戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

22/10/22 その2  パソコンのお勉強が終わった。

2010-10-22 19:45:17 | Weblog
 もう7時半。私も帰らなければ・・・今日は疲れた。お医者さんに寄って東武で買い物もした。歩くのが運動なのでそれは良いのだけれど、デパートは広いしお医者さんまで2回も往復すると大分疲れたような気がする。明日は5時半に店を閉め、明後日の群馬の法事の用意もしなければならない。今日は私の家の祖先の写真集を電子書籍に掲載した。今生きている人はひとりもいない。でも、私は殆ど覚えている。私の生きているうちに3歳の頃から覚えているだけの事を電子書籍に載せたい。終戦までばっちりと覚えている。そんな化石のような人間は少なくなったと聞いている。覚えている間に全部吐き出していく。来週から始めます。相当長いけれど私の文章は読みやすいのでお待ち下さい。“関東地区関東地区空襲警報発令、B29の大編隊が・・・なんていうのもあります。そんなに長いのはないし、短文の集まりです。乞うご期待・・・

22/10/22 薬を持っていなかったばかりに・・・

2010-10-22 16:55:27 | Weblog
昨夜は慌てた。6時半コロになって薬の袋を除いた。薬はいつも余分に置いてあるが、このニトロだけは何処で処方されたのか10錠ほどあった。狭心症と脅かされて必ず持って歩いている。でも狭心症ではない。そんな痛みに襲われた事はない。私の胸はみぞおちの所で5秒ほど痛いといったら狭心症といわれた。心電図を撮った時は狭心症の薬は出なかった。何か心配な時は舌下錠を入れてしまっていた。本当は必要ないのに・・・この前、記念病院でCTと心電図を撮っても何ともなかったのに1度脅かされるとこんなふうになってしまう。ニトロが無いと落ち着いていられない。昨夜はそんな事で気がついたらニトロが無かった。それで店を閉めるが早いか家に帰ってしまったというわけだ。今日もお医者さんに行ってきたが何とも無いという事でめでたしめでたし・・・