先日、以前から気になっていた佐々木常夫さんの『部下を定時に帰す「仕事術」』を読んだ。未だ部下を持つ身ではないものの、自分自身の「仕事術」として何かを掴みたかったからだが、その後ひと月以上経ち、果たしてその効果は出ているだろうか。
さて、この本の中で梯久美子さんの『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道』という本が紹介されていた。佐々木さんの本を読んで数日後、近所の書店でこの本を偶然見つけ、すぐに購入した。
数年前、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』という映画が公開されたが、まったく関心を持っていなかった。この『散るぞ悲しき』を読むまで、栗林中将はじめ、硫黄島で戦った人々に思いをはせることはなかった。だがこの本を読み、自分の無知を恥ずかしく思うと共に、行く先に死以外の選択肢がない中、いかに自分たちの命を平和のために使うかということを考え、部下に「潔い死」を許さず、最後まで部下のモチベーションを維持し続けた栗林中将の人となりを今さらながら知ることができたことを嬉しく思った。
無理な戦局拡大が、第二次世界大戦での日本の敗因というのを、最近のテレビドキュメンタリーなどで知りつつある。学校ではこうした教えられなかった。明治維新以降の日本が歩んできた道は、歴史的な評価が固まっていないという理由で教育対象から外されているのだとしたら、僕らは歴史認識においても「ガラパゴス化」してしまうかもしれない。
栗林中将は、戦前にアメリカに留学し、アメリカの国力や市民生活を理解していたからこそ、敗戦を覚悟し、さらに自分たちの舞台が硫黄島でどのような戦いをするかを徹底的に考え、戦ったという。中枢部が何も知らずに精神論で作戦を指示し、後方支援すらままならないという状況は、まさに「ガラパゴス化」の最たるものだったのかもしれない。
とはいえ、こうした知識は「今戦ったらそんな戦い方は絶対にしない」というためでは決してなく、「いかにして戦争を回避し、平和を維持するか」に注ぎ込まれるべきものだ。
戦後65年目の終戦記念日に、改めて「平和を守ること」の意味を考えてみる。
さて、この本の中で梯久美子さんの『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道』という本が紹介されていた。佐々木さんの本を読んで数日後、近所の書店でこの本を偶然見つけ、すぐに購入した。
数年前、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』という映画が公開されたが、まったく関心を持っていなかった。この『散るぞ悲しき』を読むまで、栗林中将はじめ、硫黄島で戦った人々に思いをはせることはなかった。だがこの本を読み、自分の無知を恥ずかしく思うと共に、行く先に死以外の選択肢がない中、いかに自分たちの命を平和のために使うかということを考え、部下に「潔い死」を許さず、最後まで部下のモチベーションを維持し続けた栗林中将の人となりを今さらながら知ることができたことを嬉しく思った。
無理な戦局拡大が、第二次世界大戦での日本の敗因というのを、最近のテレビドキュメンタリーなどで知りつつある。学校ではこうした教えられなかった。明治維新以降の日本が歩んできた道は、歴史的な評価が固まっていないという理由で教育対象から外されているのだとしたら、僕らは歴史認識においても「ガラパゴス化」してしまうかもしれない。
栗林中将は、戦前にアメリカに留学し、アメリカの国力や市民生活を理解していたからこそ、敗戦を覚悟し、さらに自分たちの舞台が硫黄島でどのような戦いをするかを徹底的に考え、戦ったという。中枢部が何も知らずに精神論で作戦を指示し、後方支援すらままならないという状況は、まさに「ガラパゴス化」の最たるものだったのかもしれない。
とはいえ、こうした知識は「今戦ったらそんな戦い方は絶対にしない」というためでは決してなく、「いかにして戦争を回避し、平和を維持するか」に注ぎ込まれるべきものだ。
戦後65年目の終戦記念日に、改めて「平和を守ること」の意味を考えてみる。