『月刊全生』を読んでいたら、整体協会理事の早嶋健氏の訃報が載っていた。そういえばこの人はどういう人なのだろうとネットでちょっと調べてみると、何と旭屋書店の社長だった。さらに調べると、旭屋書店はもともと大阪の会社で昭和39年に梅田の本店で火事を出したものの、一日も休まずに別館で営業し、本館も3日後には営業を再開したと言うエピソードがあるのだという。(こちら)旭屋書店といえば西銀座のサラリーマン向けの本屋、という印象だったが、そんな会社だったとは初めて知ったのだった。
昨日サンプロを見ていたらみずほ銀行の復活というのをやっていた。みずほといえば新銀行発足当時のシステムダウンがいまだに記憶に新しいが、その後不良債権処理のために1兆円の増資という恐るべきことをやったらしい。融資先に増資を募ると言うのは確かに禁じ手だ。10万社に依頼したとしても、1社平均1000万円ということになる。しかし、その甲斐あって10万円を切っていた株価が現在では90万円を超えている。経常利益もメガバンクトップだそうだ。増資が一番少なかったUFJは結局東京三菱に吸収合併されてしまったし、まあ結果的にはその賭けが成功した、ということらしい。
事の善悪はともかく、企業の業績というものは一時のイメージを引きずって見ていてはいけないのだなとよくわかった。しかしもちろん、その企業の体質というものはある程度継続的に見ていかなければならないものだろう。
四季報を見てみると、投入された公的資金も2006年上半期で完済し、そのあとは自己株の大規模消却を行うらしい。現在の資本金が約1兆5000億円だから、増資した分を出来るだけ減らすと言うことだろうか。
まあそういうことも全然把握していなかったし、昨年末のみずほ証券の不手際など悪い面ばかり見ていたので、男子三日会わざれば刮目して見よというけれども、企業というものもそういう面はあるのだなあと思ったのだった。
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事の善悪はともかく、企業の業績というものは一時のイメージを引きずって見ていてはいけないのだなとよくわかった。しかしもちろん、その企業の体質というものはある程度継続的に見ていかなければならないものだろう。
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まあそういうことも全然把握していなかったし、昨年末のみずほ証券の不手際など悪い面ばかり見ていたので、男子三日会わざれば刮目して見よというけれども、企業というものもそういう面はあるのだなあと思ったのだった。
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昨日は一日仕事。数日間でレポート用紙3枚のものを百数十組読む。ようやく半分以上来たが、まだ先は長い。ただ、東京に持ってきた分はあと10組だ。さっさと読んでしまわなければ。
ほとんど外出もせず、それと並行していろいろ読む。月刊全生が来ていた。野口師はこの時期になるとショーソンの交響曲を必ず聴いていたというが、ショーソンという人を調べてみると、フランスの作曲家で国民楽派の時代の人で、44歳で世を去っている。ちょっと聴いてみたい気がする。脊椎行気の意義、操法とお茶の作法には省略された無駄のない動きが共通している、といった話が興味深い。
『ロシア怪談集』はチェホフの「黒衣の僧」を読み続ける。結構長い。しかし、チェホフという人の作風、やはり好きだな。「かもめ」しか読んでいないしそれも20年以上前の話だが、他にも何冊か買ってあるはずなので、また読んでみようと思う。
國本哲男『プーシキン 歴史を読み解く詩人』読了。さまざまな解釈はどうしてもソ連崩壊前の時代性を感じてしまうが、それぞれの作品の紹介は役に立ったという感じ。しかし、その批評を読む前に、まずはプーシキンの作品自体を読んだ方がいいという感じではある。
午後二時半ころ、はたと気付いて江東図書館に『プーシキン全集』を借りに出かける。二階に上がって右奥の外国文学の棚の前に立つと一番目立つ目の高さに6冊並んで河出書房新社版があった。サイズは思ったより小さく、軽い。気持ちとしては、1冊3000円なら買ってもいいな、という感じ。6冊で18000円。ネットなどどこで見てももっと高い。そういうわけには行かないかな。どれを借りようかと一通り目を通してみて、結局第2巻の「オネーギン・物語詩Ⅱ」を借りる。「オネーギン」の訳は先日読んだ講談社文藝文庫版と全く同じだ。月報には埴谷雄高「プーシキンの銅像」と大塚明「プーシキンとロシヤ音楽」。プーシキンの作品は作曲家の想像力を相当刺激したらしい。それはよくわかる。私が読んでいても昂揚してくるところが実に多い。
まず、気になっていた「青銅の騎士」を先に読む。この詩は思ったより短かったが、実にいい。一通り声に出して読んでみたが、朗読しているうちにどんどん私自身の気持ちが高揚してくるし、声も太く、深く、腹式呼吸が自然に働いてくる。プーシキンというのは非常に男性的な作家なのだと言うことに改めて気付き、驚く。
「ようし、魔の建設者め!」――/憎さげに身を震わせて呟いた/「いまに見ておれ!…」 そして突然/一目散に駆け出した。峻厳な/ツァーリの顔が 一瞬 はげしい怒りに燃えて/しずかにこちらをふり向いた/ような気が 彼はしたのだ…(「青銅の騎士」)
「いまに見ておれ!…」という台詞は主人公の、さらに言えばプーシキンの青銅の騎士像=ツァーリ・建設者であり専制者であるピョートル1世への呪詛である。声に出して、できればバスで、腹に力を込めてこの台詞を言ってみると実に力が湧くのがよくわかる。ロシア語で言えば「ウジャー・ティェビィェー!」と読めばいいのか。この発狂した主人公の力強い言葉と、はげしい怒りに満ちた青銅のツァーリとの両者ともこの世のものでない激しい力の激突が、この詩の男性的な魅力の根源なのだと思う。しかしこの狂者は逃げ出す。そして青銅の騎士は、一晩中彼を追い回す。幻想の街ペテルブルクの洪水の去ったある夜の出来事、この世ならぬ二つの意志の激突。冷めやらぬ興奮につつまれる。
元に戻って、「盗賊の兄弟」を読了、現在は「バフチサライの泉」。どれもこれも、プーシキンはいい。
ほとんど外出もせず、それと並行していろいろ読む。月刊全生が来ていた。野口師はこの時期になるとショーソンの交響曲を必ず聴いていたというが、ショーソンという人を調べてみると、フランスの作曲家で国民楽派の時代の人で、44歳で世を去っている。ちょっと聴いてみたい気がする。脊椎行気の意義、操法とお茶の作法には省略された無駄のない動きが共通している、といった話が興味深い。
『ロシア怪談集』はチェホフの「黒衣の僧」を読み続ける。結構長い。しかし、チェホフという人の作風、やはり好きだな。「かもめ」しか読んでいないしそれも20年以上前の話だが、他にも何冊か買ってあるはずなので、また読んでみようと思う。
國本哲男『プーシキン 歴史を読み解く詩人』読了。さまざまな解釈はどうしてもソ連崩壊前の時代性を感じてしまうが、それぞれの作品の紹介は役に立ったという感じ。しかし、その批評を読む前に、まずはプーシキンの作品自体を読んだ方がいいという感じではある。
午後二時半ころ、はたと気付いて江東図書館に『プーシキン全集』を借りに出かける。二階に上がって右奥の外国文学の棚の前に立つと一番目立つ目の高さに6冊並んで河出書房新社版があった。サイズは思ったより小さく、軽い。気持ちとしては、1冊3000円なら買ってもいいな、という感じ。6冊で18000円。ネットなどどこで見てももっと高い。そういうわけには行かないかな。どれを借りようかと一通り目を通してみて、結局第2巻の「オネーギン・物語詩Ⅱ」を借りる。「オネーギン」の訳は先日読んだ講談社文藝文庫版と全く同じだ。月報には埴谷雄高「プーシキンの銅像」と大塚明「プーシキンとロシヤ音楽」。プーシキンの作品は作曲家の想像力を相当刺激したらしい。それはよくわかる。私が読んでいても昂揚してくるところが実に多い。
まず、気になっていた「青銅の騎士」を先に読む。この詩は思ったより短かったが、実にいい。一通り声に出して読んでみたが、朗読しているうちにどんどん私自身の気持ちが高揚してくるし、声も太く、深く、腹式呼吸が自然に働いてくる。プーシキンというのは非常に男性的な作家なのだと言うことに改めて気付き、驚く。
「ようし、魔の建設者め!」――/憎さげに身を震わせて呟いた/「いまに見ておれ!…」 そして突然/一目散に駆け出した。峻厳な/ツァーリの顔が 一瞬 はげしい怒りに燃えて/しずかにこちらをふり向いた/ような気が 彼はしたのだ…(「青銅の騎士」)
「いまに見ておれ!…」という台詞は主人公の、さらに言えばプーシキンの青銅の騎士像=ツァーリ・建設者であり専制者であるピョートル1世への呪詛である。声に出して、できればバスで、腹に力を込めてこの台詞を言ってみると実に力が湧くのがよくわかる。ロシア語で言えば「ウジャー・ティェビィェー!」と読めばいいのか。この発狂した主人公の力強い言葉と、はげしい怒りに満ちた青銅のツァーリとの両者ともこの世のものでない激しい力の激突が、この詩の男性的な魅力の根源なのだと思う。しかしこの狂者は逃げ出す。そして青銅の騎士は、一晩中彼を追い回す。幻想の街ペテルブルクの洪水の去ったある夜の出来事、この世ならぬ二つの意志の激突。冷めやらぬ興奮につつまれる。
元に戻って、「盗賊の兄弟」を読了、現在は「バフチサライの泉」。どれもこれも、プーシキンはいい。