Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

「多様性」が孕む矛盾

2022年08月27日 20時09分59秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

そういえば、もう8月も末。

学生時代、ある番組が始まると

夏休みの終わりを感じざるを得ませんでした。

そんなもの、今や関係ありませんが。

某番組についてですが

放送が近づいてくると

『偽善』だとか『感動ポルノ』だとか

毎年のように批判されています。

ただ、なんて的外れな事を……

などと思ってしまう私です。

恐らく、批判する人は

あの番組を「慈善事業」か何かと勘違いしている。

そんな訳あるはずがないのに。

何、綺麗さを求めているんですか。

あれは完全なる「ビジネス」です。

そこにちょこっとだけ

世の為、人の為になる要素を盛り込んでいるに過ぎない。

なんだか、どこかに怒られそうな事を書いている気もしますが

そんな前提で考えてみましょう。

ね。良い番組だと思いませんか。

思わないなら観なきゃ良い。

それだけの話です。なんて簡単な問題だ。

まぁ、そう単純に簡単に考えられないから問題って起こるんだと思いますけど。

そこはもう、論じません。

私は物事の善悪の判断の一つに

「続いている事」という判断基準を設けています。

善ならば、それは肯定され続いていく。

逆に悪ならば、それは否定され終わりを迎える。

もちろん、今の世の中にある、続いている全てが

「善」などというつもりはありません。

「悪」はこの世に溢れていますから。

でもまぁ、その「悪」だって誰かにとっての「善」であり

その誰かが続けている訳ですから。

"45"

私にとっては途方もない数字です。

それだけ続いているのですから、私個人は「善」と判断しますよ。

実は、ここまで前置きです。

明日の話になりますが

今年の番組内で作曲家のすぎやまこういち さんが扱われるそうです。

私が好きなゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの世界観の一翼を担う人。

どうやら、その人を番組内で扱う事が適当でない

そんな批判があるらしい。

詳しい事は批判記事を読んでもらいたいところだが

番組の根幹たる「多様性の尊重」に全く合わないという。

なるほど。

ここに、この国で語られる「多様性」の矛盾が感じられる。

「多様性」の厳密な意味は置いておいて

この国においての「多様性」は

「自らと違う考えを持つ人に対して理解する努力をして、その人を受け入れる」

と捉えられているように感じる。

だから「多様性を認めない人」なんて括りが出来上がる。

そして「多様性を認めない人」だって「多様性」だ

なんて矛盾。

違う。

私は、「多様性」とは「共存」であると考える。

すぎやま氏の生前の思想には問題があったのかも知れない。

だが、遺したものは確かに偉大であろう。

思想に問題があったから、と排斥しては

それこそ番組の趣旨に合わない。

某番組内で扱うだけの価値がある人は扱う。

それこそが「多様性の尊重」になるのではないか。

なんか、珍しく重たく

そして真面目で

なのにいい加減な感じで書いてしまった。

一人の戯言です、悪しからず。

              それでは bye! Konemy

勇者になれる世界

2022年08月27日 16時17分55秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最近のマイブームはゲームです。

スマホでやってます。

ただ、いわゆるソシャゲではなく

移植のゲームです。

具体的にはドラクエ。

一応、Xを除く全てのナンバリングをプレーしましたが

ナンバーによって知識差があります。

クリアを一回しかした事がないものもあれば

何十回としたものまで。

終いには裏ボスをノー装備もしくは素手で倒す領域までいったものも。

詳しい人は上記だけでどの番号か分かるらしいです。

皆さんはどうですかね。

で、まぁ。

今やっているのはⅣ・Ⅴ・Ⅷです。

ほぼ同時に始めて同時に進行。

全て裏ボスまで行きましたが、全作でレベル上げの途中って感じです。

ちょっとⅣは最近やってない気がする……。

やっぱり、レベル上げがね。

さて。

今回お話しするのはⅤについて。

シリーズ屈指の名ストーリーで有名かと思いますが

詳しく知りたい方が自分で調べて下さい。

ストーリー既知前提で語ります。

私はこのⅤの世界を「勇者になれる世界」と称しています。

おい、ちょっと待て。

ドラクエシリーズは基本的に主人公が「勇者」

ならば、世界でも救世の「勇者」になれるではないか。

むしろ、Ⅴは主人公が「勇者」ではなく「勇者の父親」だから

勇者にはなれないではないか。

確かに。

その指摘はごもっとも。

しかしながら、私とドラクエⅤの出会いは幼少期。

プレイヤーとしての出会ったのではなく

プレーしているところを横から眺める形で出会った。

この話題を語ると思い出す事がある。

某「剣で世界を描く」世界を描いた物語の中で

黒幕に黒い主人公がこう告げる。

『他人のやってるRPGを傍から眺めるほどつまらないことはない』

最近では実況YouTuberなる存在の台頭で

共感を得られる事が減った考えだが

私は過去の経験からこの考えを全肯定する。

もちろん、実況YouTuberの動画は一度たりとも観たことがない。

私の場合は父がやっているドラクエⅤを傍から眺めていた。

自分はプレー出来ない。つまらない。

そんな中、作中で誕生する勇者「男の子」

父は彼に私の名前をつけてプレーしていたのだ。

ドラクエシリーズは基本的に主人公が「勇者」である。

だが、「勇者」になる為には

主人公に自らの名前をつけるという

少々イタいことをしなければならない。

もちろん、そのプレースタイルを否定しない。

素敵な楽しみ方だと思う。

誰に見せるものでなければどんな名前をつけても良いと思う。

『トンヌラ』とかでも(笑)

話を戻しまして。

つまり、他人の承認によって「勇者」になれる世界。

私にとって、それがドラゴンクエストⅤだった。

例え、その他人が父親だとしても。

私がRPGをプレーする時

大体、主人公名はニックネームに設定する。

だが、ドラクエⅤだけは父のプレースタイルを継承している。

残念ながら、私は子持ちじゃないのでね。

『父のプレースタイルを継承している』

私が世界を救う勇者なのです。

              それでは bye! Konemy