戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

7/28 その3  お父さんに赤紙が来た

2010-07-28 15:34:57 | Weblog
職業軍人は別として、出征兵士に給料は来るのだろうか。いつも疑問に思っていたが、誰も話題にする人もいなかったという事は、いくらか出ていたのだろうか。私の父はもう、絶対召集はこない、と云う30何歳かの時、赤紙が来た。それほどに兵隊は足りなかったのだ。
もう、その頃はうちでも従業員だって1人もいなかった。みんな、戦地に行ってしまった。召集されたあと、母1人で7人の子を抱え、おばあちゃんにつかえ、給料がなければ食べていかれない。その頃は現金商売で預金が有ったなんて聞いた事ないから、多分、いわゆるその日暮らしだったのではないかと思う。私は小さかったから出征の日の事も何も全くわからないが、ある時、誰からか連絡が入り、父の部隊が何処かへ行く途中、下町の方を通り30分の休憩があるので大急ぎで風呂を沸かしておいて欲しいとの事。母は大急ぎでお風呂を沸かした。そしてやって来た父の汚い事!!母はせっせと背中を流したと言う。又、お風呂を沸かす時も父の背中を流す時も背中に末っ子を負ぶっていた。あの時、兵隊さんの苦労を知らない姉は「お父さんてわがままだな」と思ったそうだ。「あんなに出た垢、見たことない」とお母さんが云ってたよ」と姉がいっていた。今は30歳を過ぎて新兵さんになった人の苦労はわかるから姉だってそうしてやったろうと思う。
「でも、あの部隊の中でお風呂に入れたのは多分お父さんだけだったんじゃあないかな」と姉は云っていた。私も同感だ。その時の私は、というと、おふろに入るなんて知らなかったので下町にいけばお父さんに会えると思って急いで行ったら、誰もいなかった。30分のお休みで解散したあとで結局私は会えなかった。

 

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