クルマ好人雑記帳(移転しました)

速いだけがスポーツカーじゃない、小さいだけがコンパクトカーじゃない。新しいクルマの価値を模索するメモ帳です。

クルマは芸術になりえるか?

2010-02-04 20:48:51 | クルマ
世の中にカッコいいクルマはたくさんあるが美しいクルマは限られた数しか存在しない。
自動車は芸術になりえるのだろうか。
この議題については以前から山田太郎氏やジョン・スミス氏によって熱い議論が交わされてきた。クルマにおける芸術性というのは美しさだが、その価値観が異なってしまい正しい結論が出ない。
初代パンダの実用一点張りのようなスクエアなデザインに美しさも感じるし、アルファ8Cコンペティツィオーネのような曲線にも美しいという言葉を使ってもいい。美しい車を勝手に決め付けることはできなかった。
では、もっと屁理屈を並べてみることにする。
そもそも芸術は美しくなくてはいけないのか。残念ながら、僕には「芸術的」センスがないことが判明している。ピカソの「泣く女」やシャガールの「誕生日」を見ても単なる不思議な絵、キモい絵としか思わなかった。幼稚園の頃から芸術家の幼児向けの図鑑らしきものがあったから、その絵たちは僕のトラウマですらあった。だから僕は最近のアニメの実際に存在する場所の模写には素直に綺麗、と思えるのだ。(本物の芸術の価値なんて分からないお・・・(´・ω・`))
そんな僕が設計図通りロボットで組み立てられた工業製品に美しさを見出すのは当然のことだ。
使われてナンボの製品たちに鑑賞する楽しさを与えるということは愚かだろう。だからクルマは走ってナンボ。大事にすることと飾ることは違う。見た目は素晴らしいけど耐久性が論外な昔のイタリア車にオプションでプラスチックケースや画鋲が設定されていなかったのかは、このためだ。ちゃんとエンジンとタイヤが付いているのだから。

いくら自動車が進化しようとも芸術の域には達することは出来ないと思う。それは「使われるもの」だからだ。日常での使い勝手を少しでも求めた時点でその製品は芸術の欄外へと弾きとばらされるのだ。コルビジェのLC4、ユーノスロードスターのテールランプ。だから僕は芸術として素晴らしい絵画と共に飾られる、コルビジェのLC4やユーノスロードスターのテールランプの偉大さは人類が感じ取れる、一般の人が感じ取れる究極の実用美なのではないだろうか。



美術館にこれらの品々を選定した評論家たちは人間じゃなくて宇宙人なのかもしれない。


アホかww




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