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中さん

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日記(8.11)

2024-08-11 20:45:04 | 日常
2024   8月11日  (日曜日)   晴れ
今日も酷暑になった。
朝のうちにスイカを作っていた場所のネットや防鳥ネットを取り外して
伸びた草を少し抜いておく。
暑くなってきて急ぎ野菜収穫をして本日朝のルーティンは終了。
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下野新聞    雷鳴抄
山の日制定10年
 戦後初の登山ブームが1950年代にあったという。
 日本の登山隊が56年、世界で初めてヒマラヤ山脈のマナスル(8163メートル)登頂に
 成功したのがきっかけだった。

★小5か6年生ごろであったので強い記憶にあるマナスル登頂成功。
 当時は大騒ぎであった。

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〇益子町出身の故日下田実(ひげたみのる)さんは、
 隊のメンバーで自身も登頂した。当時25歳で最年少だった
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▼真岡高から進んだ早稲田大で本格的に登山を始めた。
 帰国後は同大の非常勤講師を長年務め、町と県の教育委員長も歴任した。
 初登頂から60周年の2016年、テレビ局の取材に
 「苦労して登って頂上から見る眺め、それが一番」と語った。
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▼記念のこの年、ネパール側からの招きで再びカトマンズを訪れた。
 同行した町在住の長男で団体職員信(まこと)さん(56)は
 「当時の記憶をはっきりと覚えていて驚いた」と振り返る。
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▼マナスル登頂後の50年代、「『山の日』をつくろう」という声が全国的に高まった。
 時を経て塩谷町出身の作曲家の
 故船村徹(ふなむらとおる)さんが提唱するなどし、
 14年に制定された。
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▼取材で夏の男体山を1度だけ登ったことがある。
 40代だった十数年前、たどり着いた山頂からの日光連山や中禅寺湖の絶景は今でも忘れない。
 非日常の景色との出会いは登山人気の理由の一つだろう

きょう11日は「山の日」。今年は制定から10年の節目である。
 日下田さんは20年、89歳で他界した。
 先人をしのび、偉業をたたえる日でもある。

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私も山の日については、悲しい出来事を思い出すことも多い。

〇幼いころから一緒に遊んだKちゃんが、9月の谷川岳で凍死してしまった。
 バタフライの国体選手であったが、山をよく知る仲間と出かけたが
 凍死雨とも呼ばれる9月末にきっと随分寒かったんであろうな!軽装だったらしい。
 私の父親が遺体引き取りに行った。状況を後で聞いた。
 当時は良い防寒の服などがなかったせいかも・・
 信じられない出来事であった。
 当時谷川岳での事故は最多であったと記憶している
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〇職場のH嬢がH君と結婚して1年目、ヒマラヤ登山隊の一員だったか
 急に旦那がエベレストに行くことになって・・心配をしていたが
 勘が当たって遭難してしまった。今だ遺体は出てこない。
 彼女には声もかけられずに時は過ぎ去っていった 。
 1歳前の赤ちゃんの泣き声が耳に残っている。
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〇個人的に、危ない目にあったのは秋の妙義山。
 男女で6人でハイキング気分で出かけた山であった
 裏妙義を登って丁須の頭で昼食をとって下山に向かったところで
 道を間違えた。 
”後程どこでミスったのかのチェックの為もう一度行って確認しに行って。
 ああこっちに行けば良かったんだとA 君と納得した。”
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写真借用 岩登りは出来なかったなあ~

深い沢にはまってしまって・・空は暮れてきた。
 何とか元の山道に戻った時は暗くなってきて尻をつきながら1時間ほど降りたところで
 灯らしきものが見えて助かった。秋の暮れは早いことを思い知った、
 一時は岩穴に枯れ葉を運んで野宿と思っていた・・。
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★私は一人っ子なので父親は冬山に行くのはNGだった。
 先の経験がトラウマ気味で怖かったのかな!
 そんなことで春夏秋の小ぶりの山にはよく出かけたなあ~。
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日記(8.11)

2024-08-11 05:35:04 | 日常
2024   8月11日  (日曜日)

〇TV をつけると北口選手の笑顔の金メダルが飛び込んできた。
 パリ・オリンピック、陸上女子やり投げ決勝。

 2023年世界選手権優勝の北口榛花(はるか)(JAL)が金メダルを獲得した。
 陸上の日本女子選手で、マラソン以外の五輪金メダリストは初めて。”距離65.80M”
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〇柔道も女子フリースタイル62㎏クラスで元木選手が金メダルを獲得。

気分のいい朝だ。
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 過ぎてしまったが・・・
 8月8日って何の日かなと思ってコラムを調べた。
★【8月8日付編集日記】には
 ふくしま桃の日  というのがあった。

 〇パチパチと玉をはじく音にちなみ「そろばんの日」、
 〇語呂合わせで「歯並びの日」
 〇「八」を瓦屋根に見立て「屋根の日」。
  いずれも日本記念日協会に認定されている、きょう8月8日の記念日だ
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 ▼協会によると、8月8日は1年で最も記念日が多く、現在68件。
  数字の読み方がいくつもあり、語呂合わせがしやすいのだろう。
  末広がりの「八」が並ぶ、数字を横にすると無限大のマークになり、
  永久の広がりを表現できるーなども理由のようだ


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 ▼この縁起が良さそうな日に昨年、仲間入りしたのが「ふくしま桃の日」
  JAふくしま未来が県産モモの主力品種「あかつき」の個体番号にちなみ、
  7月13、26日と8月8日の3日間を登録した

 ▼JAは記念日を活用し、都道府県別で全国2位の出荷量を誇る産地として
  全国にアピールする。登録からまだ1年。
  消費者の認知度は低いものの、今年は首都圏の高級果物店が記念日に合わせ
  県産モモを使った特別パフェを提供するなどの取り組みもある。
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 ▼県内はあかつきに続き、「まどか」が旬を迎えている。
  生産者らは連日の厳しい暑さのなか、収穫作業に汗を流す。
  多くの人に県産のモモを味わってもらい、笑顔が広がる日になってほしい。
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★8月8日の上毛新聞のコラムには・・
 ▼司馬遼太郎は「アメリカの剣客」というエッセーで、
  桐生市出身の森寅雄の生涯を描いている。
  幕末の北辰一刀流玄武館四天王の一人森要蔵を曽祖父に持つ剣道の達人である
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 ▼1937年に米国へ渡り、フェンシングの道も極めた。
  米国五輪チームの監督を務め、日本でも強化普及に尽力。
  2013年には日本人初となる国際連盟の殿堂入りを果たしている
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 ▼寅雄の眼にはこの光景がどのように映ったことか。
  パリ五輪での日本の活躍である。
  獲得したメダルは計5個。前回までの総メダル数が3個だから、
  驚異的な躍進だ


 ▼強くなった要因は何か。
  調べてみると、2000年五輪の惨敗が転機になったと知った。
  海外からのコーチ招聘や長期合宿、指定選手への強化費集中投下など
  大胆な改革に踏み切ったことが奏功した。

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 ▼今大会、男子団体ではフルーレで
  本県の敷根崇裕、永野雄大の両選手が初の金獲得に貢献。
  エペでは見延和靖選手が銀に輝き、東京大会の金に続いて表彰台に上がった。
  寅雄も出身地から3人の金メダリストが誕生するとは、さぞ驚いているに違いない
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 ▼とりわけ、リザーブだった永野選手の戦いぶりは圧巻だった。
  決勝で初出場したにもかかわらず、5連続ポイントで試合を決定づけた。
  いまの日本の層の厚さを示す証しである。
  かつて寅雄がまいた種は成長を続け、
  競技発祥の地、花の都パリで見事に咲き誇った。
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更に競技人口が増えていきそうだなあ~!