おはようございます。
私は残念ながら経験がないのですが
唐突に花粉症の話でも。
辛いらしいですね。
他人事のようですが、他人事です。
今現在はピークじゃないようですね。
そんな中、こんな話を目にしました。
花粉が多く飛ぶ日は暴力犯罪が減少するという。
特に「身内による暴力」が大きく影響を受けるようで。
例えば家庭内DVや虐待などですかね。
その理由は「花粉は体調に影響を与えるため」という
理由になっていない理由のようです。
念の為に先に述べておきますね。
暴力・暴行はある意味、殺人なんかよりずっと
悪濁闇邪・極悪非道です。
この国は司法国家であり
この国の司法は殺人を一部認めても
暴力・暴行の極みは認めていません。
36条です。
暴力・暴行は決して認めてはいけません。
その前提を基に。
躾に一番効くのは痛みである。
誰か特徴的な髪型をした人が言っていた。
躾とは。
『乳児期から幼児期にかけては親が範を示して根気よく繰返し,叱るよりも,上手にできたときにほめて力づけ,理解力が深まるにつれて説得に主眼をおくようにするのが望ましい。』(ブリタニカ国際大百科事典)
らしいんだが、これはあくまで"人道的に行うならば"の条件付きだ。
何が言いたいのか。
これは持論だが、教育に必要なものは恐怖だ。
優しく教えるなんて無理不可非合理。
どれほど優しさのオブラートに包もうが
どこかに恐れが無くてはならない。
形がどうであれ。
先に述べたように
暴力・暴行は決して認めてはいけません。
だから恐怖の形が痛みであってはならない。
畏怖でなければ
精神的恐怖で無くては。
これらの形の恐怖は認められている。
認められてしまっている。
だからこそタチが悪い。
精神的恐怖は時に暴力・暴行を上回る残酷さを誇る。
使い所を間違えてはならない。
そして所によっては
もっと使っていかなければならないものなのである。
例えば旧時代では体罰が容認されていた
あの恐ろしい
とても言葉では表しきれない
奇妙・奇々怪々・驚異な
いや、どれも違う。
言葉に出来ないあのどこまでも深い闇を抱えた小さな社会
学校社会の現場では。
忘れていた恐怖を思い出してしまった。
数年前まであんなところで生きていたなんて考えると
今生きている事を不思議に思う。
それでは bye! Konemy