Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

死人に口なし

2019年10月03日 08時40分17秒 | 日記
おはようございます。

十月に入り

若干涼しくなったと思えば

または暑くなるようです。

朝は20度を下回る

過ごしやすい気温ですが

未だ熱帯夜です。

秋は愁いの季節。

「秋心」なんて書くんですからね。

何かと現世に絶望するのでしょう。

電車が生活の中に存在している人にとって

人身事故は敵です。

テレビの向こう側に映し出される犠牲者には祈るというのに

目の前を走るべき電車を止めた自殺者には舌打ちする人々。

まぁ、逝くのは勝手ですが

無関係な自分に迷惑を掛けないでくれ

そんな心理でしょうかね。

いくら責めても

死人は何も答えちゃくれない。

そしていずれ忘れられて「殺される」

「人は二度死ぬ」なんて言われますね。

一度は生物的に。

一度は社会的に。

仕方のない事です。

社会的に生かしてくれていた人達も

いずれは生物的に死すのですから。

歴史に名を残し

後世に語られる一部を除きますがね。

多くの人は何故か

生物的死には抵抗があるというのに

社会的死にはあまり抵抗がない。

なんて言ったって

社会的死は実感できないでしょうからね。

それは生物的死も同様でしょうか。

死んだことがないので分かりません。

さて

最近、死人が語れぬ事を利用して

保身に走る老人をテレビで見かけます。

醜いと思いますが

あれが「大人になる」ということなのでしょうね。

決してネバーランド症候群ではないと思いますが

"大人"にはなりたくないものですね。

「死ぬ」って何?

最大の疑問です。

生きている人は定義付けするしか答えを導き出せませんから。

まぁ、被造物の溢れかえった前世では

「一つの物語の終わり」

なんて定義付けをしても良いのでは。

人は誰もが自らが主人公の物語を演じています。

主観の物語を見ている、なんて言い方でも構いません。

その物語の終わり

それが「死」だと定義します。

ならば「死ぬ」前には確かに存在していた物語。

仮に自害ならば

物語の中に「自害に至った原因・理由」が

あるはずなんです。

自殺した方の

年齢・所在地・肩書

その程度の情報なら一般人でも手に入れられます。

ある程度の情報があると、どうも想像してしまいます。

物語を。

不謹慎だと思われますか?

えぇ、確かに。

当事者にとってはそうでしょう。

ただ、私は赤の他人。

名も知らぬ他人の事を思う事はいけないことでしょうか。

逆に赤の他人に「社会的に生かしてもらえる」なら

亡くした命も本望でしょう。

これは決して電車を止められた恨みなどではありません。

日々空想に浸る、一人の青年の話。

それでは bye! Konemy

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