、年末だからか看護師さんは来なかった…

 

そして迎えた午前12時

夕食に12粒の葡萄がダンナさんの分も用意されていたので、時計の秒針に合わせて食べて静かに2014年を迎えました


12月31日中にお産後初のトイレに行くように看護師さんに言われていた事を思い出し、ベッド横にあるトイレへ。


まずベッドから立ち上がるのが大変

ダンナさんに支えて貰いながら中腰で歩き、トイレに座ってもクラクラするので一緒にいてもらっちゃっいました。
恥ずかしいけど、そんな事言ってられなかったのよね

 

おっぱいに関しては同じことを繰り返し、会陰部が痛すぎて眠れないので痛み止めをもらったけど効かなくて、ボーッとしながら迎えた朝。

 

1月1日朝。 雨だったな。

朝食を食べてたら、看護師さんが来てKENTAの出産手帳  を渡してくれた。

51cm、3400g ・・・・難産、吸引・・・・

そう、難産。 

誰ですか、お尻が大きいと安産だと言ったのは??

お年頃になった頃から、

『Kumi は安産だね。』 

『キミは安産型だね。』

と、友達や会社の男性陣にも言われつづけ、私もスポッと出産できるものだと思ってたわ

無痛分娩(痛みがなくなるわけではなく、軽減させる麻酔なので和痛分娩て言うのかな?)の麻酔も効かず、母親教室で見た女性2人が分娩している姿とは大違いで終わった私の出産。

病院に提出する出産プランというのがあって、

・麻酔に同意する

・付添人の名前

・何かあった時の判断者の名前

・出産の方法

・立会人の名前

・出産直後のカンガルーケア

・臍帯血の寄付の同意 etc.

すべて埋めて提出したのにもかかわらず、陣痛室で麻酔が効いている間に看護師さんがプランをペラペラとめくりながら、

『プラン提出してくれたのね。で、何が一番大事??』

と聞いてきた。

あら?読まないの?? 一番大事なことだけ??・・・ と思ったけど、すでに朝から陣痛に悶えた後だったので

『とにかく麻酔。あれ以上なんて考えたくないし、落ち着いて出産したい』と答えた。

『そうね、もう陣痛経験したしね。その方が後も楽よ。』と言ってたのにな、プラン一つも達成されてないよ・・・

 

おっと、話が逸れました

8時過ぎ、朝食が済んで1人でトイレに行ってみようと思ったら、何かにつかまらないと立てない&上体を伸ばすと呼吸ができない

ベッドの柵につかまりながら少し休み、もう一度チャレンジしたけどやっぱり呼吸ができない

ダンナさんが看護師さんを呼んでくれた。

『何か不安な事や悪夢でもみた?』

え?? 出産終えたばかりで、体調が戻ってないからでは??

『不安もないし悪夢もみてないけど、分娩が悪夢の中の出来事のようだった』 と答えると

『そう。じゃあまだ横になってなさい。』のみ。

そうですねと横になっていると、10時半頃に別の看護婦さんがやってきて、

 

『支度して、退院していいですよ』

 

え~~~っ 

まったく回復してないですけど?? 1人で立てない、呼吸がうまくできないと言ってるのに??

 

『あ~、出産後だから貧血なのよ。鉄剤だしますから』

 

だって。 

まぁね、こちらは”病院は治療の場であって、回復は家でするもの” なので、仕方ない。

日本だと回復まで手厚く診てくれるから1人で入院できるけど、こちらは病院内でも治療以外はすべて家族が面倒をみる、必要最低限の治療が終われば後は家で家族に看病してもらい回復するのがスペイン流。

 

てなわけで、退院許可証など書類をもらい支度して退院。

午後1時には家に帰りました。

 

家に戻ってホッとしたけど、ご飯食べるにもKENTAを抱っこする&おっぱいをあげるにも普通に”座る””立つ”事がなかなかできなくて辛かったな。

しかも一緒のベッドで寝かしつけてる時、急に寒気が襲ってきて震えが止まらず熱を測ったら38.7度。 解熱剤を飲んで下がったけど、一体あれは何だったのかしら?

相変わらずKENTAはおっぱいくわえてすぐに寝ちゃう状態が続き、携帯片手にネットで調べたりして”3日分のお弁当を持ってる”とか”根気が必要”とか書いてあるけど、さすがに飲んでる気配がないので心配しながらその日を過ごしました。

次の日の午前中、やっぱり不安だし、KENTAが栄養失調になってしまうので病院に行きたいと

ダンナさんに伝えると、うう~んとなんだか必要性を感じていないような返事。

ダンナさんのお兄さん家族が遊びに来ることになっていたので、掃除したりしてなんだかんだと次のおっぱいの時間になり、KENTAが少し吸ったので、お兄さん達が来るまで様子を見ようという事に。

 

到着時間の変更があって、みんなが来たのが午後7時半。

新しい家族との対面にみんな喜んでくれました

 

でも私はおっぱいの事が心配で、お義理姉さんに相談してるうちにKENTAの顔色も濃くなってきて

夜22時過ぎに救急病院へ。

 

続く・・・・