12月に入り、今年の、年末の区切りでもあるこの時期、いろいろとありますね。
中には、再会の時や別れの時、という事もあるでしょう。
そのような中、世界的な訃報があります。
かの有名なキッシンジャー米国元国務長官が逝去されました。
岸田文雄首相は11月30日、自身のXにて、次のようにその死を悼みました。
『キッシンジャー米国元国務長官がご逝去されました。
キッシンジャー元長官は、米中国交正常化など地域の平和と安定に大きな功績を残されました。
私自身も昔ホームパーティーにお邪魔するなど、若い頃からたびたびお会いし知見を賜ってきました。
偉大な足跡に心から敬意を表し、哀悼の誠を捧げます。』
キッシンジャー米国元国務長官がどのような功績を遺されたのか?
それを同日18時58分に産経新聞 THE SANKEI NEWSが「キッシンジャー現実主義の功罪 ワシントン支局長・渡辺浩生 3正面の外交固めるも「怪物作った」と盟友ニクソン」の題で次のように解説しました。
『(前略)
キッシンジャーが100歳の生涯を終えた。東西冷戦下の1970年代、中ソ緊張に着目して北京と極秘交渉し、中国との国交正常化を導いたほか、ベトナム戦争の和平や第4次中東戦争の停戦を仲介。抑止を最大の目的とした現実主義外交を切り開いた。「ニクソン・ショック」と呼ばれた対中姿勢の転換は今日の中国の覇権主義を助長する関与政策の源流にもなり、「最も評価が分かれ、影響力ある外交家」(米紙)だった。
「われわれは外的な状況を選ぶことはできないが、それらにどう対処するかは常に選ぶことができる」
古代ギリシャの哲学者エピクテトスを引き「指導者の役割は選択とその遂行に人々を導くこと」と述べたのは最後の著作「リーダーシップ」。現実主義外交を簡潔に表す遺言だった。
ナチスドイツの迫害から米国に逃れた過去を持つキッシンジャーが外交の最前線に立ったのは69年、共和党のニクソン政権の大統領補佐官(国家安全保障問題担当)に就任したときだ。
「直面する試練が欧州、中東、東南アジアの3つの戦略的領域で作られ始めた」とキッシンジャーは回想する。ウクライナ、イスラエル、台湾海峡の3正面で脅威と対峙(たいじ)する今日と匹敵する分断世界。キッシンジャーは、ソ連と対立を深める中国に接近すれば対ソ関係で優位に立ち、泥沼化したベトナム戦争終結の糸口にもなるとの判断から、71年に極秘訪中した。
ニクソンは同年の演説で、自らの訪中と対中政策の見直しを電撃発表。米国とともに台湾と外交関係を維持してきた日本など世界に衝撃を与えた「ニクソン・ショック」を振り付けたのはキッシンジャーだった。翌72年2月にニクソンは北京を訪問し、上海コミュニケ(米中共同声明)で「一つの中国」政策を表明。79年の国交正常化に至る。
73年には、南ベトナムからの米軍撤退で合意したパリ和平協定締結の立役者となり、ノーベル平和賞を受賞。同年、ソ連を後ろ盾としたエジプトなどアラブ側とイスラエルとの第4次中東戦争が勃発すると、関係国間を行き来する「シャトル外交」で停戦にこぎつけた。
フォード政権の国務長官だった77年に退くまで8年間世界を駆け回ったキッシンジャーの目標は、勢力均衡による第三次大戦の回避であり、価値観を異にする相手の懐に飛び込んだ。その後、西側は中国を自由主義市場に抱き込む関与政策を続けた。それを生かして急成長をとげた中国は核を含む軍事力を増強し、台湾侵攻をもくろむ。
キッシンジャーは昨年2月の行事で、米中間の「抑制された行動と平和的対話が国際秩序の鍵」だと語ったが、中国の覇権主義に対する批判は抑えた。対照的に晩年のニクソンは「われわれは(中国という)フランケンシュタインを作り出してしまった」と元スピーチライターに述懐した。「ニクソン・ショック」を起点に力と野心を肥大化させた中国との新冷戦に打ち勝つ選択肢を、キッシンジャーに聞いてみたかった。
(以下略)』
僭越ながら筆者がキッシンジャー米国元国務長官の一番の功績は、やはり50年前に勃発した1973年の第四次中東戦争を停戦に導き、その後のスエズ運河運行再開、そしてエジプトとイスラエルとの単独和平へと繋がる実績を挙げた事でしょう。
その一方で、引用記事の末尾にもありましたが、『キッシンジャーは昨年2月の行事で、米中間の「抑制された行動と平和的対話が国際秩序の鍵」だと語ったが、中国の覇権主義に対する批判は抑えた。対照的に晩年のニクソンは「われわれは(中国という)フランケンシュタインを作り出してしまった」と元スピーチライターに述懐した。「ニクソン・ショック」を起点に力と野心を肥大化させた中国との新冷戦に打ち勝つ選択肢を、キッシンジャーに聞いてみたかった。』のも事実です。
キッシンジャー米国元国務長官が逝去、歴史の評価はこれから
故 キッシンジャー米国元国務長官(左)
右は岸田文雄首相
出典:岸田文雄首相自身のX
心からご冥福をお祈り申し上げます。
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かの有名なキッシンジャー米国元国務長官が逝去されました。
岸田文雄首相は11月30日、自身のXにて、次のようにその死を悼みました。
『キッシンジャー米国元国務長官がご逝去されました。
キッシンジャー元長官は、米中国交正常化など地域の平和と安定に大きな功績を残されました。
私自身も昔ホームパーティーにお邪魔するなど、若い頃からたびたびお会いし知見を賜ってきました。
偉大な足跡に心から敬意を表し、哀悼の誠を捧げます。』
キッシンジャー米国元国務長官がどのような功績を遺されたのか?
それを同日18時58分に産経新聞 THE SANKEI NEWSが「キッシンジャー現実主義の功罪 ワシントン支局長・渡辺浩生 3正面の外交固めるも「怪物作った」と盟友ニクソン」の題で次のように解説しました。
『(前略)
キッシンジャーが100歳の生涯を終えた。東西冷戦下の1970年代、中ソ緊張に着目して北京と極秘交渉し、中国との国交正常化を導いたほか、ベトナム戦争の和平や第4次中東戦争の停戦を仲介。抑止を最大の目的とした現実主義外交を切り開いた。「ニクソン・ショック」と呼ばれた対中姿勢の転換は今日の中国の覇権主義を助長する関与政策の源流にもなり、「最も評価が分かれ、影響力ある外交家」(米紙)だった。
「われわれは外的な状況を選ぶことはできないが、それらにどう対処するかは常に選ぶことができる」
古代ギリシャの哲学者エピクテトスを引き「指導者の役割は選択とその遂行に人々を導くこと」と述べたのは最後の著作「リーダーシップ」。現実主義外交を簡潔に表す遺言だった。
ナチスドイツの迫害から米国に逃れた過去を持つキッシンジャーが外交の最前線に立ったのは69年、共和党のニクソン政権の大統領補佐官(国家安全保障問題担当)に就任したときだ。
「直面する試練が欧州、中東、東南アジアの3つの戦略的領域で作られ始めた」とキッシンジャーは回想する。ウクライナ、イスラエル、台湾海峡の3正面で脅威と対峙(たいじ)する今日と匹敵する分断世界。キッシンジャーは、ソ連と対立を深める中国に接近すれば対ソ関係で優位に立ち、泥沼化したベトナム戦争終結の糸口にもなるとの判断から、71年に極秘訪中した。
ニクソンは同年の演説で、自らの訪中と対中政策の見直しを電撃発表。米国とともに台湾と外交関係を維持してきた日本など世界に衝撃を与えた「ニクソン・ショック」を振り付けたのはキッシンジャーだった。翌72年2月にニクソンは北京を訪問し、上海コミュニケ(米中共同声明)で「一つの中国」政策を表明。79年の国交正常化に至る。
73年には、南ベトナムからの米軍撤退で合意したパリ和平協定締結の立役者となり、ノーベル平和賞を受賞。同年、ソ連を後ろ盾としたエジプトなどアラブ側とイスラエルとの第4次中東戦争が勃発すると、関係国間を行き来する「シャトル外交」で停戦にこぎつけた。
フォード政権の国務長官だった77年に退くまで8年間世界を駆け回ったキッシンジャーの目標は、勢力均衡による第三次大戦の回避であり、価値観を異にする相手の懐に飛び込んだ。その後、西側は中国を自由主義市場に抱き込む関与政策を続けた。それを生かして急成長をとげた中国は核を含む軍事力を増強し、台湾侵攻をもくろむ。
キッシンジャーは昨年2月の行事で、米中間の「抑制された行動と平和的対話が国際秩序の鍵」だと語ったが、中国の覇権主義に対する批判は抑えた。対照的に晩年のニクソンは「われわれは(中国という)フランケンシュタインを作り出してしまった」と元スピーチライターに述懐した。「ニクソン・ショック」を起点に力と野心を肥大化させた中国との新冷戦に打ち勝つ選択肢を、キッシンジャーに聞いてみたかった。
(以下略)』
僭越ながら筆者がキッシンジャー米国元国務長官の一番の功績は、やはり50年前に勃発した1973年の第四次中東戦争を停戦に導き、その後のスエズ運河運行再開、そしてエジプトとイスラエルとの単独和平へと繋がる実績を挙げた事でしょう。
その一方で、引用記事の末尾にもありましたが、『キッシンジャーは昨年2月の行事で、米中間の「抑制された行動と平和的対話が国際秩序の鍵」だと語ったが、中国の覇権主義に対する批判は抑えた。対照的に晩年のニクソンは「われわれは(中国という)フランケンシュタインを作り出してしまった」と元スピーチライターに述懐した。「ニクソン・ショック」を起点に力と野心を肥大化させた中国との新冷戦に打ち勝つ選択肢を、キッシンジャーに聞いてみたかった。』のも事実です。
キッシンジャー米国元国務長官が逝去、歴史の評価はこれから
故 キッシンジャー米国元国務長官(左)
右は岸田文雄首相
出典:岸田文雄首相自身のX
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