熊本レポート

文字の裏に事件あり

4年越の判決でも共犯が見えるさとうベネックを巡る経済事件

2017-03-01 | ブログ
 東京地裁は2月22日、2012年9月に経営破綻した大分市の「さとうベネック」を巡り県内外の債権者が計約4億5千万円の損害賠償を求めていた訴訟の判決で、破綻につながる巨額の貸付をした経営判断は「著しく不合理」として、大川義廣元社長に約3億2千万円の支払いを命じた。
 2012年11月21日号で記載したが、さとうベネックの前身は最盛期には九州のゼネコンでNo2の売上を誇った㈱佐藤組。07年の経営破綻後に投資ファンドの支援下で再建を果たしたが、012年2月にダイセンビルディング㈱(福岡市・大川義廣代表)が13億円で買収。
 RCC(整理回収機構)の主導で再建を目指していたさとうベネックに対して、スポンサーとして投資ファンドのNCPが現れ、無借金で20億円の現預金を保有するまで再建、成長。本来、企業の合併や買収(M&A)をもって、それを高く売り抜け、そして投資家に配当するのがファンドの論理ではあるが、その時期だと見図ったNCPはダイセンビルディングに売却。
 それまで東証1部の企業と何回か面談を済ませていたさとうベネック側は、経営内容非公開という中で新株主が、一度しか会ったことのない福岡のダイセンビルディングに決まったことに面食らったのは当然。
 そのダイセンビルディングの大川代表がさとうベネックの社長に就任すると、前代表ら役員を追放し、約16億5千8百万円をさとうベネックから同氏が代表を務めるダイセンホールディングに貸付け、それを同社買収資金の返済に回した。年商1百億円に回復したとはいえ、16億円の現金をいきなり貸付けとは、同社の資金繰りが悪化するのは当然だと、これが告発の理由であった。
 それが4年半後に勝訴したわけだが、経営破綻して失業し、街中に放り出された社員、その家族を想うと、考えさせられるのは「不合理の経営者」と一方から見る「ファンドの論理」・・・。
春風に 奮起を念じ 城に立つ

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