Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

ハンカチ王子の全国制覇/三島由紀夫とか村上春樹とか/口内炎/オートマチック言説とバランス言説

2006-08-22 07:28:58 | 雑記
高校野球、夏の決勝戦は素晴らしい試合で、決勝再試合の昨日は最初から最後まで全部見てしまった。白熱した好ゲームだったが、結局スタミナのある方が勝った、ということだっただろうか。青いハンカチの斎藤投手が最後まで投げきり、最大のライバル・駒大苫小牧の田中投手を三振に切って取って優勝を決めた。高校野球というものを見ること自体が久しぶりだったのだが、一昨日の延長15回引き分けの試合といい、昨日の再試合といい、野球の面白さ・勝負の楽しさを存分に感じさせる素晴らしい試合だった。

試合後の態度、コメントも両校とも非常に礼儀正しく、そのあたりも今回は好感度が非常に高かったように思われる。私は最初ぼおっと見ていたときは「普通だ」と思っていたのだが、あとでテレビでみんな礼儀正しさを誉めるので、そういえば最近の高校生はこんなんじゃないなと改めて思い出した。高校生がみな彼らをモデルにして礼儀正しくやってくれれば日本は相当住みやすくなると思った。

斎藤投手はクールで表情も変えずに一昨日の延長15回や昨日の9回に147キロの快速球を投げる凄い投手だが、青いハンカチでときどき汗をぬぐうことから「ハンカチ王子」とネーミングされたらしく、まあそのネーミングには苦笑しつつうなずいてしまうが、早くも青いハンカチがよく売れているらしい。こういう話はなんとなく清々しくていいな。

***

昨日はやはり調子が悪く、特に歯茎の裏の腫れが気になってあまり何もできなかった。『福田和也の「文章教室」』読了。いろいろな小説やエッセイ、書評、自身の取材記録などが書かれ、なかなか面白いし勉強になるところが多かった。我々の世代の評論家は大学の先生でもあることが多いので結構そういう教育的な仕事も多く、それはそれでそれなりに面白い。

福田和也の「文章教室」

講談社

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夕方、とにかくと思い気散じに出かけ、丸の内の丸善で本を見る。「文章教室」で取り上げられたいたものを二冊買う。村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫、2002)と三島由紀夫『金閣寺』(新潮文庫、1960)。『金閣寺』は持っているかもしれないと危ぶんだが、持っていなかった。オアゾの地下で弁当を買って帰る。

金閣寺

新潮社

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帰ってから友人と電話で少し話す。腫れが邪魔でうまく話せず。夕食。これも同じく。疲れてしまう。『神の子どもたち…』を読む。面白い。筋に引き込まれる。妻がいなくなるというのは村上にほんとによくあるパターンだが、ノーマルなサラリーマンがいきなり釧路に行くという展開がなんとなく自分の今の気持ちにあっている気がする。夜8時前に就寝。

神の子どもたちはみな踊る

新潮社

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夜中に何度か目が覚め、いくつか野口整体の体操をやってみたり、水を飲んだり、汗を拭いたり。だいぶ疲れていたらしく、朝5時過ぎまで轟々眠った。気がつくと腫れが破れていた。あまり大きかったからわからなかったが、どうやら口内炎だったらしい。痛みが来る。やれやれ。なんだか起きるのが嫌だな、と子どものようなことを思ったら、なんとなく気が楽になった。気が楽になると起きる気になった。開き直るというか、自分に正直になるというか、そういうことが日常にうまく織り込んでいけないとどうも偏り疲労が大きくていけない。

***

「神社のロマンチシズム論」か。この問題は人間の文化というのがそもそもいかなるものかという本質的な問題に接続していくことだと思う。ひとり靖国神社や神社神道の問題ではない。他との比較なしにそれを「虚構」と切り捨てるのは妥当性を欠く(というか虚構性を含まないものが人間の文化にありえようか)と思うが、そういう論法はうさたろうさんや【な】さんに限ったことではなく、ある種のアカデミズムや社会風潮全体の傾向なので、ちょっとやそっとの頑張りでは「蟷螂の斧」だろう。

しかし逆に頑張りすぎてロマンチシズムオンリーの世の中になってもこれもまた私自身としても困るので、結構難しいところなんだよな。最近「格差社会」ばやりの世の中になってしまっているが、その先鞭をつけた佐藤俊樹が「平等主義・悪平等の行き過ぎの世の中だったから問題提起として言ったのに、逆に不平等を正当化する言説として使われてしまっている」と慨嘆していた。バランス欠いていることに憤慨して述べた言説が全く逆の方向にバランスを欠くようになる事態を招くということは、自分の職業経験の中でも良くあったことで、結構それは警戒している。

私はある思想を奉じてオートマチックに対応するタイプの言説には左右を問わず魅力を感じないので、まあ情勢と自分の理解や知見の成長に合わせて少しずつ意見を述べていくしかないのだろう。「人を見て法を説け」とお釈迦さまはおっしゃったが、情勢が刻々変化する現代社会で、誰が読むかわからないブログでそれをやるのはなかなか難しい。

もちろん、人として生まれたからにはその言説もオートマチックもバランスも超えたオリジナルなものに育て上げたいと思う。それに対しても「オリジナル信仰」という非難はありえるが。







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高校野球決勝戦/『福田和也の「文章教室」』/アメリカ型リベラル……?

2006-08-21 09:20:26 | 読書ノート
昨日。相変わらず調子が悪い。腹の具合は収まっているのだが、歯茎の裏が腫れてきた。なんだか夏の疲れがいろいろな形で出ているらしい。万全の体制で仕事をスタートさせたいのだが、なかなかそうも行かない。だましだまし何とか軌道に乗せなくては。

高校野球決勝戦、凄い試合だった。途中から見たのだが、結局延長15回まで全部見てしまった。両投手が凄い。駒大苫小牧は不祥事の連発から選抜辞退を招き、ずいぶん大変だったようだが、それを乗り越えての決勝進出、実力もそうだが精神的なタフさにかけては素晴らしいものがある。北海道出身の人たちも一生懸命応援しているが、それは選抜辞退というどん底から立ち上がったということも大きいだろうと思う。対する早実。共学になったとは知らなかった。国分寺に移転してからなのだろうか。名実ともに東京西部の学校になったという感じだ。あのごちゃごちゃした早稲田近辺、最近行ってないけどどんな感じに変わったのだろう。

最近高校野球に興味を失って全然見ていなかったが、今回の決勝戦は感銘を受けた。試合のレベルも高いし精神力も凄い。引き分け再試合で今日また試合、というのは相当辛いと思うが、選手の将来性も視野に入れつつそれぞれのベストを尽くして好試合を行って欲しいと思う。

***

夜になってから町に出かけ、駅前の本屋で福田和也『福田和也の「文章教室」』(講談社、2006)を買う。作家志望の人のための小説案内という感じで、なかなか面白い。福田という人が実は繊細なセンスの持ち主だということがよくわかる。

福田和也の「文章教室」

講談社

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福田は日本の文芸評論家の中で数少ない村上春樹を高評価する人なのだが、村上について一言で言ってしまえば愛とか恋とか魂とか懐かしさになってしまうけれども、いまだ名づけようのない、「なぜかはわからないままに涙が出てくる」、「超越的な」感情を表すのがうまい、と述べていて、なるほどうまいことを言うなあと思った。「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない/決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ」というのはブルーハーツの『リンダ・リンダ』だし、「かたじけなさに涙こぼるる」といえば西行だが、そういった感情というのはユニバーサルなもので、確かに村上はそれを描くことに成功しているし、日本の批評家の多くはそれをとらえることに失敗している、と思う。こういう感じ、というもののうち日本ローカルなものを描く人もそうはいないけど、まだわかりやすいと思うが、村上の描くものはもっと世界に開かれている感じがする。イシグロやル・クレジオ、クッツェーといった最近読んだ文学者にもそういうものを感じる部分があるし、そういうものがある作品が私は好きだなと思う。

ただこういうものはあまり生々しいと食あたりを起こす感があり、実は結構村上はこういう部分に関しては生々しいと思うのだが、それは福田が述べているように「大切な人を自殺に追い込んだ世界」、「ある種の人間の内部にある汚さ、邪さ」を持つ「世界に挑戦するために小説という武器を磨いている」という動機がかなり明確に現れているからだろうと思う。そういう意味では村上はかなり自覚的な「精神の革命運動家」なのだ。

私などは村上が否定しようとしている「汚さ、邪さ」を持つ人物と設定されがちな「旧日本軍人」とか「警備員」とか「警察」とかいう人たちがそういうステロタイプで攻撃されることへの憤りのようなものを逆に持っているので、『スプートニクの恋人』などもそういうシーンはちょっとなあ、と思ったのだが、まあ矛先はステロタイプに過ぎるにしても言いたいことはわからなくはない、とは思う。こういうことが読み込めるというのはやはり福田が日本文学に偏らず相当幅広く読んでいるということの証左でもあるし、私は改めてこの批評家を見直した。

そのほか、江国香織や川上弘美、柳美里など私の読まない種類の作家の魅力もうまく現してくれてあって、読んでみようかなという気にさせる。この人、仕事の手を広げすぎだが、こういうジャンルに限れば現代の日本の文壇では圧倒的な筆力を持っているのではないかという気がする。読みかけ。

***

靖国「問題」について【な】さんからコメントを戴く。【な】さんは以前これもまた靖国「問題」について書いたときに「産経文化人」というレッテルを貼っていただいたことがあった。さすがにそれは毛沢東にトロツキストというようなものだろうと(たとえは忘れたがまあ竹中平蔵をケインジアンと呼ぶでもいい。何だって一緒ですが)思ったが、なんというか、私などの普段議論しているところのナナメの異空間というか、私などにすると「ねじれの位置」くらいから話しかけてこられるのでなかなかお返事が難しいなといつも思う。しかしそれもまた勉強であろうから、ちょっと対応させていただきたいと思う。

【な】さんの立ち位置が私などにはよくわからないのだけど、ご自分では「アメリカ型リベラル」とおっしゃっておられる。うーん、だからといって中絶賛成とかアファーマティブアクション賛成とかを言いたいのではないと思うのだが、アメリカ人のリベラルといっても千差万別だからイメージがつかめない。

「左翼」というもののとらえ方もかなり違いがあるようで、私自身も90年代の半ばにはキャンパスに出入りしていたので私なりのとらえ方があるけれども、「左翼」は一部の教授連くらいで、(私は文学部だからほかより率は高いかもしれない)島田雅彦の言うところの「サヨク」くらいの人もまあまあいただろう。「リベラル」というのはずいぶん無定形な言い方で、まあそのくらいのレッテルなら安心、というくらいの感じだけど、実質は「ノンポリ」ということではないだろうか。右とか左とかのレッテルを貼ること自体に無理がある人たちが80年代も大多数だったし、それは今でも変わらないんじゃないかと思う。アメリカの左右分けと違って、日本の場合は個人的な倫理があまり左右の基準に入ってきていないと思う。性行動とか教会に行く習慣の有無とか、アメリカの左右の基準で日本をはかるのは相当無理がある。

「ソ連=バラ色」型の人たちを「化石左翼」と形容しておられたが、なんと言うかな、私の感覚でもリベラルとか90年以前の心情左翼というようなひとたちは「アメリカよりはソ連の方がまし」的な感覚を持っていた人はそれなりにいたと思うし、その辺は時代感覚のずれかもしれない。「ソ連=バラ色」モデルというと形容がきつすぎるということかもしれないけど、まあつまりは伝統の保持の方に望ましい未来像を描くのではなく、「社会主義的な理想主義」のかなたに明るい未来を見出す人たちといってもいい。おそらくその辺の違いに対するこだわりの感覚には大きなずれがあるから、まあ【な】さんの「おいおい」もそのあたりから来ているのかなと思う。まあ「私は【産経文化人】なんかじゃないぞぷん」、くらいのという心外さであろう。

ただ「アメリカン・デモクラシー」という理想軸は80年代の自分には多分存在していなかった(ヨーロッパと西アジアくらいしか見てなかったからなあ)から、まわりにアメリカ志向の人がいても「奇妙なもの」にしか見えなかったし、その点で思考が偏っていたかもしれません。正直言ってアメリカというのは「嫌な国」であったし、研究もあまり進展していなかった。それは多分今も同様で、「アメリカの本質」のようなものが十分に感得できるような研究はまだ十分なものがないのではないかと思う。私もソローやスタインベックなどを読んで「アメリカという問題」について考えようとは思っているのだけれど、まだ十分には理解できていない。ただ世界最大の覇権国家のことを十分に理解しないままコバンザメのようについていこうとするのは危険なことだと思っています。

靖国神社の魅力というか良さを書いた文章について「新興宗教の信者が本尊を祀る総本山に対して語る熱い言葉とどれほどの違いがあるのだろうか」と書かれているが、まあなんというか魅力というものを理解してもらうということは難しいことだなと改めて思った。私としては「あののんびりとした、北海道から沖縄までの方言が飛び交うゆったりとした雰囲気」なんていう描写は「壊滅前のニュー・オーリンズのバーボン・ストリートではジャズやソウルミュージックの真髄に触れた感じがした」、くらいのノリで書いたつもりだったし、私も含めて靖国神社にはものすごく強い先入観がある人が多いだろうから、多分一度行っただけではそのよさはわからないだろうから続けて何回か行けばわかるんじゃないの、くらいに書いたつもりだった。まあ「信仰者の滑稽さ」を感じ取ろうとして読もうとすれば十分に読める文章かなとは思うが、まあそれは「ナナメ上」からの読み方だというべきだと思う。

それよりそうかなるほどなあ、と思ったのは、「新興宗教の信者」というものに対するステロタイプな感覚だった。私には友人にも親戚にも何人もいわゆる新興宗教の信者がいるし、彼らの信仰も自分が入信したいとは思わないが、ある程度の魅力を感じるものもある。自分は特定の信仰を持ってはいないが、先の村上春樹のところでも書いたように、「何か超越的なもの」に対する感覚はかなり強くある。だからそれを経由すればある程度はアメリカのエヴァンジェリストも理解できる気がするし、イスラムやユダヤについても全然わからないというわけでもない。

金日成や金正日に対する個人崇拝というのは私も理解を超えているというか、ちょっと勘弁して欲しいとは思う。またいわゆる「カルト」の信者、つまり洗脳の結果生き方のバランスを失しているような人々は共感というより痛々しさを感じるし、早く現実世界に戻って欲しいと心から願わずにはいられない。

アメリカ型リベラルというのがどういうことなのかよくわからないけれど、たとえばデモクラットの人たちと似た考え方、ということだろうか。私がアメリカに行ったとき、20代から50代くらいのデモクラットの人たちが集まって四方山話をしていたとき、「そういえばあいつ誰だっけな」とかいう話を始めて、何の話かと思ったら「海を二つに分けたヤツ」とか要するに聖書にでてくる人たちの話を始め、「あり得ねー」とか「笑える」というような話をしていたのだった。私の英語力では理解し切れなかったのであとで確認したのだけど、ああこの人たちの信仰に対する感覚というのはこんなものなんだなと思ったことがある。

無神論、というところまで話しが徹底すると、それは欧米的な理解ではナチスとかコミュニズムということになってしまうが、アメリカンリベラルというとそれに限りなく近い(特にエリート層は)という感覚がある。立花隆『宇宙からの帰還』にも宇宙飛行士の中に、「自分は無神論者なのだがインタビューでそういうとまずいからどう言ったらいいか」というアドバイスを求める話が出てきて、「僕の家族はバプテストの教会に行っている」とか、「昔は日曜学校に行ったけど、最近はあまり教会には行ってないなあ」と答えれば良いという話が出てきていた。

宇宙からの帰還

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まあなんというか、自分は特定の信仰を持たないまでも、人の信仰というものについてはある程度あたたかい理解を持ちたいと思うのだが、その辺も異なっているようだなあとは思った。

「国」というものの動的な創造過程と「ロマン」の緩やかな縛りという話しはもちろんわからなくはない。たとえばインドネシア国家の成立などについては、そういうことは確かにいえるだろうと思う。アメリカ国家についてももちろんだけど。日本国家についても、本州・四国・九州以外の地域を統合していく上で、また国内的な近代化の過程でそういうものが必要になったということはもちろんある。ま、万世一系とか天壌無窮とかのロマン(といっていいかどうかはわからないが)に絶対的な価値を置こうというのが国体論であり、日本的なロマンを遮断してメイフラワー契約的なバタ臭いロマンを基礎にしようとしたのが日本国憲法ということになるのだろうけど、まあどっちに魅力を感じるかといえば少なくとも後者にはあまり魅力はないのではないか。私自身、国体論に絶対的に寄りかかれるかというとそんなことはない、ということは何度も書いているけれど。

しかしなんというか、「ちなみにオレ自身は首相の靖国参拝云々やA級戦犯云々ということより、靖国の存在自体にそもそも激しく否定的でありまして、日本人の魂のふるさとだなんて、ちょっと冗談はよしてよ、としか言いようがない」というのを読むと、自らを「アメリカ型リベラル」と公言する人に「日本人の魂」についてとやかく言われるのはなんだかなあ、と思ってしまうのは私だけでしょうか。

ポストコロニアルというけれども、日本もやはり実質的なアメリカ植民地のポストコロニアル状況にある、というか、今も現実的には植民地なのかなと思ってしまいます。ポストコロニアル作家としてもっとも典型的なサルマン・ラシュディはインドのヒンドゥー文学を否定して(あくまで受け売り)英語文学の世界性を主張しているけれども、なんだかちょっと無作法な感じがしてしまうのと同じような感じがするのですが。

いずれにしても、かけ離れた分野、かけ離れた文化背景の方と議論するのは難しい。同じ対象と言語的には同定されるものを見ても多分全然違うように見えてるんだろうなあと思いますし、まずはその差異を埋めていくのが重労働です。

ただきっと、私の文章を読まれている方の中には相当かけ離れたバックグラウンドをお持ちの方もあるでしょうし、たまにはそういう言う努力も必要かと思い、書いてみました。まあなるべく意図するところをお汲み取りいただきながら読んでいただけるとありがたいのですが。





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靖国神社、若者の保守化、左翼の低潮化、とか。

2006-08-20 12:58:13 | 時事・国内
昨日は調子を崩し、これということもしないまま一日が過ぎていった。暑い暑い一日。調子がいいときはこういう日も割りと簡単に乗り切れるのだが、調子の悪いときには辛い。そういう意味では、この調子の悪さも夏バテの一種なのかもしれない。短い夏だが、まだしばらくこういう気候は続くだろう。

靖国「問題」から加藤氏宅放火問題。今日の日曜朝の番組をちらちら見ていても、なんだかあまり本質的な議論に踏み込まず、単なる政争のネタに陥れられていて、全然見る気がしなかった。小泉首相・安倍官房長官は「夏休み」ということでほとんど表に出てこず、小沢・加藤・谷垣といった脇役の人たちがちょこちょこ言いたいことを言っているという感じだが、どれもこれも迫力なし。麻生外相も、この際一気にモスクワに飛んでプーチンに漁船乗組員帰還を申し入れるくらいのことをしたら気合が入るだろうに。山中さんも国後まで行ったのに漁船員に事情聴取をしなかった(したけど伏せているのかもしれないが)のはどんなものなんだろう。

ジョンベネ殺害、容疑者の妄想説まで出てきていてわけがわからない。相変わらずアメリカというのは変な国だ。テレビ局が狂想曲を演じているのは日本とあまり変わらないが、なんとなくその性質も日本とは違っていて、セーラムの魔女の話をなんとなく連想した。集団ヒステリーというのも国民性が現れるんだなという感じ。

大相撲台湾巡業の盛り上がりが凄い。どこでも女性ファンに囲まれたり、奥さんと店から出て来たところを激写されて不倫疑惑になったり、大騒ぎ。良くも悪くも日本が好きなんだなあと言う感じ。

***

いろいろな人々のコメントに刺激されて靖国「問題」についていろいろ書いてきたが、うさたろうさんに話に付き合っていただいて、結構普段問題として取り上げられにくい、つまりタコツボ的にそれぞれのサークルで語られている問題について見解が出し合えたのは収穫だったと思う。ただ、こういう問題が普段語られにくいのは、それぞれのサークルの中では自明のことであるからで、違うサークルに対して改めてサークル外にも通じる一般的な言葉で語ることは結構難しく、瑣末な事実についてぶつけ合い、挙句の果てには非難中傷合戦になるということを避けて真摯に語り合うという機会はあまりにない。私は右系の集会にも左系の集会にも出たことはあるが、こりゃお互いに立場の違う人には受け入れられないなと感じる言説ばかりが飛び交う。

よくそれを自慰的というけれども、結局異種格闘技戦というのはルール自体の設定が大変だから成り立ちにくい。日本国憲法をどう位置づけるか、というのはそれを戦後社会で当たり前のように受け入れてきた我々の世代にとって、完全に相対化してその是非を論じるのは相当の荒業である。相対化すること自体も難しいが、枠組内にいる人たちに対してその議論を理解してもらうことは福音派クリスチャンに仏教の悟りについて説明するようなものだ。

それでも靖国「問題」というのはその対立がわかりやすく現出する「問題」であるので、ある意味リーズナブルなのかもしれないという気がした。これは南京事件をめぐる対立などと違い、事実をめぐる争いではない。あまりに捏造と虚偽とが溢れ返って何が真実なのかちっとも分からない「戦場の真実」よりも、もっと思想的な次元での議論の方が、ある意味有意義であるように思った。

いわゆる「若者の保守化」の問題については私自身あまりよくわからない。まあ私の場合は無批判に「頼もしいこと」とみている面もあるが、ネット出現前の左翼言説が圧倒的だった時代とは違い、保守的な言説を自ら選び取れるようになっているという状況変化はあるだろう。もちろん冷戦構造崩壊による「理想としての社会主義」の消滅ということも大きい。「理想社会としてのソ連」という見本がなくなれば、中国も北朝鮮も「国家として目指すべき理想」とは程遠いことが明らかになってきていて、中国の存在も「ソ連とは違う真実の社会主義を目指す理想的な国家」ではなく、「日本を恫喝する危険な一党独裁大国」でしかなくなっている。

つまり、「社会主義国=理想国家」というバラ色のフィルターが跡形もなく消滅した今、左翼=社会主義と彼らが唱導するインタナショナリズム=平和主義とは単なる「お題目」に過ぎなくなっていて、説得力の根拠を失っているということがあるだろう。「平和勢力であるはずの北朝鮮」が実は「中学生を拉致する非道な破綻国家」であったという衝撃は、左翼陣営の人が考えている以上に強烈なインパクトを日本人に与えたのではないか。この事実が動かせない以上、左翼が若者を吸収できないのは当然だと思うし、「若者の保守化」は要するに敵失によって受け皿のない層がなんとなくそっちに流れているに過ぎないのではないかという気もする。

どちらにしても、「日本をよい国にしよう」というアピールにおいて、今のところ保守の側の方が成功していることは事実だし、左翼の側もそれを正直に認めて、その矛盾を突くだけでなく、左翼的な観点からの「日本をよい国にしよう」というアピールをもっと練り上げて訴えていかなければならないのだと思う。ブレア労働党政権が「クール・ブリタニア」を訴えて成功した例もあり、それは不可能なことではないと思う。ヨーロッパにおいてこれだけ社会民主党勢力が力を持っているのに、日本ではこのような惨状を示しているということは、やはり左翼勢力内部の問題であることは絶対に自覚する必要がある。私は左翼勢力に与する気はないが、「健全な野党」としての社会民主主義勢力はあってしかるべきだと思うし、もし日本の保守が堕落している部分があるとしたらそういうものの欠落に由来しているのだと思う。

「小泉が内容のない言説で馬鹿な大衆を操っている」、といくら言ったところで大衆がついてくるはずがないではないか。ブレアがやったように、左翼自身の構造改革、意識改革が必要なのだ。

戦前に対する評価の対立は、まあ予想したことでもあるし、これ以上あまり書いても仕方がないと思うので多くは書かないが、考えるべきは「なぜ政府による言論統制が成功したか」という認識の問題だと思う。有体に言えば、「国民が支持したから」成功したのだ。いわゆる知識人たちの言説が現実と相当遊離していたのが大きな問題だろう。昭和10年前後の「文芸復興」というのは共産党壊滅によるプロレタリア文学の低潮化に伴って文学者が政治に縛られずに自由にものを書けるようになった、という安堵感の表れといってよいと思う。戦時色が濃くなるにつれて非常時であるという理由から言論統制が行われているが、これは別に日本だけのことではない。アメリカ議会で真珠湾攻撃の後、たった一人で宣戦布告の決議に反対したジャネット・ランキンに対して強い圧力がかけられたように、世界中どこでもそういうことはある。もちろんそれも程度問題ではあるが。

私としては、一概に「戦前=悪」と決め付ける硬直した思考ではなく、そこにどこか取るべき所はないか、現代がそんなに素晴らしい時代なのか、ということを読む方に逆説的に考えてもらうきっかけになればそれで十分である。

靖国神社に対する認識の違いももちろん予想通りなのであまり書いても仕方がない。私は観念上の議論というよりも、現実の靖国神社によくおまいりに行くので、そこで感じたことを元に書いている。もちろん靖国神社がある意図を持って作られた近代的な神社であることは間違いない。近代というのは「日本国民」自体を創設した時代なのだから、その必要によって「新たな伝統」として創出された神社であることはその通りである。中国や韓国が靖国神社の存在そのものに(いわゆるA級戦犯の合祀に関わらず)反対なのは、近代日本の存在そのものを否定しようとしているからである。それに付き合ってやる義理はない。明治維新そのものを否定し、徳川政権復活を願うなら話は違うかもしれないが。

まあそういう枠組的な話に行くとまた面倒なのでやめるが、その結果靖国神社が全国から参拝者を集め、慰霊の地になっているという現実が大事なのであって、あののんびりとした、北海道から沖縄までの方言が飛び交うゆったりとした雰囲気はほかに替えがたい物がある。日本には近代国家というものが必要であったのであって、そのために倒れた人々が確かにここに鎮まっているという、その感覚そのものが貴重なのだと思う。多分それは、行事のない時期に一週間連続して参拝し、境内を無目的的にぶらぶらすれば言いたい感じは分かっていただけると思う。いや、別にそうしろという訳ではない。

私が育った環境とうさたろうさんの育った環境というのは、似ている面もあれば似ていない面もあるという感じかな。今回伊賀伊勢に旅行してみて、あの地方は私の郷里の長野県に比べて、確かに保守的であるということは強く感じた。その地で小学校から高校まで育ったということが、私自身の自然な保守的な感覚のバックボーンになっているのではないかと感じたものである。高校3年のときに長野県に転校し、そこでは回りが相当進歩的・社会科学的な考えを持つ人が教師生徒を問わず多くて、ずいぶんモダンな感じがしたものだ。大学で東京に出てきても実際にゆるいけれどもセクト的な活動をしている人たちとも多く友達になったりしたので、左翼的な思想を面白がったりしていた時期も結構長い。

だから私にとっては現在の考え方は自覚的な保守回帰なのだと思うし、うさたろうさんもまた自覚的に現在の考え方を身につけられたのだと思う。相手の手の内がある程度わからないとこういう議論はあまり意味のあるものにならないが、表面的な意見のぶつけ合いに留まらずある程度咀嚼しながら議論できたのはよかったと思う。

なんというか、私としては、やはり日本がもっともっとよい国になってくれればいい。そのための議論であるならば、多少腹が痛くなっても頑張りたいと思う。

それにしても昨日は854ページヴューもあったらしい。4桁目指して頑張るか。





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言論テロと知の階級闘争/四谷大塚を東進ハイスクールが買収

2006-08-19 12:20:10 | 時事・国内
昨日深夜帰京。帰ってきてネットでいろいろやっていたら3時過ぎになってしまい、なぜか猛烈な腹痛を覚え、5時くらいまで苦しむ。もう明るくなっていた。目が覚めたら1020分で、だいぶ寝られたので休まったが、腹の中は空っぽだ。とにかく水分を取らなければとお茶を飲んでいるが、ご飯を食べるのはちょっと勇気がいる。夜中にかなり集中してものを書いたせいかもしれない。困ったことだ。

深夜に書いたことについてつらつら苦しみながら考えたりしたことが二つほど。私など1960年代生まれにとって、テロというのは「過激派」のやることである、という印象が強いのだが、もっと下の世代になるとそれは「外国」のことであったり「戦前」のことであったりするんだろうなあということ。そういう感じ方の違いというのは世代ごとに大きいのかもしれない。もちろん実際には野村秋介らに代表される新右翼の「肉体言語」としてのテロ活動はあったのだが、まあそれも相当下火になっている。実際、学生時代にはそういういわゆる「過激派」の人たちと会話したことはあっても「右翼」の人たちとの会話はあまり記憶にない。今回の件で「戦前」に話が飛ぶのはちょっと飛びすぎだと私には感じられ、一般には必ずしもそうでもないらしいということには、そういう背景があるからかもしれない。

テレビをちょっと見ていたら猪瀬直樹が今回の事件の量刑をきちんとしなければいけない、ということを言っていたが、それはその通りだと思う。どのような形であれ動機であれ、テロリズムが市民社会、法治国家に対する重大な挑戦であることに違いはない。動機に共感することが例えあったとしても、量刑で斟酌があってはならないだろう。確かにこの点においては、戦前の一連のテロリズムにおいて、それが表面化した最初の5・15事件の量刑が極めて軽いものであったことは後々に尾を引いている部分はあろう。逆に関東大震災における大杉事件で、甘粕に対しての量刑が陸軍側にかなりの不満を残していたことなどあり、こうした事件の量刑というのは難しい面があり、誰もが納得のいく判決というのは難しいが、特例的な判断があってはならないだろう。政府も、政治テロは決して容認しないという姿勢は示してしかるべきである。事件の全容がある程度明らかになったら、そうした声明を出すべきだろう。

佐藤卓己『言論統制』(中公新書、2004)などを読んだときも感じたのだが、こうしたテロや腕力、暴力による言論封殺という事象については、「『知』の階級闘争」という側面がどうしても現前するということがある。つまり攻撃される側が「鼻持ちならないインテリ=知の資源の大所有者」であり、攻撃する側が「知の資源の少ない『庶民』」であるという形である。こういう形が成り立ってしまうと、階級闘争的に「弱者」である暴力者のほうが幅広く支持を集める可能性があるのである。しかしたとえばナチスなどは反知性主義とよく言われるが、現実には知識人もナチスを信奉した例が多いように、もっと巧妙であったと思うのだが、日本の軍人たちはどうも階級闘争的な怨念をそのままもろに知識人にぶつけたように思う。そしてある意味、その構図は現在でも変わっていない部分があるのではないか。

言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家

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日本の知識人は普段は大衆万歳主義なのに、こういう事柄になると大衆蔑視になる傾向があるように思うし、だから大衆に信用されないということになりがちなのではないか。自らの教条も大事だろうが、本当の意味で人の話を聞く姿勢がなければ日本という文化風土において浮き上がった存在になってしまう可能性がある。「知の専制主義」には慎重である必要がある。

なんだかまた腹が痛くなりそうなことを書いてしまった。

そういえば四谷大塚が東進ハイスクールに買収されたらしい。私も学生時代と卒業後のしばらくの間、「四谷大塚に通うための塾」で講師のアルバイトをしていたのでこのニュースは感慨がある。しかしそれももう20年前のことだ。驚くが。

人材派遣会社で働くのも命がけなんだなというニュース。世の中楽な仕事はなかろうが、それにしてもこんなことで殺されるとは本人も周囲も思っていなかっただろう。こういう事件の被害者遺族が取り上げられることは少ないが、心からお気の毒にと思う。

昨夜駅から自宅に戻る途中で、『サッカーマガジン』8月29日号(ベースボールマガジン社)を買った。サッカーマガジンなど読むのはおそらく高校生のころに友人が読んでいたのを見せてもらって以来だろう。あのころはまだ日本リーグ時代でドイツではベッケンバウアーが現役だった気がする。こういう人間に『サッカーマガジン』を買わせるくらいには、オシムという監督は魅力的だと思う。







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靖国「問題」再論:「民主主義の倫理」と「声にならない叫び」/加藤氏宅放火は極めて「現代的」な事件

2006-08-19 03:07:40 | 時事・国内
一昨日の靖国参拝についての論考について、うさたろうさんからコメントがついた。うさたろうさんのブログのみについてコメントしたわけではないのだが、ほかからの反応がいまのところない(気がつかないだけかもしれないが)ので対話形式で少々お答えしたいと思う。前回は少し強めの表現になったが、真摯にお答えいただいて、感謝している。

まず「B層」についてだが、「加藤氏実家放火という事態を前にして、「ざまあみろ」「GJ」といったことを書き込み加藤氏の言論を否定するような連中は、新自由主義的政策を支持するのかどうかといった問題以前に、民主主義の原則を自ら掘り崩すことに何の疑問も感じないという意味で、市民としての基礎的な教養の欠落、下品さを感じざるをえない」ような「連中」は「B層とでも呼ぶしかない」という判断から「侮蔑的」にこの言葉を使った、といっておられる。

ちょっと「B層」の初期の定義からはかなりずれた使い方ではあると思う。いいたいことは分かる。「市民としての基礎的な教養を持たない下品な連中」という表現の「教養」という定義にはおそらく「民主主義倫理」が含まれているのだろうと思うが、私個人としては「教養による差別ニアリーイコール知能による差別」というニュアンスを排除するために、「教養」というより「倫理」という言い方をしていただきたい気がする。そう感じるのは私の教員経験から来るPC感覚だと思うが。

私も戦後民主主義に対して批判は持っているけれども、現代社会に生きる以上、いろいろな意味での民主主義倫理を持つことは必須であると思う。「ざまあみろ」とか「グッジョブ」とか言うのは論外だ。

ただ私は、そのような書き込みをする人間が普段完全に反社会的な人間かというと、必ずしもそうでもないのではないかと思う。それだけを見れば「対話の余地がない」と感じるのも当然だと思うが、彼らの発言、あるいは書き込みは「感情的」というよりも「論理が不自由」なのだ、と思う。彼らの中にはどこかで論理を獲得すると水を得た魚のように同じことを書きまくる人がかなりいることからもそれは了解されるだろう。もちろんその類の人間は左翼側にもかなりいる。現状では保守を称する側が目だっていることは事実だが。

そこまでひどい人間でなくても、「小泉首相の靖国参拝は支持したい」と漠然と感じている人々はたくさんいる。そういう人々の多くは漠然とそう考えていても論理的にはうまく言えない人が多いだろう。だいたい靖国問題でなくても政治的な議論で論争に加われるほど論理を駆使できる人が日本国民の何パーセントいるかといえば、寥々たるものだろうけど。しかし、この問題はかなりの部分純粋にイデオロギー的なテーマだから、語ろうとすれば相当な理論武装が必要だ。しかも現代に生きる多くの人々にはいわゆる自虐史観の呪縛がかなり強烈に働いているし、肯定する言説に触れるにはかなり意識して積極的に勉強しなければならない。したがって、論理で自分の主張を組み立てるには普通に生活している人にはかなり困難なことになる。

そうなると結局は誰かの受け売りをしたりネットの言説を借りてきたりして何とか説明するしかなくなるし、そういう人はリアルのわたしの周囲を含めてたくさん存在する。それは初期的に「B層」に定義された層に留まらないし、年齢的にもかなり幅広く存在する。

そうした人のたどたどしい主張は、確かにある種の痛々しさを感じることは多い。しかし、そのようにしてまで公人の靖国参拝を支持したいという思いを持つ人が増え、各層に広がりと深まりを持ちつつあるということは私の実感としてはある。それはやはり、「失われた日本らしさ」を何とか取り戻したいという切なる願いの現われなのだと思うのだが、悲しいかな何がその「日本らしさ」であるのか、あまりはっきりとわからなくなっているのだ。そういう意味では「靖国神社」というのはそういう「日本らしさ」の象徴としてかなりふさわしいものなのだと思う。

靖国神社は皇室や神話の神々を祭った神社ではない。一介の兵士たち、志半ばで倒れた多くの若者たち、家族を残して死んだ多くの軍人たちを祭った、いわば庶民の神社である。「別格官幣大社」というと偉そうに聞こえるが、これはほかには豊国明神と日光東照宮、つまり豊臣秀吉と徳川家康、つまり「皇族でない一般人を祭った神社」という社格なのである。そして靖国神社には全国の兵士たちが祭られている。日本中の庶民が神として祭られている社などほかに存在しないのだから。

そういう意味で靖国神社は、日本人の「心のふるさと」的な意味合いがもたれる部分が必ずあると思う。私は、靖国神社が時代とともに風化し、消え行くべき存在だとは思わない。

民主主義とは論理の戦いだから、言葉を、つまり論理をうまく使えない人間にはかなり不利な制度であることは議論する際に重々自覚すべきことだと思う。日本社会というものは基本的に近代的な意味での論理に頼って成立してきてはいないから、「民主主義」と「日本的なもの」との齟齬が完全になくなることはありえない。口の立つ人間には何でも許されるアメリカ的な社会はそういう意味では民主主義の典型だが、そのようには日本社会をしたくないと考える人は多いだろう。私もそう思う。

ただ、現代世界の主戦場が言論の戦いである以上、あえて論理による戦いを引き受けなければならない人間が一定数存在する必要があるのは確かである。もし「教養人」とか「知識人」とかが存在するのだとしたら、そういう義務が「彼ら」にはある。しかしすべての日本人にそれが強要できるかといえば、ちょっと難しいんじゃないかなと思う。北朝鮮による拉致被害者の家族を見ていて感動するのは、明らかに「庶民」といわれる層にある人たちが、懸命にその義務を引き受けているところにあるのだ。それに答える心意気がなければ、「知識人」や「教養人」である価値がない。

なんだか遠回りしたように思われるだろうが、つまりうさたろうさんのいう「B層」の中にはただ単に「未熟」である人たちもずいぶん含まれているのではないかと思うということになろうか。もちろん未熟だから許されるというものではないのも当然だし、未熟な言説が未熟なまま突っ走ると70年過ぎの多くのセクトのような無残なことになりかねない。このあたりの受け止め方は微妙なものがあるのだけど、私にはそういう声にならない叫びのようなものも受け止めたいという気持ちがあるということは書いておこうと思う。うさたろうさんもおそらくは、ほかの方面での「声にならない叫び」を受け止めたいという気持ちはお持ちのことと思う。

「思想の違いを勉強不足という表現にすり替えるのは不当だ」という私の主張について。上記のような対象に限定して言えば、確かに勉強不足の人間が多いことは事実だ。ただその指摘が彼らの耳に届くかといえばまず無理だろうと思う。まあそれはともかく、そういうすり替えをあまりに多く目撃してきたので、私自身うんざりしているのだ。逆に言えば、そういうすり替えがあまりに多いために、そういう人たちが聞く耳を持たなくなっているという面もあるのではないかという気がする。最近丸山真男の『日本の思想』を読んだのだが、これを読んで感動したのは、議論において丸山がそういうすり替えをせず、思想の違う人間の指摘や攻撃に対しても真摯に対応しているところなのだ。いつのころからかそういう悪習が常態化してしまったために、日本の言論はお互いに言いっぱなしで発展性もゼロ、共通の規範作りも全くなされないという体のものになってしまった。

まあうさたろうさんが指摘される人々に対し相当うんざりし怒っておられるのもまあ理解は出来るのだが。

「戦前回帰」について。うさたろうさんは「そうした「国士」や「義士」の“行動”を否定し、あくまで言論に依るべきだというのが民主主義社会の原則であって、現代の日本ではそれは尊重されているが、戦前の日本で必ずしもその原則が尊重されていたとは思えない。」と書かれているが、それに関しては異論がある。「極左暴力集団」と日本共産党も言うように、「革命」を唱える人々が暴力的であるのは事実で、「白色テロル」が目立つ局面ではあるが、「赤色テロル」は決してなくなってはいないし、「つくる会」が放火されたり教科書採択の際に教育委員個人に対して相当激烈な個人攻撃(「お前の孫がどうなってもいいのか」というような)がなされたことは事実で、99パーセント採択が決まっていた地域がそれでひっくり返った例もあった。加藤氏放火犯の行動の卑劣さは彼個人が右翼団体の構成員であるかどうかに関わらず、戦前の「義士」的ではなく、「作る会」放火犯の卑劣さに等しい。あるいはうさたろうさんの指摘する人々の未熟さ、卑劣さと同系統といってもいい。私はこれは極めて「現代的」な事件であり、これをもって「戦前回帰」と称するのは「戦前」の名誉のために断固として否定したいと思う。(だからといって全面的に「戦前」を肯定しようとしているわけではない。人間が生きている時代なのだから、どの時代だって不十分なのだ。ただ、「戦前」が「現代」より「よい部分」だってあったと私はおもうし、どんな時代からも学ぶ姿勢は持つべきなのだと思う。)

「なんとなくそうした“行動”が肯定され、地域のなかにも男女問わず“義挙”を賛美する風潮が強まっていく」と書いておられるが、今回の行動は何度も書いたがばかげているし卑劣であり、まともな人間でそんなものに肯定的なコメントを公式に出す人間があろうとは思えない。ネットの魔窟以外でそんなコメントがあったのだろうか。もしそうなら30年代云々ではなく、2006年が魔窟なのだと思う。

***

「民主主義」と「日本らしさ」というのは前にも述べたがどこかで必ず相容れないところが出てくる。日本の戦後民主主義は基本的には「日本国憲法」を教条とし聖典とするものだが、「日本国憲法」が「日本的(封建的と米側が考えた多くのものを含む)」なものを抹殺しようとした占領政策の総仕上げとして制定されていることは客観的(つまり議論の当事者としてでなく)に見ても正しいのではないかと思う。そしてそういうものとして「国際社会」にも受け入れられたのではないか。そうなると、日本人自らが救い出さなければ、「日本的なもの」というのは死滅していくしかない運命にあるのだと思う。それがもし「民主主義」というものと抵触することがあるとしても、そのときは私は「日本的なもの」の側に立ちたいと思う。翻訳された憲法が公布されて60年だが、「日本」はそれより遙かに長い期間存在し続けてきたのだから。伝統を失った国は、国として存続することは難しい。先にも言ったが、現代社会に生きる以上、極力民主主義の倫理に従うことは義務だということを前提にした上でそう思う。





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ジョンベネ事件容疑者逮捕

2006-08-18 09:56:09 | 時事・海外
ジョンベネ事件の容疑者が逮捕されたという。

私の記憶に間違いがなければ、あの事件のとき私はアメリカにいた。病んだアメリカの象徴のような事件だと思った記憶があるが、あれからもう十年。振り返って現代の日本のことを思うとぞっとする。

ジョンベネは父が億万長者で母がミスウェストヴァージニアという絵に描いたようなアメリカの勝ち組で、コロラドのボルダ―に住んでいた。ボルダーという町は私も知り合いの結婚式で行ったことがあるが、ロッキーの麓の美しい町で、かなり遅い時間に歩いても全然危険がないというアメリカでは珍しいのではないかと思うような町だった。そこで幼児虐殺事件が起こったのだから大騒動だったのも無理はない。

しかし6歳の子どもが飾り立てられてミニスターのようにおしゃまさんを演じるのを見て大人が喜ぶというのもかなり歪んだものを感じたものだが、十年経ってみると日本でもそういう感覚がほとんど麻痺している気がする。子どもを飾り立てるのが流行るだけでなく、なんというか慎み深い中産階級の質素で常識的な美徳というものが完全に崩壊しているということなのだろう。もう今ではジョンベネは奇妙なものというより、ただ単に幼くして幼児性愛の変質者に殺されたかわいそうな犠牲者でしかないのだが、当時はもっとその「育て方」への疑問があったし、だからこそ両親が疑われたりしたのではないかという気がする。

当時他に話題になっていたことといえば、1、2年はずれるかもしれないが、クリントンの「不適切な関係」だった。アメリカは当時確かに好況だったが、どうなってるんだこの国は、という感じがあった。あの奇妙な退廃的な浮かれ具合が、ほりえもんや村上ファンドのどこかねじが外れたようなありようとどこかで通じているものがあったんだなあという気がする。

十年経ってみて、この十年がどれだけ日本を変えたのか。中流の崩壊、というのは確かに大きい。

2006年という年は、なにかまだまだいろいろ動き出しそうな年だ。いいほうに動いてくれたらと思う。何がいいことなのか、いったい誰にわかっているのだろうとも思うけれども。




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失われた十年/いわゆる靖国問題とまだ見ぬ日本流サッカー

2006-08-17 09:31:47 | 時事・国内
昨日帰郷。お昼から親戚の集まりが合ったため、いつもより早く9時前に家を出る。通勤時間だが、地下鉄の中は空いている。いつもこんなものならいいのだが。東京駅の券売機で座席予約状況を見たらほとんど埋まっていたので、念のため座席指定を取った。丸善に戻り、何か読もうと思って下川浩一『「失われた十年」は乗り越えられたか』(中公新書、2006)を買う。経済分野は自分から積極的に読んで行かないとなかなか理解の足りないところ。バブル崩壊と平成不況における自動車産業のあたりを読んでいるが、面白いし知らなかったことが結構ある。その期間における日本メーカーの成功と失敗。ビッグスリーの成功と失敗。やはりそれぞれ国民性が反映しているという分析はなかなか面白い。トヨタ・ホンダが勝ち組で、ダイムラー・クライスラーやGMが苦しんでいる現状が納得出来た。まだ読みかけ。

「失われた十年」は乗り越えられたか―日本的経営の再検証

中央公論新社

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特急の中はほとんど家族連れ。騒いでいる子どもが多かったせいか、座席についたら隣のおじさんが自由席の方に引っ越してしまった。そのため混雑にもかかわらず二席を自由に使えてお得だった。子どもはうるさかったが、アンジェラを聞いたり本を読んでたり寝ていたりしていたらあまり気にならなかった。

集まりの席上では田中康夫落選の話など。私の周辺には反田中の人が多いので、みな大いに溜飲を下げて舌も滑らかだった。逆にいえばこの6年間は実に重苦しかったとも言える。地方において知事の存在というのはとても大きなものだ。そのあといわゆる靖国問題についていろいろ話が出たが、この問題はどうしても平行線になる。私の田舎は議論好きの人が多い土地柄だが、結局善悪論になってしまうと絶対に議論が収束するようなものではない。若輩者としては右的意見も左的意見も気に入らないが身内だとしがらみ的関係が絡んでくるので上手く議論は展開できず、「どっちにしてもそんな単純なものではない」と言明して無理やり終わらせた。

うちに帰ってきて義弟といろいろ話をしたり、送り火を焚いたり。夜はサッカーを途中から見た。阿部のゴールも佐藤のゴールも見たが、なかなか良かった。しかし、「引いて守る」相手に対する対処の仕方はオシムがいうように確かにまだいろいろあり得るだろう。昨日は全体的に空回り的だったので苦戦に見えたが、イェメンの選手がみな痙攣を起こしていたりして結局そういうところにレベルの違いが出るんだろうなあと思った。

夜自室に戻ってネットをいろいろ見る。いわゆる靖国問題に関連していろいろな人のいろいろな意見を読む。最大公約数的な賛成反対がほとんどだが、ときどき面白いもの、引っかかったものも。まず第一に靖国問題を騒ぎすぎだ、という意見には全く賛成。NHK及び民放各社がそれぞれヘリを出して首相公邸から靖国神社までずっと車列を映しつづけていたのは「馬鹿じゃないの」と思った。もっと他に公共の電波で報道すべきものがあるんじゃないだろうか。この問題、何でこんなに盛り上がっているのかいまいちよくわからないが、年中行事好きの日本人の夏の風物詩として定着しつつあるんだろうか。これに関してはつくづく就任一年目の13日参拝という中途半端さが後を引いていると思う。一年目からガッとやっておけば、それが「現状」になったわけだから、そこから議論が始まったはずだ。この問題に関しては、日本側が分祀その他どのような姑息な手段で批判を回避しようとしたところで、全く無意味だ。中国はすでにBC級についても問題にしようとしているし、韓国も参拝の形式その他でなく歴史認識そのものを問題にすると明言している。彼らの立場からすればそうに決まっているわけで、この問題については「譲歩」など無意味である。オール・オア・ナッシングしか成り立たない問題である。

竹島を侵略している韓国や、東シナ海の大陸棚で不法な開発を続け、チベットや東トルキスタンで極端な人権蹂躙を続けている中国が、神社への参拝などという非物理的な行為に非難をぶつけるのは、全く侵略的な行為など微塵もない現代日本に対し有利な立場に立とうとして言うに事欠いてやっていることに過ぎない。それに同調する勢力が日本国内にあるから盛り上がっているように見えるだけだ。

この問題について現時点で感じたこと、考えたことを少しまとめておく。まず、特に反対派の議論に私には目に付いたことだが、思想の違いを「認識不足」「学習不足」と言い換える非難が目立つように思う。自らのイデオロギーに反する意見を「勉強不足」と意味転換をして攻撃するのはいわゆる知識人がよくやることだが、これはやはり傲慢な態度であると思う。この問題は、スキームのとらえ方自体が賛成者・反対者によって明らかに異なっているのだから、それを学習程度の違いの問題に転換して攻撃するのは妥当ではない。キリスト教徒が仏教徒を「唯一神の信仰を持たない彼らは野蛮だ」という傲慢さ、あるいは無知と同じである。これはもちろん賛成派の議論の中にも見られる。そのあたりに関しては内田樹氏の指摘が右にも左にも当てはまる。学習障害に喩えるのはPC的に問題がないとは思わないが。私はこのあたりに関しては強いPC感覚を持っていることを今回のさまざまな議論を読みながら自覚した。

その私の感覚に最も抵触した、最も気持ちの悪い表現に感じたのが「B層」という言葉である。これは郵政民営化の際に小泉内閣の支持基盤を分析したペーパーに由来する。これはある傾向を左右方向・上下方向にとって座標軸上にそれを表現しようという方法で、座標軸上にある傾向の集団を見出そうという方法である。リンク先を見ればわかるが、左右軸(x軸方向)は構造改革にポジティブかネガティブかをとっている。それはまあいいが、上下軸(y軸方向)にIQの高低を取っていることが問題化したのである。私はこの図をはじめてみたときそのあまりの不用意さに思わず笑ってしまったが、もちろん内部資料であれこのようにリークの多い日本社会で問題解決や啓発活動に「知能程度」をグラフにしてあらわすということがどのような反応を招くかという認識が全く欠けているというべきだろう。政策にどの程度の関心を持ち理解しているか、という程度の軸設定なら問題化しなかっただろうが、「頭が言いか悪いか」ととらえられかねない、いやとらえられるに決まっている軸設定で表現した時点でなにか根本的なデリカシーというか、そういうものが欠けているといわざるを得ない。

そういう認識はともかく、こういう座標軸的な表現は社会学者などもよく使っているし、多分アメリカ人好みの方法だと思う。私などはこのような単純な図式化は好きではないし、上記のような意図があったかどうかは知らないが差別的なニュアンスが含まれがちであるから用いるのに慎重であるべきだと思う。

このペーパーを書いた人はともかく、その後の流通の仕方から見て「B層」という言葉には「馬鹿な大衆」というニュアンスが多分に含まれていることは議論の余地がないだろう。したがってこの言葉は2ちゃんねるなどで使われるような用語であって、真っ当な人間が自分の意見を表明する場で使うべき言葉ではない。私には、「大衆は豚だ」というようなファシズム的な表現と全く同根だと思われる。それならば「下流」とか言う決め付け方の方が意図がクリアなだけにまだましである。このような持って回った言い回しは複雑な悪意をさまざまにこめやすく、実際にこめられているためにきわめて品が悪い。

私はこの言葉を郵政民営化の頃に見て失笑してそのまま忘れていたが、一部では「小泉内閣を支持する頭の悪い大衆」という意味内容を持って流通しているということを今回はじめて知り、きわめて不快に感じた。これをいわゆる靖国問題に当てはめれば、参拝反対=思想的に健全かつ頭いい、参拝反対=小泉の笛に踊らされている馬鹿、という構図が当然成り立つ。強烈なレッテル張り効果のある言葉である。このような議論の仕方には不愉快の念を感じざるを得ない。相手の思想を頭の良し悪しで測ろうとするのはきわめて妥当性を欠いていると言うべきだろう。

もう一つ非常に短絡的なものを感じたのが加藤氏宅放火事件を「戦前回帰だ」とする論調である。留守宅に放火するなど卑怯なやり方を、戦前の暗殺者たちがやるはずがない。一対一で政敵と向き合い、命を投げだしたからこそそのやり方や思想に議論はあれ彼らは「国士」「義士」として遇されたのだ、という認識を、戦中戦後の人びとの手記等を一定数読んでいれば当然理解できるはずである。たとえばもし安重根が伊藤博文の留守宅に放火するなどという卑小な犯罪者であったら、彼が「義士」として遇されるはずがないだろう。私はもちろん政治テロという手段に賛同できない。だからといって放火犯と義士を味噌も糞も一緒にするのは間違っていると思う。神風特攻隊と911のテロリストの混同とかにも見られる、ことだが、それこそ「もっと歴史を学んでほしい」といいたくなる粗雑さである。安重根など日本人にとっては明治の元勲を暗殺したテロリストに過ぎないが、だからといって彼の至情を全く無視していいとは私は思わない。そうした行動に出る人々の心情に尊いものがあると見る気持ちがなければ、何のために歴史など学ぶのだろうか、と私などは思う。それと留守宅放火犯を同一次元で語ることは許せないことであると私には思われる。

これも平行線の議論に違いないが、歴史において重視するものの違いが人にあることを認め合う寛容の必要性を痛感する。

靖国問題自体の話に戻ると、結局は戦後体制を物神化するか否かというところに問題の核心があるのだろうと思う。どういう信条を持とうともちろん自由なのだが、日本国憲法ができる前から日本という国はあったわけだし、日本という国の実情に合わせて日本人が制定したものでない憲法に日本という国の実情を合わせようというのはきわめて倒錯した思考であると思う。日本サッカーは南米流にすべきか、欧州流にすべきかという議論と同じである。オシムの言うように、日本流のサッカーを見出し、戦って行くべきだという答えだけが正しいと私などは思う。また多くの人がオシム監督に期待しているのは、「まだ見ぬ日本流サッカー」への期待が極めて高いからだと思う。

サッカーの日本化が叫ばれているように、憲法も日本化されなければならないと思う。それはもちろん、大日本帝国憲法と同じものというわけには行かない。国体論を憲法の支柱に据えるのもそのままでは無理だろう。そういえば主体論を支柱に据えている国はあったが。「日本化された憲法」はまだ影も形もない。

少なくとも戦後体制を仏神化する姿勢からは、そうした創造的な憲法論は出てこないだろう。また保守の側にしても、逆説的に聞こえるとは思うが、丸山真男や南原繁は読まれるべきで、そこから吸収すべきもの(もちろん批判的に、というところは多いだろうが)はたくさんあるように思う。お互いがお互いをまともな論敵と認め合っておらず、試合会場外での場外乱闘ばかりが繰り返されて無理解の断絶が深まる一方なのである。

なかなかこういう問題は書き尽くせない。結局歴史理解のスキームの根幹に関わる問題で、そこを譲ればすべてが崩壊するという性質の問題だからだろう。そしてそういう問題だからこそ、フェアな議論が必要だと思う。ただただ直接的な、あるいは陰にこもった罵倒の応酬であるならば、そんな言葉に価値などない。




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藤田嗣治とか森鴎外とか/小泉総理靖国神社参拝

2006-08-16 08:06:12 | 雑記
あまり時間がないのでゆっくりは書けないが。

旅行中は友人に借りた藤田嗣治『腕(ブラ)一本』(講談社、1984)をずっと読んでいた。読了。この本は魅力的。時間があるときにゆっくり書きたいと思う。

腕(ブラ)一本・巴里の横顔―藤田嗣治エッセイ選

講談社

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昨日は午前中靖国神社に参拝に行き、昼ごろは疲れてまどろんでいたのだが、午後は郵便局に郵便物を取りに行き、そのまま丸の内に出て丸善を歩く。取り立てて欲しいものはなかったが最近文学作品を全然読んでいないなと思い、目についた森鴎外『渋江抽斎』(中公文庫、1988)を買う。近代日本語の成立期の表現を味わおうということだが、いろいろ微妙に面白い。しかし読み続けるのは結構骨だな。

渋江抽斎 岩波文庫

岩波書店

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小泉首相の靖国神社参拝。絶対行くだろうと思っていたが、まあ予定通りだろう。「富田メモ」まで出してきて阻止を図った勢力はこのあとどう収拾をつけるつもりなのだろう。中国も韓国も結構投げやりな対応だし、中国政府に呼ばれた駐中大使も「見当違いだ」と反論していたし、まあ本来その程度で済む話なのだと思う。変に譲歩しつつ参拝を続けようとするから変にぎくしゃくしてしまうのであって、譲歩しなければ向こうも何も言えないという類のことなのだ。

ただ首相が慎重だし政治感覚が優れているなと思うのは、こちらにあるように事前に極秘に世論調査をし、「富田メモ」の反応を見て、参拝の意図を重ねて説明した、という報道である。これは目が覚めるような思いがした。この人は、普通の政治家とは違う意味でかなり筋金入りの人物だ。きちんと説明すれば国民は理解してくれる、という彼の信念、確信が今日をもたらしたと言えるだろう。このバランス感覚があればこそ、この長期政権が可能になったわけで、これだけの力量に対抗できる政治家はほかにいなかったわけだ。

加藤紘一代議士の地元の実家と自宅が放火で炎上し容疑者?は割腹したというが、なんだかよくわからない話だ。彼は中国のスポークスマンのように(公明党の神崎代表もそうだが)縷々参拝反対を唱えていたが、正直終わった政治家だし、まともに相手にするには馬鹿げている。それに昭和初期のテロリズムのように本人を攻撃せず留守宅を襲うなどというのは卑怯だとしか思えない。割腹したら許されるというものでもなかろう。

そういうことを考えると、信条上の問題というより、個人的な怨恨があったのではないかとか、どちらかというとその線がありそうな気がしてしまう。「靖国」は装飾的な部分なのではないかと。

大停電から放火まで賑やかなお盆だったが、いよいよ本格的な秋の戦いのシーズンを迎えることになる。私自身も、今日は別口の親戚の集まりに出るが、そのあとは「秋」がはじまる。





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自然の懐かしさ/婿養子/伊勢神宮と熱田神宮/靖国神社

2006-08-15 13:32:46 | 雑記
昨日帰京。なんだか疲れが残っている。まあだいぶ強行軍だったのでやむをえない面もあるが。これだけ短期間に次々移動したのは久しぶりだ。

11日の朝に郷里を出発、塩尻でしなのに乗って名古屋に出る。名古屋も久しぶり。JR駅ビル高島屋のキンキラキンぶりに一驚。場所がわからず駅員に聞こうにも、田舎から出てきたと思しきおじさんおばさんにつかまっていて誰にきいたらいいやらよくわからない。いちおう手が空いた人に尋ねて道を確かめつつ名鉄バスセンターへ。暑い。12時25分発上野産業会館行きの三重交通バスに乗る。

窓の外の風景を見る。緑の感じ。川原の感じ。自分が「自然」だと思ってきたものがそこにある感じ。小学校低学年から高校2年まで三重県にいて、今回来たのは26年ぶりくらいなのだが、自然に対する圧倒的な懐かしさに空恐ろしいほど圧倒された。自分の中で、いい思い出ばかりではなかった地であるから、近づく気にもなれなかったのだけど、今回本当に久しぶりに声がかかって三重県に来て、ある意味での自分の感覚的なふるさとがここにあると感じざるを得なかった。アンジェラ・アキの『Home』をずっと聞いていたのが、その感情をかなり増幅した感じだった。

上野について、というか合併で「伊賀市」というなんのひねりもない名に変わったのだが、右も左もわからないのでとりあえず観光案内所でいろいろ話を聞いて地図をもらう。高校1・2年の時にはほぼ皆勤で通っていたのに、土地勘がかなり失せている。ホテルに荷物を置いて母校や上野城の周りを散策、観光。上野市駅下の地下道が懐かしかった。西小学校が木造風に立て替えられていて変な感じ。母校の古い校舎が「明治校舎」といわれていて、なんだかこんな建物だったかなあとちょっと奇妙な気持ちに囚われた。制服は変わっておらず、懐かしい。あとであった旧友も、娘に母校の制服を着せたかった、という人がいた。確かにかわいいセーラー服だと思う。

広小路駅近くに移った市立図書館に行って『伊賀町史』や『上野市史』を読む。私は全然勉強していなかったのだけど、伊賀の土豪連合が織田氏に徹底的に打ち破られた「天文伊賀の乱」が伊賀の歴史で巨大な時代の分水嶺になっていることを認識。東大寺領が多かった伊賀では鎌倉御家人になったら追放されるとか、守護は名ばかり、戦国大名も生まれないそういう土地柄だったのだという。天文伊賀の乱後、筒井順慶の領国となり、さらに藤堂高虎の領地となったが、難治の土地ゆえ、土豪たちを「無足人」という形で支配に組み入れたのだという。つまり土佐の郷士などと同じような存在だということだろう。勉強しだしたらいろいろ興味深いことがでてきそうだが。

上野という土地は大企業がなく、組紐などの伝統的な中小企業しかないため、いつも財政的には火の車で、経済的なピークは第一次世界大戦中のことで、その後ずっと下り坂、という記述がなんだかおかしかった。草深い田舎と馬鹿にしていた名張が現在の近鉄の開通で一気に大阪と直結し、上野が取り残されることになった、とか、『市史』として一般にイメージされる固いものでなく、普通の市民が呼んで楽しめる読み物のようになっていて、それはそれで一つのあり方ではあるなと思った。まあそのせいで細かいところは全然わからなかったのだが。

『伊賀の湯』まで歩いて風呂につかり、市内に戻ってきたら行こうと思っていた洋食屋がもう閉まっていて、適当に探したらなぜかブラジル料理の店が開いていたのでそこで食事。何であんなにしょっぱいんだ。ホテルに泊まるのは久しぶりで、浴衣の足がはだけて足が冷えて眠れなかったのだが、毛布を足に巻きつけてあたたかくしたらよく眠れた。

翌日も早めに起きて観光。自分のいるホテルが高校時代には大規模店舗があった場所だということに気付き愕然。これだけ大きく変わってしまったらただでさえ遙か昔の曖昧な土地勘が非常に混乱する。入交家という武家屋敷と永楽館という商家を見学。永楽館は風流な金持ちが趣向を凝らして作った屋敷で非常に面白い。こういう家を建てられたらいいなあ。市内を歩き、西大手駅へ。おんぼろで全然変わっておらず、超懐かしい。一番懐かしかったのはここかな。鍵屋の辻へ歩き、さらに旧小田小学校へ。塔のあるタイプの古い小学校で、松本の開智学校に似ている。もっとゆっくり見ればよかった。

城内を横切って産業会館に戻り、100円バスで同窓会会場へ。会場で旧交を温めるが、すぐわかった友達、なかなかわからなかった友達、忘れかけていた友達、最後まで思い出せなかった友達とたくさん会った。15歳で最後に会って、44歳で再会しても、すぐにわかったら帰って変だよなあ。後でアルバムを見せてもらって、だいぶ思い出した。今回来られなかった人たちも懐かしい人がたくさんいて、会いたかったなあと思う。

ちょっとびっくりしたのは、男で苗字が変わった人がたくさんいたこと。つまり、保守的な農業地帯なのだ。みんな養子に行ってあとを継いでいるのだ。農地は持ち運べないから、養子に来てもらうしかないわけで、今更ながらびっくりした。長野県や東京ではあまり聞いたことがないのだが。大病を経験した人も何人もいて、でも亡くなった人は本当に若いころに二人いるだけで、そのほかみんな元気らしく、よかった。バツイチは私くらいだった気がする。3次会では旧町内に戻り新しい住宅団地の近くの中華料理屋で9時ごろまで飲む。懐かしい一日だった。携帯の番号を何人も交換したが、もうわからなくなっている人もある。

13日は44歳の誕生日。近鉄伊賀線で伊賀神戸に出、大阪線で伊勢市まで。伊賀線沿線の田圃の様子が本当に懐かしい。大きく変わったようでいて、全然変わっていない風景。時間が止まったような景色の中に、きっと本当の歴史があるんじゃないかと思う。伊勢市で降りて伊勢神宮の外宮へ。豊受大神が祀られているわけだが、こちらは食の神。内宮と外宮の関係をいろいろ考えていたが、外宮がつまりはフィジカルなもの、物理的なものの神であり、内宮がスピリチュアルなものの神、と考えるのが一番落ち着きがいい感じがした。現在いろいろな意味でフィジカルな面で困っていることが多いから、よくおまいりしておいた。バスで内宮に移動。お祓い町を歩くが、ものすごい混雑。とうふやで昼食。五十鈴川の流れが綺麗。おかげ横丁は古い家々を赤福の社長が移築して作ったというが、ある種の明治村のような感じ。割と面白い。

宇治橋を渡ると境内。五十鈴川の川原に下りて手を清める。それにしても凄い人出だ。蟻の御伊勢参り、という言葉を思い出す。ここでもよくおまいり。自然が懐かしい。五十鈴川の川原の向こう岸のうっそうとした森の中で、一箇所だけ光が差し込んでいるところがあって、とても神々しく見えた。

伊勢市駅に戻り、赤福をお土産に買い、JRの快速みえで名古屋に出る。昔はこの路線、近鉄に乗るのが常識だったのだが、最近ではJRも頑張っているようで、結構込んでいた。名古屋に着き、荷物をコインロッカーに入れて案内所で場所を聞き、名鉄に乗って熱田神宮へ。名古屋は通っても熱田神宮に行ったことはなかったので、よい機会だった。草薙の剣、つまり銅剣が御神体の神社であるためか、銅ぶきの屋根が青々として空によく映え、気持ちのよい神社だった。神鈴を買った。

名古屋に戻り、名鉄近くの洋食屋で夕食。ミックスフライは何ですか、と聞いたら海老とかイカとかそんなものです、というので違うものを頼んだ。覚えておいたほうがいいんじゃないの。久しぶりにカンパリソーダを飲んでちょっと酔う。

特急しなので塩尻に出、普通電車で郷里へ。土砂降りのような雨。実家で妹の旦那とかと話す。翌日は裏庭の草を取り、ジャガイモを掘り、昼間は親戚の集まり。何十人いたのか。曽祖父母の子孫ということで、まあなんだか一族繁栄らしい。夕方一息ついて私は上京。特急は込んでいた。東京は大停電だったという。

今朝15日朝。テレビをつけたら小泉首相が靖国神社に参拝していた。私も出遅れたが9時前に出かけ、参拝してきた。変なマスコミ関係者が一杯いていつもの靖国神社とは雰囲気が違うなあ。それにしても凄い参拝者の数だ。最近話題になっているせいか、参拝者は相当増えているのではないか。昨年は拝殿で参拝するのにかなり時間がかかったが、今年は初詣並みに賽銭箱ではなく白い布が広げてあってかなりたくさんの人が同時に参拝できるようになっていて、そんなに時間はかからなかった。雨が降っていたし、黒い背広があまり濡れても困ったので、今回は助かった。小泉首相も、ようやく八月十五日に参拝できて、ほっとしているというところだろう。私も終戦の日の参拝はこれで三年目だろうか。

帰ってきたらなんだか疲れが出てしまってしばらくうとうとしていた。ほかにもやることはいろいろあるのだが、さて。まずは旅行記。





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移動中…

2006-08-14 17:34:09 | 雑記
現在諏訪。

8月11日 伊賀上野へ。
  12日 伊賀上野(同級会、終日滞在)
  13日 伊勢神宮、熱田神宮を参拝、諏訪へ。
  14日 諏訪(親戚会)

てな感じで移動。今夜東京に戻ります。

落ち着いて更新できるのはいつか…
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