おはようございます。
なんだか久方ぶりですね。
私はストレス溜まると文章を書きたくなる性分なんですが
ここではあまり出さないようにしてます。
つまりはここ数日は当たり障りのなさすぎる生活が続いていた訳です。
だけど今日は語ります。
なんてったって
本日は本ブログ開設から1,000日。
非常に記念すべき日ですね。
こんな日に語る言葉を残念ながら私は持ち合わせていません。
尋常な日々に慣れると鈍りますね。
そうですね……。
まだこちらでは語っていない新元号についてでも語ろうかしら。
記念すべき日なので長くなりますが悪しからず。
少し前に遡ります。
時は皐月。
新天皇即位に際し、新元号『令和』となりました。
残念ながら私が生きた時代ではない為、伝聞になりますが
昭和から平成に変わった際には昭和天皇崩御前から様々な行事の自粛ムードが広がり
日本経済は低迷したそうです。
象徴たる存在が結果としてですが、国を貶めるような事をしてしまった訳です。
しかし、今回は特例法を用いて生前退位したことにより
上皇陛下は健在のまま新天皇が即位する形となり、自粛どころかお祝い騒ぎでありました。
しかしながら、この『令和』という新元号を私は素直に喜べませんでした。
出典の『万葉集』巻五の「梅花の歌三十ニ首」の序文
『于時初春令月氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香』
からは漢字そのものから読み取る事の出来る意味合いとは異なったものである事は明確ですね。
「令和」という熟語は「和令む」と解釈され、「答えさせる」といった意味になります。
事実、(令和」という熟語は日本国の文書に「和令む」として用いられている。
というより、そっちのほうが正常な使い方なのでは?
とりあえず私が知る例を。
『類聚国史』(菅原道真公撰とされる、編年体の六国史を分類別に分けて検索しやすくした書物)・歳時六・曲芸の中
『勅尚侍從三位百済王明信令和之』
まさに「令和」。
もう一点。
大和言葉にはラ行の音がない事も違和感の原因として挙げられる。
現在では当たり前のように存在しているラ行だが、ラ行音は元々日本語には存在しなかったものだ。
身近な例は「六(ろく)」だろうか。
これの日本語読みは「六(む)」である。
"R"の発音が出来ないと有名な日本人が使用する元号がまさか"R〇"なのはギャグとしか思えない。
総括しようか。
新元号を喜ぶ事を否定するつもりはないし、今更変更する必要もない。
新元号を否定するこれらの意見はあくまでも馬鹿な一文学部生の違和感でしかない。
ただ、私は両手を挙げて新元号の到来を迎える事は出来なかったというだけの話。
最後に。
空白期間あれど、1,000日続いたのは
細々と眺めてくださっている皆様のおかげです。
今後も下らぬ話に付き合ってくださるとありがたいです。
(関東、それも首都圏で「下らない」なんて言葉を使うのはなかなか面白いですね)
それでは bye! Konemy
なんだか久方ぶりですね。
私はストレス溜まると文章を書きたくなる性分なんですが
ここではあまり出さないようにしてます。
つまりはここ数日は当たり障りのなさすぎる生活が続いていた訳です。
だけど今日は語ります。
なんてったって
本日は本ブログ開設から1,000日。
非常に記念すべき日ですね。
こんな日に語る言葉を残念ながら私は持ち合わせていません。
尋常な日々に慣れると鈍りますね。
そうですね……。
まだこちらでは語っていない新元号についてでも語ろうかしら。
記念すべき日なので長くなりますが悪しからず。
少し前に遡ります。
時は皐月。
新天皇即位に際し、新元号『令和』となりました。
残念ながら私が生きた時代ではない為、伝聞になりますが
昭和から平成に変わった際には昭和天皇崩御前から様々な行事の自粛ムードが広がり
日本経済は低迷したそうです。
象徴たる存在が結果としてですが、国を貶めるような事をしてしまった訳です。
しかし、今回は特例法を用いて生前退位したことにより
上皇陛下は健在のまま新天皇が即位する形となり、自粛どころかお祝い騒ぎでありました。
しかしながら、この『令和』という新元号を私は素直に喜べませんでした。
出典の『万葉集』巻五の「梅花の歌三十ニ首」の序文
『于時初春令月氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香』
からは漢字そのものから読み取る事の出来る意味合いとは異なったものである事は明確ですね。
「令和」という熟語は「和令む」と解釈され、「答えさせる」といった意味になります。
事実、(令和」という熟語は日本国の文書に「和令む」として用いられている。
というより、そっちのほうが正常な使い方なのでは?
とりあえず私が知る例を。
『類聚国史』(菅原道真公撰とされる、編年体の六国史を分類別に分けて検索しやすくした書物)・歳時六・曲芸の中
『勅尚侍從三位百済王明信令和之』
まさに「令和」。
もう一点。
大和言葉にはラ行の音がない事も違和感の原因として挙げられる。
現在では当たり前のように存在しているラ行だが、ラ行音は元々日本語には存在しなかったものだ。
身近な例は「六(ろく)」だろうか。
これの日本語読みは「六(む)」である。
"R"の発音が出来ないと有名な日本人が使用する元号がまさか"R〇"なのはギャグとしか思えない。
総括しようか。
新元号を喜ぶ事を否定するつもりはないし、今更変更する必要もない。
新元号を否定するこれらの意見はあくまでも馬鹿な一文学部生の違和感でしかない。
ただ、私は両手を挙げて新元号の到来を迎える事は出来なかったというだけの話。
最後に。
空白期間あれど、1,000日続いたのは
細々と眺めてくださっている皆様のおかげです。
今後も下らぬ話に付き合ってくださるとありがたいです。
(関東、それも首都圏で「下らない」なんて言葉を使うのはなかなか面白いですね)
それでは bye! Konemy