異文化生活 - in Cadiz -

お嫁にきました、スペイン・カディスへ。
周りの心配をよそに、異文化生活のあれ??を楽しく過ごしてます。

ん~…

2014-02-24 01:09:39 | 日記
こんばんは


夜中です…

眠いのに眠れない

去年、夏から3回も車を修理に出した

車社会の田舎だし、10年以上経っているので、もうボロボロ

買い換えたいけどね~…

私は使ってないし、動かなくなっても電車で通勤できるしねと、後回し


ダンナさんが10年前に中古で購入した家電付きマンションに住んでいる私達。

なので家電が古い。

去年の夏に洗濯機が壊れ、購入。

暮れに暖房器具の調子が悪いので購入。

冷蔵庫の調子も悪く、何回か家の電気が全部落ちたりして(何だったかしら⁇名前が出てこない…)、冷蔵庫の中身を全て捨てた事もあるので、すぐにでも買い替えたいのに、キッチンの構造上リフォームしないと気に入った冷蔵庫が置けない…


で、どうしようか…と悩んでるところに昨日からサロンのTVが映らなくなり、今日は私のパソコンが固まり続け壊れる予感

掃除をキチンとしてるつもりなんだけど、ダンナさんの体毛がペットを飼ってるかのように落ちている我が家

掃除機ロボットを買う予定を変更して洗濯機を購入、次は暖房機、やっと次は掃除機ねって思ってたのにぃ…


何も考えずにぜ~んぶ買えるお金持ちになりたい


と考えて、眠れなくなりました。

気分が暗くなる

今日食べたタパス達をご紹介

トルティージャ と エンサラディージャ


ウエボ アラ フラメンカ


ソロミージョ コン ケソマンチェゴ


美味しゅうございました

ん~マンチェゴチーズ、美味しかったな

さ、気分が変わったところで寝よ。

おやすみなさい






出産後~退院まで。

2014-02-11 11:19:58 | 育児

こんにちは



連日の強風&大雨が落ち着いて、本日曇りのへレスです。

KENTAのお部屋、こんな感じに仕上がりました

出産前に撮った写真なので、今はもっと物が溢れてます

12月中旬から私はミシン、ダンナさんはドリルを使いまくりの毎日だったなぁ。
まだ足りない部分もあるけど、なんとか間に合って良かったわ

間に合ったはいいけど、結局ベビーベッドでは1日しか寝てないKENTA・・・・・



さてさて、初の育児カテゴリーです☆

出産を終えて日付が変わった12月31日深夜、ようやくベビとダンナさんと病室で家族3人。

やっとやっと、KENTAを抱っこできて安心&幸せ


・・・・・で? これからどうするの??



と思ってる所に看護師さんがやって来て、



「はい。2日分のオムツと着替え入ってるから。あと、おへその消毒液とガーゼ入ってるからね。」



と、ダンナさんにビニール袋を渡して出て行こうとするので、



「あの、授乳の時間は?? おへその消毒っていつ、どうするんですか??」



と聞くと、

「え?? 泣いたらおっぱいあげなさいよ。今からあなた達が親なんだから」



と出て行こうとする…



「でもおっぱいのあげ方も知らないけど…



「口に持っていけば吸うわよ」


と出て行っちゃった



ダンナさんがナースステーションに行き、他の看護婦さんに消毒の仕方を聞いてきてくれたけど、病室までは来てくれず。

しばらくベビを抱っこした後、さすがに疲れてるのでベビが泣くまでひと眠りしようにも、会陰部が痛すぎて眠れない

ダンナさんはリクライニングチェアでひと眠り

午前3時頃かな、ベビが泣いた
初めて聞く可愛い泣き声に感動しながら、おっぱいをあげようとするけど吸わない
くわえた瞬間に吸わずに寝ちゃう



抱っこして欲しかっただけかな??

あ、オムツ??



私は痛すぎて動けないので、ダンナさんにオムツをお願いする。

そして寝るベビ…

「3時間毎にとにかく授乳」と情報を得ていたので、6時に起こしても起きないし吸わない
泣きもしない



9時、12時も同じく起きない、起こす、吸わない、泣かない…



朝食を持ってきた看護師さんにおっぱいを吸わない事を伝えると、ベビの足の裏をグリグリして起こし(泣かせて)、おっぱいをくわえさせて


「練習が必要なのよね。そのうち吸うわ。」



と出て行った。


ランチタイムにちょうど来た看護師さんにもおっぱい吸わない事を伝えたけど、



「お腹が空けば吸うわよ」



会陰部の消毒に来た看護師さんにも伝えたけど、



「まだ小さいからね」



その後、夕食が配られ、年末だからか看護師さんは来なかった…

 

そして迎えた午前12時

夕食に12粒の葡萄がダンナさんの分も用意されていたので、時計の秒針に合わせて食べて静かに2014年を迎えました


12月31日中にお産後初のトイレに行くように看護師さんに言われていた事を思い出し、ベッド横にあるトイレへ。


まずベッドから立ち上がるのが大変

ダンナさんに支えて貰いながら中腰で歩き、トイレに座ってもクラクラするので一緒にいてもらっちゃっいました。
恥ずかしいけど、そんな事言ってられなかったのよね

 

おっぱいに関しては同じことを繰り返し、会陰部が痛すぎて眠れないので痛み止めをもらったけど効かなくて、ボーッとしながら迎えた朝。

 

1月1日朝。 雨だったな。

朝食を食べてたら、看護師さんが来てKENTAの出産手帳  を渡してくれた。

51cm、3400g ・・・・難産、吸引・・・・

そう、難産。 

誰ですか、お尻が大きいと安産だと言ったのは??

お年頃になった頃から、

『Kumi は安産だね。』 

『キミは安産型だね。』

と、友達や会社の男性陣にも言われつづけ、私もスポッと出産できるものだと思ってたわ

無痛分娩(痛みがなくなるわけではなく、軽減させる麻酔なので和痛分娩て言うのかな?)の麻酔も効かず、母親教室で見た女性2人が分娩している姿とは大違いで終わった私の出産。

病院に提出する出産プランというのがあって、

・麻酔に同意する

・付添人の名前

・何かあった時の判断者の名前

・出産の方法

・立会人の名前

・出産直後のカンガルーケア

・臍帯血の寄付の同意 etc.

すべて埋めて提出したのにもかかわらず、陣痛室で麻酔が効いている間に看護師さんがプランをペラペラとめくりながら、

『プラン提出してくれたのね。で、何が一番大事??』

と聞いてきた。

あら?読まないの?? 一番大事なことだけ??・・・ と思ったけど、すでに朝から陣痛に悶えた後だったので

『とにかく麻酔。あれ以上なんて考えたくないし、落ち着いて出産したい』と答えた。

『そうね、もう陣痛経験したしね。その方が後も楽よ。』と言ってたのにな、プラン一つも達成されてないよ・・・

 

おっと、話が逸れました

8時過ぎ、朝食が済んで1人でトイレに行ってみようと思ったら、何かにつかまらないと立てない&上体を伸ばすと呼吸ができない

ベッドの柵につかまりながら少し休み、もう一度チャレンジしたけどやっぱり呼吸ができない

ダンナさんが看護師さんを呼んでくれた。

『何か不安な事や悪夢でもみた?』

え?? 出産終えたばかりで、体調が戻ってないからでは??

『不安もないし悪夢もみてないけど、分娩が悪夢の中の出来事のようだった』 と答えると

『そう。じゃあまだ横になってなさい。』のみ。

そうですねと横になっていると、10時半頃に別の看護婦さんがやってきて、

 

『支度して、退院していいですよ』

 

え~~~っ 

まったく回復してないですけど?? 1人で立てない、呼吸がうまくできないと言ってるのに??

 

『あ~、出産後だから貧血なのよ。鉄剤だしますから』

 

だって。 

まぁね、こちらは”病院は治療の場であって、回復は家でするもの” なので、仕方ない。

日本だと回復まで手厚く診てくれるから1人で入院できるけど、こちらは病院内でも治療以外はすべて家族が面倒をみる、必要最低限の治療が終われば後は家で家族に看病してもらい回復するのがスペイン流。

 

てなわけで、退院許可証など書類をもらい支度して退院。

午後1時には家に帰りました。

 

家に戻ってホッとしたけど、ご飯食べるにもKENTAを抱っこする&おっぱいをあげるにも普通に”座る””立つ”事がなかなかできなくて辛かったな。

しかも一緒のベッドで寝かしつけてる時、急に寒気が襲ってきて震えが止まらず熱を測ったら38.7度。 解熱剤を飲んで下がったけど、一体あれは何だったのかしら?

相変わらずKENTAはおっぱいくわえてすぐに寝ちゃう状態が続き、携帯片手にネットで調べたりして”3日分のお弁当を持ってる”とか”根気が必要”とか書いてあるけど、さすがに飲んでる気配がないので心配しながらその日を過ごしました。

次の日の午前中、やっぱり不安だし、KENTAが栄養失調になってしまうので病院に行きたいと

ダンナさんに伝えると、うう~んとなんだか必要性を感じていないような返事。

ダンナさんのお兄さん家族が遊びに来ることになっていたので、掃除したりしてなんだかんだと次のおっぱいの時間になり、KENTAが少し吸ったので、お兄さん達が来るまで様子を見ようという事に。

 

到着時間の変更があって、みんなが来たのが午後7時半。

新しい家族との対面にみんな喜んでくれました

 

でも私はおっぱいの事が心配で、お義理姉さんに相談してるうちにKENTAの顔色も濃くなってきて

夜22時過ぎに救急病院へ。

 

続く・・・・

 


陣痛~出産の記録 2

2014-02-04 09:43:03 | 歩み

お早うございます

 

今日の東京は雪のようですね

友人がFBに写真をUPしていて、とても綺麗な雪景色でした 

なんて、雪の中を通勤してる方にはこんなのん気な事は言えませんが

 

昨日の続きです。

 

12月30日

PM5:00

痛みが徐々に強まり、枕を顔に当てて泣き叫ぶように。

当然のように看護師さんに 『声を出さないで、息を鼻から吸って口から吐きなさい』 と言われるのですが、試みてみるものの痛すぎて唸っちゃうし、声を出さないと意識が遠のく。

というか、麻酔はどうした??

とにかく 『う~~っ!! いった~~~~~い!! なんで? なんで? 麻酔は??』 を繰り返してたような気がします。

腰~背中~首元へと点滴のチューブを貼られていたのですが、右向き・左向き・仰向けに寝るように指示される度に首元の部分が折り曲がってしまい麻酔がうまく通らなくなったと言われました。

で??? チューブ変えるとか何かしないの??

看護師さんがこのままもっと子宮口を開くようにしましょうと言い始め、陣痛に合せていきみ始めました。

で?? 麻酔は??

 

PM6:00 ~ PM9:00

陣痛の痛みは増していくばかりで、両手を握ってくれているダンナさんは、私の握る強さで骨が折れそうなほどに痛いのを声を押し殺して我慢してくれていたようです。

後から 『あんな力があるなんて知らなかったよ』 と言われた。

いきんでる間、看護師さんはずっと私の股に手をいれて開きを確認しながら励ましてくれてたのですが、ほんと思うように開かなくて・・・・

体力はなくなってくるわ、骨盤が割られている感覚と痛みで意識は朦朧とし、いきむ時の酸素不足で死ぬんじゃないかと思いました。

もがきながら何回か吐き、食べてないので出るのは水と胃液のみで更に苦しく、最後の方はやけくそでいきんでた気がする。

この陣痛室、実は2人部屋で、私が入ってから3時間後に新しい妊婦さんがご主人と入ってきました。

彼女はすでに子宮口4cm開いていて、陣痛が10分間隔で来ているけど、気になる程度で痛くないとケロッとしていて驚き。

『痛くないけど、念のため麻酔お願いします 』とか言ってて、羨ましかったなぁ。

その後も麻酔がきちんと効いている彼女は、余裕の表情でご主人と談笑してたりしてました。

 

PM9:00過ぎ

・羊水がなくなる

・赤ちゃんのポジションが悪い(まっすぐではなく、左に寄った態勢)

・赤ちゃんが降りてこれない

という事で、吸引器を使って出産することに。

もし吸引器で出てこれなかったら、帝王切開しますからと言われて分娩室へ。

この頃には意識は朦朧としていて 『なんか言ってる・・・』 程度にしかわからず、後でダンナさんに聞きました。

気づいた時には分娩室に運ばれていて、意識が遠のいているからか肩を叩かれながら名前を何回も聞かれ、

『赤ちゃんを助けないと』 と何回も言われました。

 

・・・・え?? 赤ちゃんを助ける??

助けるって、危険なの?? 私は赤ちゃんに会えるの??

 

と、すごい不安が押し寄せたのを覚えてます。

その後、先生の合図で何回かいきみを続けていたら、

グエッ!! と上半身が起き上がり、意識が一瞬飛びました

何事??とパニック状態で目を開けると、助産師さんがジャンプをして私のお腹を腕で押してるのが見えました。

反対側から他の看護師さんが私の体が起き上がらないように押さえつけ、なおかつ、助産師さんと一緒にお腹を押してました。

押してるという表現は間違ってるような・・・

助産師さんは、プロレスのコーナーポスト(だったかしら?)の上からジャンプして、エルボを私のお腹に入れてる感じ。

 

陣痛室で 『死ぬ~』 と思ったのは甘かった。

この時は 『もう私はダメ。赤ちゃんさえ助かれば・・・』 と覚悟ができてましたから。

 

意識がうっすらとしてる時に先生が何かを言い、助産師さんのエルボの嵐が止み、分娩室内がザワザワとし始めました。

なんだろう・・・何か変わったな・・・・と少し目を開けたら、10人近くいた看護師さん達が散らばっていく姿が。

そして、『良いお年を~』 『いつからお休み??』 と挨拶をかわす会話が聞こえてきました。

 

・・・・・・・・?? 

 

目もしっかり開けれず、まだ意識がボーっとしたままでいると、1人の看護師さんが肩を叩き、

『おめでとう!!』 と声をかけてくれました。

 

PM9:40

え?? 赤ちゃん生まれたの??

『そうよ。良かったわね。』 と言って去って行きました。

 

12月30日 21:40 KENTA 誕生です

 

でも、赤ちゃんはどこ?? 泣き声も聞いてないし、だっこもさせてもらってない・・・・

もうすでに周りには看護師さんはいなくて、1人の看護師さんが残って会陰部の処置を始めました。

 

赤ちゃんが生まれたという安心感は一瞬で、まだ確認していないし、そして立ち合い分娩の予定だったのにダンナさんはいない。

広い分娩室に1人、黙って会陰部の処置を受けてる状態がとても冷たい感じがして不安いっぱいでした。

なんで赤ちゃん連れてきてくれないんだろう・・・・・

 

暫くして、陣痛室で付き添ってくれていた看護師さんが来て、

 

ほら、あなたの赤ちゃんよ。

 

と毛布に包まれたKENTAを連れてきてくれました。

羊水が減ったなか、出てくるまでの時間がかかり過ぎて、寒さで全身青白く震えていたために私に会わせる時間もなく即別室での処置が行われたそうです。

無事にKENTAに会えた安心感でドッと涙が出ました。

ほんの一瞬でKENTAは新生児室に連れていかれ、私は引き続き会陰部の処置。 

結構縫いました。

 

PM10:30

前にいた陣痛室に戻され、2時間ほど待機。

隣りにはまだ先ほどの彼女とご主人が。

麻酔が効いているとは言え、陣痛が強くなってきているので彼女の表情はこわばってました。

2人に 『かなり騒いでしまって、迷惑でしたよね。ごめんなさい。』 と謝ると、

『気にしないで。 麻酔効かなかったわけだし、当然だよ。 おめでとう』 と言ってくださり一安心。

そこにダンナさんが現れ、『大変だったね。ありがとう』 と言われ、安心感で全身の力が抜けました。

 

AM12:30

病室へ移動。

 

AM1:00

看護師さんがKENTAを連れてきてくれ、ようやく家族3人で会う事ができました

 

終わり。

 

ここから先も色々と書きたい事がありますが、とりあえず出産までの記録と 『歩み』 のカテゴリーを終わりにします。

初めての出産ですが、予想以上に色んな事があり、沢山の方に助けていただきました。

そして、無事に出産まで辿りつけることは奇跡なんだと知りました。

妊娠から出産まで見守ってくださった皆さん、本当にどうも有難うございました。

特に兄嫁Kやんと弟には感謝の言葉だけでは足りないほど精神的にお世話になりました。

いつもいつもどうも有難う

 

入院中の出来事を含め、これからは 『育児』 のカテゴリーに書いていきます。

妊娠後期より更新が少ないですが、育児の他にも書きたいことは盛り沢山あるんです。

今までのように日々のくだらないことばかりですが・・・・

 

では、また後で

 

 

 

 

 

 


陣痛~出産の記録 1

2014-02-03 09:17:37 | 歩み

お早うございます

 

かなりのお久しぶりです

 

大変遅れましたが、坊やは1週間で無事に退院できました。 

改めて、

初めまして、お風呂大好き KENTA です

 

慣れない育児の合間に家事をすると毎日があっという間に過ぎ、退院できた事すら書けず・・・・

心配してくださった皆さん、ごめんなさい & 有難うございます。

 

後で振り返れるように・・・・というか、今の私にとっては 『こんなはずじゃなかった』 なイメージで忘れられない記憶ですけど、12月30日朝から出産までの記録を残したいと思います

 

12月30日

AM 8:30 目覚め

なんとなくダルイ&そのころよく体験していた生理が始まる前のようなズ~ンとする鈍痛。

前日の夜に日本酒を楽しんだパパとダンナさんはまだ寝てるし・・・とそのままベッドでゴロゴロ。

 

AM10:00

トイレに起きて、またベッドでゴロゴロ。

 

AM10:20

お腹の辺りで、『ボンっ』 と音が

何??? 今のオナラじゃないよね?? もしかして破水?? 破水ならお水がドバっと出てくる??

とドキドキしながら様子をみてたのですが、お水が出てくる気配がない。

 

AM10:25

確認のためにトイレへ。

チョロチョロと何かが出てるけど、破水なんだか用を足してるのかよくわからず。

その頃には沢山の方の出産記録を読んで、『チョロチョロと出て破水に気づかない場合もある』 との情報も得ていた私。

ちょうど起きたダンナさんに報告。

前日の夕食が日本酒のつまみのみだったせいか、お腹が空いていたのでダンナさんが朝食の用意をしてくれることに。

私はベッドでジーっと様子見。

 

AM10:30

あら? なんだか痛い・・・生理痛のような・・・・イヤ、もっと痛いような・・・・え?? 陣痛かな?? うわッ、痛っ!!

義理姉Bが出産で入院したとき、廊下を歩きまわり、階段を上り下りしたり、家族と談笑したりと余裕の姿を見ていたので、私もそのつもりでいたんだけど、なんだか様子が違う

普段生理痛が酷いので、陣痛の始まりも酷いんだわ・・・・と思い、念のため陣痛の間隔をはかってみる。

** たまごクラブの陣痛カウンター携帯アプリ、『たまカウンタ』便利でしたよ **

と、なんと3分間隔で激痛

これ以上我慢してたら歩けなくなると思い、急いで着替えてダンナさんを呼ぶ。

 

AM10:45

すでにまっすぐには立てず、中腰になりながら入院バッグを持っていざ病院へ

車に乗ってから2,3分、もう半端ない痛みに襲われて、あの時に家を出て正解でした。

病院まで車で10分程度。

車の後部座席に座り、下腹部がはち切れる&骨盤が割れそうな痛みで泣き叫んでました。

 

AM11:00

病院に到着し、診察室のベッドヘ。

陣痛3分間隔 ・子宮口1.5cm

スペインでは無痛分娩が普通なので、私はすぐに痛みを和らげてもらえると思っていたのですが、

4cm開くまでは麻酔はできないと言われ、ウソでしょ~~~ と言う私。

看護師さんが 『この調子だとすぐに開くわよ』 と言うので、早く4cm開きますように!!! と心で叫びながら、痛みが来るたびに枕を顔に当てながら泣き叫んでました。

 

AM12:15

強い陣痛が3分間隔で来ていたので看護師さんもそのまま出産へと思っていたのですが、なかなか子宮口が開かないので陣痛室のベッドが用意され、車いすで移動。

苦しんでるアジア人の車いす移動。

珍しすぎる光景に、病院のみなさんの注目を浴びながら陣痛室へ。

ベッドでもがいてたので髪の毛はボーボーだし、痛みで顔を歪めて泣いてる姿なんて見られたくないけど、もうどうにもできなかった

 

PM3:00

やっと、やっと4cmに!!

腰に注射をして、チューブを通して点滴で麻酔を注入。

簡単な作業のようですが、痛みが引いた瞬間に態勢を変えてベッドに座り、全身の力を抜かないと注射を打てないので、3分間隔に強い陣痛&余韻がある中のこの作業、なかなか進まず結構時間がかかったな。と思う。

 

PM3:30

我慢ができる程度の鈍痛は感じるものの、麻酔が効いてきて本当に楽になり、喉が渇いていたのでダンナさんにお水をお願いしました。

病院内にある自販機で2リットルのペットボトルを抱えて戻ってきて、起き上がることのできない私に2リットルのペットボトルを渡そうとするダンナさん

ム、ムリだよ・・・コップある?? もしくは小さいペットボトルがいいんだけど。。。。

あ、そっか 小さいのは売ってなかったから、今から来る家族にコップお願いするね。

と、自分だけグビグビとお水を飲むダンナさんを引っ叩きたかった・・・

 

PM4:00

家族が病院に到着。

陣痛室は付添1人のみなので、ダンナさんと交代でママが登場

あれ?? お水・・・・・

自分だけ喉を潤して出て行ったダンナさんに本当にイライラしたけど、痛みが引いた安堵と朝からの体力消耗で何も言えず。

そして、

『どう? 痛い?? B(義理姉)は2日間入院してからの出産だったから、もっと大変だったんだよ』

とママ

・・・・・・は??

10分間隔の陣痛が来たと入院した義理姉B。

けれど元気に病院内を歩き回り、みんなと立って談笑して過ごし、全く子宮口が開かないので退院させられるところだった義理姉B。

私が陣痛を促すマッサージをしてから2時間後、歩けないほどの本陣痛が来て4時間後に出産した彼女。

なぜ今私と比べる必要が??・・・と腹が立ったけど、戦う気力は全くなし

 

そして担当の看護師さんと会話を始めたママ。

『可愛そうに、私の息子は朝から何も食べてないんだよ。だから今食べに行ったんだよ』 

あの、息子の嫁も飲まず食わず&痛みと戦ってる最中ですが・・・・?? 

 

看護師さんがママとの会話の途中で私に何かを指示したんだけど、ぼーっとしてたから聞いてなかったので聞き直したら、

『嫁は結婚して1年以上経つけど、私達の言う事はあまり理解してないんだよ』 と愚痴。

 

1人お水を飲み、ご飯を食べに行き、ママを置いて行ったダンナさんをサウンドバッグにしたい瞬間でしたね

 

PM4:45

30分で食事を終えて戻ってきてくれたダンナさんの手には、待ちに待ったコップが

ようやく少しお水を飲むことができ、ホッとしたのも束の間。

気のせいか、なんだかまた痛みが復活してきたような・・・・・

 

あら。 もう15時になってしまったので、続きはまた後ほど。